LINEコミュニティと自民党の憲法改正案

昨日はヤフオクを例に挙げて、オンラインコミュニティが殺伐としてくる事例は何が原因なのかを考え、日本人は不特定多数が集まるコミュニティでどう振る舞ってよいかわからないのではないかという仮説を立てた。そこで過剰に防衛的になったり、逆に匿名を利用してオークションを荒らす人がでてくるわけだ。

ここで提示できる解決策は2つある。1つは脱村落的な世界に慣れることであり、もう1つは伝統的な村落コミュニティに戻るというものだった。日本の右派(保守とも言われる)の人たちは、村落的コミュニティに戻れば社会矛盾は一挙に解決すると考える人が多い。村落共同体の基礎は個人ではなく家族なので、家族回帰が語られる。逆に脱村落化するのは自由主義的な考え方である。ある種の社会的訓練がないままで自由主義化したのがヤフオクなのだ。つまり、これはかなり政治的な課題だともいえる。

では、日本型の村落コミュニティが理想なのかという疑問が出てくる。例えばLINEは村落コミュニティを作っている。ただし、かなり窮屈なコミュニティだ。相手のメッセージに対して即座に返信することが求められる、仕様のせいもあるかもしれないのだが、参加している人たちの注意力は既に散漫になっており、家事や仕事をしている間にメッセージが来ても、すぐに返信したくなってしまうらしい。

LINEにはグループを作る機能もある。よく知られているように、相手が気に入らないとLINE外しやLINEいじめという問題が起るのだ。社会的制裁(村八分)が頻繁に用いられるのである。グループは実際の集団である家族からは分離している。親が子供のLINEを除くことはタブーとされており、家族が揃った食卓でスマホ片手にバラバラの時間を生きているというのはよくある光景だ。

つまり、保守層が考えるようにはならない。家族はもはやバラバラの時間を生きているわけだし、こうして新しく作られたコミュニティも持続性を欠いている。特に顕著なのは個人と個人の距離感の問題だ。

「適度に距離を保って楽しく利用すればいいのではないか」などと思うわけだが、それは使っていない人の発想だ。いったんコミュニティが成立してしまうと、その監修から逃れることができなくなる。

LINEコミュニティに欠けているのはオンライン特有の属性ではない。LINEコミュニティに参加している人たちはフォロワー属性が強いのではないかと考えることができる。日本の意思決定やコミュニティの特色は「集団性」だ。それほど強い集団を形成するわけではないが、個人としてコミュニティに参加したり、発言するのを嫌うである。つまり、社会的集まりを運営した経験がないままでコミュニティが形成されると、一人ひとりがうまく距離を取れなくなる。そこでLINE外しやLINEいじめが頻発するわけである。

ここまで「日本人」と大枠でくくってきたのだが、日本人のSNSに対する態度は一様ではない。掲示板時代からコミュニティに参加していた人たちがいる。この人たちはオンラインコミュニティに慣れていて、適当な距離を保ちながら会話を行うことができる。掲示板が「荒れた」のは2chが出てきたからだ。普及するにしたがってフォロワー層が出てくると、元いた人たちはいなくなってしまう。

また、留学・海外勤務を経験した人たちはFacebookに慣れている。ここにもも「すぐに反応しなければならない」という約束はない。また、グループという感覚も薄い。個人対個人のやり取りになっている。

Facebookはいくらか「盛られている」。それが露見するのは「盛ることを知らない(もしくはその必要がない)」人が入ってきたときである。例えて言えば、フレンチばかり食べている人のところにお母さんが乱入してきて「週末に帰省したときのお味噌汁は何がいいか」と聞かれるような感覚だ。

Facebookは実名だという説があるのだが、アメリカでも名前やキャラクタを作って登録している人もおり、必ずしも実名コミュニティとは言えない。芸能人が芸名で活動するのと同じような感覚だ。ここから類推すると、実名であってもある程度のキャラクタを作っている人が多いのではないかと思う。本名で活動している芸能人のテレビに出ている姿が本人そのものではないのと同じような感覚だろう。日本人はこれを「盛る」というが、普段から生活を「盛っている」のがアメリカ人だ。

その意味ではSNSはそもそもキャラを作って参加する(これをセルフブランディングなどという)ものだ。日本人が集団の中に埋没することを好むように、アメリカ人はキャラに埋没することを嗜好するのだ。

さて、話が脱線したが、現代社会はすでに「個人化」している。それは、おそらくアメリカから憲法を押し付けられたからではなく、多くの現代人が複数のコミュニティを同時に生きているからだろう。故に憲法で旧来の家族感を押し付けたとしても、実際にできあがるのは、家族が食卓を囲みながらそれぞれのスマホ画面を覗くようなバラバラで出来損ないのコミュニティなのではないかと考えられる。

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