政治を低級なバラエティ番組のような状況にしたのは誰か

自民党に質問というTwitterのハッシュタグを見ていた。内容はいわゆる「左派」と呼ばれる人たちがこれまで呟いていることとほとんど違いはなく、新しいアイディアや視点は発見できなかった。彼らは答えも分かっているようで、あえて質問する意味はなさそうなことばかりだ。例えば「憲法改正を争点にしないのはなぜか」と聞いているのだが、彼らが期待している答えは「国民に都合の悪いことを争点にしたくないからだ」というものだろう。だが、もちろん自民党がそんなことを答えるはずはない。

自民党・公明党政権は民意の合意がないままで諸政策を進めているので、積み残された民意(それは全国民の総意ではないのだろうが)は解消点のないまま渦巻いている。この鬱積した世論が噴出した形だ。

これを見ていて不思議だったのは、なぜ自民党が予め仕込みの質問をしなかったのかということだ。たいてい、最初の質問によって雰囲気が決まるわけだから、最初にアベノミクスを礼賛する質問をしていれば、いわゆる「アンチ」は寄り付かなかったはずである。それが山本一太議員の失態によるものか、Twitter社のキャンペーン・コンサルタントの不始末なのかは分からない。

いわゆるネトウヨの人たちは「くだらない」とは呟くものの、リスクを取ってその空気をはねのけようとまではしなかった。一番割りを食ったのは、本当に質問のあった人たちだろう。両親の介護サービスが削られているがなんとかしてほしいという質問が見られたが、このような切実な声はごく少数だ。政治が近いところにありそうで意外と誰も政治の恩恵や害を実感していないことが分かる。実際に政治の影響を受けている人たちは、それどころではないのだろうなとも思った。

いわゆる「ネット工作員」などという人たちは存在しないか無力な気もする。もしネット工作員がいるのなら、安倍政権礼賛のコメントで埋まっていたはずだ。ネット工作員の人たちが与えられているスクリプトが今回はうまく機能しなかったという可能性もある。または、空気を作って他人を叩くのは楽しいが、いったん「アンチ」の雰囲気ができてしまったことで工作員たちが萎縮してしまったのかもしれない。

ネット工作の役割は炎上を抑えることにある。左側のコメントに様々な手法で立ち向かい「火消し」してしまうのだ。いわゆる破壊工作である。普段は非常に有効な戦略だ。この破壊活動がないと舛添人民裁判のようなことが簡単に起ってしまうだろう。だが、彼らは安倍政権の政策について理解しているわけではないので、即興的な対応ができないのだろう。ましてや「質問の形を取って政権を礼賛する」などという高等なことはできないようだ。空気に反してまで立ち向かおうという姿勢もなさそうなので、いったん空気が変われば、簡単に駆逐されてしまうかもしれない。

このやり取りを見ていて、日本人は政治に興味がないのだろうなと思った。関心の対象になっているのは政治ではなく「部族の一員になって他部族を叩くこと」である。つまり、政治は一種の(それもかなり下等な類いの)エンターティンメントと化しているのだ。もっとも、エンターティンメントですらないのかもしれない。実情はいじめに近い。

この状況は自民党が作り出した物なので(多分、ネット工作などということを考えだしたのは自民党だ)同情するに値しない。しかしソーシャルメディアは「課題を発見し」「非顧客を発見する」のに向いたメディアだと考えると、宝の山から得られるはずの潜在的利益を毀損していることになる。生活に行き詰まっている人や、将来に不安を持っている人は多いだろうし、日本を成長させるアイディアを持っている人もいるはずなのだが、そういう人たちは不毛な「政治」議論から距離を置くことになるのだろう。

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