障害者はあなたの道具じゃない

久々にかなり腹立たしいツイートを見かけた。さらに腹立たしかったのが、なぜ腹が立つかを説明しなければならないということだ。非常にばかげている。

ツイートの内容は「障害者はカナリア」というものだった。安部首相を非難する文脈なので年配の左派だと思う。最近、弱者を排除する風潮があり、津久井の事件はその文脈で起きたというようなことが言いたいのだろう。

カナリアというのは炭鉱労働者が死なないように先に死ぬセンサーのようなものだ。つまり、一般市民が死ぬのを防ぐために障害者が犠牲になったということを言っているのだ。多分意識していないのだろうが、この人は障害者を道具だと思っていることになる。これは人間のオブジェクト化である。自分の政治的な主張のために他人を利用しており、それが当たり前だと思っているのだ。

自分が息苦しさを感じているのであれば、単に「嫌だ」と言えばいい。左派は政治的な欲求が通らないという意味では弱者のだが、自分たちのことを弱者だと思いたくない。そこで弱い他人を利用しているのだ。障害者を弱い人間だとみなすことで、自分たちはそれよりはマシだといえるようになる。実に厄介で屈折した搾取なのだ。

やっかいなことに「自分を弱者の支援者だ」とみなしている人ほど、他人を利用していることに気づかない。いわゆる右派(ヘイトといわれる人たちだ)はまだ、蔑視しているという意識があるのだが、この手の人たちにはその意識はないのだ。それどころか、このような批判を受けると「私たちは弱者のためを思って言ってやっているのに」と怒り出したりする。実に厄介である。善に気が付かないのだろう。

なぜ、この国には平等という概念が全く根付かないのだろうか。怒りというより悲しみがこみ上げてくる。なぜみんな隣人から奪いたがるのだろう。

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