大西英男議員とリーダーシップ

昨日まで二回、社会のフォロワー層が「荒れたコミュニティ」を作るのではないかと書いた。その間に考えていたのが、社会のリーダー層たちの「リーダーシップの欠如」だ。フロワー層がリーダーシップがないのは、ロールモデルがないからだ。また、社会に尊敬できるリーダーがいないと、フォロワー層は地下化する。結果、コミュニティが荒れるのである。

そのときに頭をちらついていたのが、「巫女のくせに」発言の大西英男議員だった。北海道で「自分の世話をしてくれた巫女」が「自民党が嫌いだ」と言ったから、夜の街に連れ出して説教してやろうと考えたと発言したのである。

この発言が反発されたのは、こうしたおじさんが珍しくないからだろう。こうしたおじさんは社会の至る所にいて、たいした仕事はしないのに大きな顔をして威張り散らしている。そして女性が男性のお世話をして夜もおつきあいしてくれるのを当然だと考えているのだ。社会のフリーライダーであり、単なるお荷物だ。

この手の人たちは、女性は補助的な職業に就くべきだと考えている。理由は簡単で女性だからだ。女性の役割は「立派なお仕事をしている男性」のお世話をすることである。機会均等法が運用されるようになる1990年代までの会社社会では一般の女性は「お茶汲み」と呼ばれていた。大西議員は巫女さんを「お茶汲み」だと考えており、夜のご接待もお仕事のうちだと考えているのである。こうした価値観を持っている男性は珍しくない。

普通に考えると、こうした図式が成り立つためには「ご立派なお仕事」をしている男性は、経済的に社会を支えなければならないし、リーダーシップを発揮して社会をまとめなければならない。そしてリーダーシップを発揮するためには、それなりの修練が必要になるはずである。

だが、大西議員に代表される人たちは、男性であるだけで自ずとリーダーになる資格があるのだと考える。だから、リーダーシップなど学ぶ必要はないし、リーダーとして研鑽を積む必要もない。

こんな調子だから、日本にはリーダーシップが成立しないのだと言える。つまり、自称「保守思想」が蔓延すると社会からリーダーシップが失われるのだ。

このように、自民党の自称保守の人たちにはリーダーシップはない。単に誰かほかの人たちが考えた「日本は男性を中心とした社会に回帰すべきだ」というお題目を丸暗記して、女性や子供に威張り散らしているだけだ。つまり、彼らは保守を名乗るフリーライダーなのだ。

「いや、実際に大西議員に会えば彼が真のリーダーだということがわかるはずだ」などという人がいるかもしれない。だが仮に大西議員がリーダーとしての自覚を持っていたとしたら、このような女性蔑視発言はしなかったはずだ。リーダーの役割は社会の活性化だ。組織運営に携わったことがある人なら、女性を「お世話係」として卑下することがどんな影響を与えるかわかるはずだ。実際に神社関係者は大西議員の発言に反発している。女性の働き手のマネジメントをしている彼らは発言がどんな影響を及ぼすかを知っているからだろう。

大西議員の経歴を見ると、議員秘書を出発点にして、地方議会で議長を務めた後に政治家デビューしている。実際に組織マネジメントに携わっていた経験がない。だから、リーダーシップについて学べなくても当然のキャリアなのだが、長い間政治家をやっていると「自分たちが日本を動かしているのだ」という万能感にとらわれることになるのだろう。

こうした人たち見て、多くの人たちはリーダーシップや保守思想について「あの程度のものなのだな」という感覚を持つのではないだろうか。

日本人からリーダーシップが失われたのは何故なのだろうか。よく用いられる説明は、アメリカ人が押し付けた現行憲法のもとで増長した左翼思想を持った教師たちが日本の教育を破壊したというものだ。この説を採用するなら、現行憲法と左翼教師たちが保守思想を破壊した結果、大西議員のようなリーダーシップを持たない自称保守政治家が量産されたことになる。

で、あれば、憲法を改正して、リーダーシップを欠く政治家が現れた場合には公開で罰を与えるよな規定を作った方がいいかもしれない。リーダーシップの欠如したこの手の政治家は単なる社会のフリーライダーであり、害悪だからだ。

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