日本のファッションカラー100 ―流行色とファッショントレンド 1945-2013を読みながらファッショントレンドについて考えている。この本は日本の戦後のファッショントレンドを100集めているのだが、「よく覚えているなあ」というものばかりだ。特に終息がいつだったかは意識していないと収集できないのではないだろうか。
この本はいろいろなトレンドを扱っているのだが、そのソースは4つに分類できるようだ。
- モード界由来
- 憧れの対象由来
- 不良グループ由来
- 余暇由来
これにプロダクトデザインを加えるとほぼ全てのトレンドを網羅できそうだ。それぞれを詳しく見てみよう。
モード界
モードが流行の源泉になったケースはそれほど多くない。戦争が終わって「女性は女性らしく」という流れがあり、Aライン、Hライン、Yラインなどが提唱された。このラインを破壊したのが日本人で、洋服を脱構築して黒で洋服を再構成した。明らかに着物のような「巻きつける」系統の伝統がバックボーンにある。
政治に関心を持つデザイナーは少なくないがストリートの動きや反戦運動に形を与えるということの方が多いようである。意外とデザイナーが主導してデパートが広めるというような動きは少ないらしい。
憧れの対象
憧れは流行の大きな源泉になっている。日本人が最初に憧れたのはGHQで、流行をもたらしたのはパンパンと呼ばれるGHQに群がる女性たちだった。その後、映画が憧れの対象になった。最初は洋画が憧れの対象だった(サブリナパンツなどが流行った)が、太陽族という余裕のある学生も映画から憧れの対象となった。余裕のある学生が憧れの対象になるという流れはその後も続き「余暇を楽しむ学生」はファッション流行の源泉になる。人々は加山雄三に憧れ、バブル直前の原田知世・織田裕二ごろまで余暇を楽しむ学生は憧れの対象だった。
さらにアメリカの学生(有名大学の学生やそこに行くための予備校生)のスタイルが輸入された。最初はアイビーと呼ばれ、のちにプレッピースタイルになった。もちろん、こうした動きは日本だけのものではない。イタリアファッションも映画の中の衣装に起源がある。
日本ではよく見られる「アメカジ」だが、当然アメリカにはない言葉だ。面白いことにバブル期までロスアンゼルスに古着を買い付けに来る日本人は現地の人たちから嫌われていた。質の良いものを買いあさるので値段が高騰してしまうのだ。こういう買い付け人たちが再構築したのが「アメカジ」だったわけで、当然日本人が作ったある意味どこにもいないアメリカ人に憧れていたことになる。
不良グループ
逸脱も流行のソースになる。ロカビリーがブームになり、モッズが流行した。モッズはテレビに乗って派手になってゆく。これがビートルズやGSなどの流行につながる。GSはモッズだけではなく様々な流行を取り入れて派手になってゆく。
そのうち竹の子族という美的感覚に欠落がありそうな人たちが独自の流行を作った。裕福な若者がトラディショナルファッションに身を包んでいたのと同じ時期に竹の子族もいるといるという状態いだ。黒人のだらしない格好も音楽を媒介にして日本に伝わった。渋谷できっちりした格好が流行している一方でダボダボのパンツを履いている人もいるというのが流行の特徴だ。つまり、流行は二本立てになっていたことになる。
これとは少し違っている流れもある。厭世観の中でLSDに逃避する若者が作ったのが「サイケ」であり、そのあと、ベトナム戦争反戦の為に街で軍服を着ようというミリタリーブームがあったそうだ。
スポーツ
最初の流行はスキーだったようだ。そのあとマリンファッションが流行して「日焼けがかっこいい」という時代が長く続いた。それと並行して、レオタードなどのトレーニングウエアもファッションアイテム化される。余暇を楽しむ学生が憧れの対象になるわけではなく、余暇のスタイルが街にも持ち込まれるのである。いわゆる「陸サーファー」が典型だ。
スキーブームはかなり長く継続し、バブル時期の「私をスキーに連れてって [DVD](1987年)」の頃まではスキーが主流だった。「私をスキーに……」のスキー場は、志賀高原と万座温泉だそうだ。
ワークウェアがファッション化したように、スポーツアパレルもストリートに接近した。しかし、これが効きすぎたのか最終的には街でナイキのシューズを狩るという「エアマックス狩り」にまで発展した。エアマックスは1987年に発売された単なる運動靴なのだが、マーケティングの結果プレミアムがつき、暴力団の資金元になるほど価格が高騰したのだ。このようにしてファッションそのものが壊れていったのがポストバブル期だ。
流行そのものが崩壊したポストバブル期
バブルが弾けてもしばらくの間は「いつかは回復するだろう」という見込みがあった。しかし、ファッションは確実に崩壊していった。「健康」の象徴だった日焼けすら過剰になり最後は「ヤマンバ」と称されるようになった。つまり化物になってしまったのである。
裕福さの象徴だったイタリアファッションも水商売の男性の制服になった。最終的には日焼けした男性がベルサーチなどを着るようになり、穴の開いたジーンズを買うようになると、ファッションが「下流の人たちのもの」ということになってしまった。つまり、洋服にお金をかけるのはドロップアウトの証拠だと見なされてしまったわけである。
一方で比較的余裕のある人たちは「無駄な出費をせずユニクロで倹約するのが正しい」ということになった。ジーンズの裾が広がったり、パンツが細くなったりという変化はあるものの、流行そのものが崩壊してしまった感じがある。ファッションを追求すると世の中から脱落してしまうのである。
アパレル産業はいろいろな施策を打って流行を動かそうとしているのだが、ファッションアイテムだけに注目しても誰もなびかない。それを育てるコミュニティが重要なのだ。
流行を作るのはコミュニティ
日本の流行を見てゆくと、銀座、六本木、渋谷、原宿、裏原宿、表参道、横浜、神戸、湘南、苗場などといった場所に集うコミュニティが源泉になっていることがわかる。流行が消えた裏には集まって余暇を過ごす余裕がなくなっているということを意味しているのかもしれない。
Yahoo!知恵袋には「このアイテムを着るのは正解か」とか「これは今着ていても大丈夫か」という質問が多く見られる。本来ならリファレンスになっていたコミュニティが消えてしまったので、誰もが不安になっているというところだろう。もう20年近くも「減点型椅子取りゲーム社会」が続いているわけでファッションは仲間作る記号ではなく、外れている人を排除する記号として作用しているのかもしれない。
この典型がリクルートスーツだ。「服装自由」と言っておきながら、少しでも外れていると排除されてしまう。かといって、みんな同じ格好をしていると「個性がなくつまらない」と言われてしまう。かといって、誰も正解を知らない。
とはいえ、嘆いていても仕方がないわけで、現実はこれに即した動きになっている。
- 40歳代から上はかつての流行を知っているので従来型のファッション雑誌が売れている。
- バブル崩壊期に育った人たちに向けては、シンプルで飽きのこないスタイルが推奨される。かつてのセレクトショップが「ファミリー向け」のラインを出している。
- それより下の世代には教科書型のファッション雑誌が売れるが発行総数は多くない。