残念だが廃止せざるをえない日本レコード大賞

文春が、Exile系の事務所が一億円を支払ってレコード大賞を買っていたというニュースを伝えている。これを聞いた一部のファンが「三代目は実力でレコード大賞をとった」と抗議する騒ぎになった。このニュースを聞いてTBSは放送をやめるべきだなと思った。次に賞を取るアーティストはいくらで買ったのだろうと噂されることは間違いがないからだ。

レコード大賞が実力でないということはほとんど周知の事実になっている。配信数やCDの売り上げと全くリンクしていないからだ。売り上げにリンクした賞としてはゴールドディスク大賞というものがあるがあまり有名ではないかもしれない。他に音楽性を讃えるということが考えられるがスポーツ新聞社に音楽性が評価できるかは微妙なところだ。

レコード大賞が評価するのは「何が売れたか」ということだ。日本ではすなわちテレビに出たかということが売れたということなので、その指標として意味があるのだろう。

そもそもなぜ領収書の費目がプロモーション費用だったのだろう。LDHから委託されたプロダクションはいろいろな手を使って関係者に働きかけていたということになる。関係者に飲み食いさせても何ら違法性はない。プライベートな賞だからだ。これを営業活動と見なせばLDHの支払いも違法とはいえないし、請け負ったプロダクションも違法とは言えない。

そこでプロモーションの方法が問題になる。どうやらこのプロダクションは反社会勢力との関係が囁かれているようだ。スキャンダルを起こしたタレントを脅かしてプロダクション優位の版権契約を結ばせて復帰させたりしているということもあるということである。

マスコミがプロダクションのドンの名前を決して口に出さないのは、この人に暗い噂が多くあり関わると面倒だからである。ハリーポッターで言うところのボルデモートのようになっている。名前を口に出せない「あの人」扱いされているのだ。

問題なのはLDHではない。そもそも主観的に決まる賞なので、プロモーション費用が介在する余地があるからだ。いわゆるビジネスに箔をつけるための営業費用なわけで、どんな営業をしようとも発注したところは売れればいいことになる。マスコミ各社が加担している以上、このプロモーションが何だったかということは表沙汰にならないだろう。

だが、この一連の「プロモーション」が反社会勢力の資金源になっている可能性は残る。例えていえば、金融機関が反社会勢力を雇って高齢者を騙していた場合に、金融機関はどのような責任を負うかという話になるだろう。

このような可能性が排除できない以上、テレビ局としては利権の温床になっている賞を放置するのは得策ではないだろう。

さらに異常さは文学と比べてみるとよくわかる。芥川賞も純文学作家に箔をつけるというプロモーションのための賞だが、その選考結果はある程度公開されている。主観的なので出版社の買収合戦に発展する可能性もあるのだが、そんなことをしてしまえば文学そのものの価値が急落することは目に見えている。文学を愛しているからこそ苛烈な買収合戦には発展しないのだ。

裏返すと、芸能界は歌というものが持っている芸術性を尊重しようという気持ちはサラサラないことがわかる。ファンの気持ちはお金と露出でなんとでもなると考えていないようだ。

この件がまずいのは誰も騒がないことだろう。視聴率も13%と低く、番組自体が過去の歌謡界を回顧するような内容になっている。賞自体が忘れ去られており、今回の件で今後の受賞者は好奇の対象にしかならないだろう。

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