先日、NHKで「人口が縮小してゆく社会」という特集をやっていた。深刻な内容だが、前半と後半が分離していた。
前半は豊島区で若年層の貧困化が進んでいるという内容だ。公共事業の増加を背景にして、建設業が主要産業になりつつある。建設業は雇用を創出するが増えているのは非正規雇用ばかりだ。家庭を作ることができないので、将来的には国が面倒を見る必要が出てくる。大阪で見られるような南北問題が東京にも波及しつつあるようだ。
後半は地方自治体が機能を果たせなくなり住民サービスを削減しているという話だ。生産年齢の人たちが都市に流出しており、税収がなく住民サービスが維持できない。そのため、住民がサービスを肩代わりしている。また、地域が蚕食されてしまうために集約化が必要になってきている。中には移動しただけで亡くなってしまう高齢者もいるそうだ。
いずれにせよ、一生の見通しが立つような働き手を抱えられる産業が日本から急速になくなりつつあるらしい。このままでは、住民は税金を納めることもできないし、新しい家庭を作ることもできない。そこで実質的に国が雇用主になって従業員である国民を支えるという姿が整いつつある。従業員には定年があるが、住民は定年しないので一生抱える必要がある。そこで働いてもらいましょうということになる。ただし、その労働が賃金で報いられるかどうかはよくわからない。住民サービスの代替えなどの無償労働が含まれるからだ。
かつてはJapan Incと呼ばれた日本社会だが、労働市場という側面から見ると、急速に社会主義化が進んでいることになる。
実は資本の面からも社会主義化が進行している、日経新聞によると東証1部上場企業の4社に1社の実質的な筆頭株主となっているということだ。ブルームバーグの記事ではメジャーな金融機関は国が筆頭株主なのだそうだ。
日経の記事は「価格が分かりにくくなる」ということを心配している。だが、もっと深刻なのがガバナンスの低下だ。国が筆頭株主になってしまうと経営者を監視する人がいなくなるのだ。GPIFが「もっと配当をよこせ」と企業に迫ることはないだろうから、企業の収益力は悪化するだろう。企業は株主からのプレッシャーがあるからこそ新しい事業への投資を試みるのだ。
このプレッシャーがなければ集めた資金は死蔵されるか、既存の(ゆえに収益力の落ちた)事業に追加投資されることになる。さらに病状が進めばその企業を潰さない為に「政策的な」投資が続けることになるだろう。民間需要がなくなれば、国で需要を作ることになる。
誰も意図しないうちに、国が従業員を支え、企業を支配し、需要も国で作るという図式ができつつある。国家の共産主義化だ。これに計画生産と配給が加われば完璧だ。
いろいろ考えるところはあるのだが、憲法なども考察のテーマになりそうだ。現在の憲法は復古的だと言われている。明治期に復帰するというよりは戦中体制への復帰に見える。戦争という緊急事態だったので一時的に政争がなくなり「天皇のもとで政治が一致団結していた」唯一の時代だ。いわば、国が戦争という唯一の事業を行う為に共産主義化していた時代と言えるだろう。そう考えると、あの憲法草案は自民党の指導のもとで国が一大事業を行う為の共産主義憲法に見えてくる。これを未だに行っているのが北朝鮮だ。
一方で民進党は配分だけを意識した政党だ。こちらもアプローチは違うが社会主義化を志向している。自民党の憲法草案は個人の財産権を制限しているのだが、こちらは自発的な明け渡しを要求する。一方で資産課税も民進党の特徴だ。資産には課税できないので、資産を使った時に課税する。これが消費税だ。
このように考えると共産主義というのは理想から生まれるのではなく、資本主義の死の形態なのかもしれない。