性的マイノリティとかわいそうな政治家たち

ある地方都市の市議会議員が「同性愛者は異常な動物だ」と言いバッシングを受けた。市議は発言を「酒の勢いだった」と釈明した。今回は練馬区の議員が「やはり同性愛は日本の伝統として受け入れがたい」と議会で質問したことが問題視されている。

これについて、異端視されている「同性愛者がかわいそうだ」という指摘がある。だが、本当にかわいそうなのは、多分指摘をした政治家たちの方だ。

リチャード・フロリダの有名な著作に「クリエイティブ都市論」というものがある。2008年の発表なので、随分と古い本だ。フロリダは社会に豊かさをもたらす「クリエイティブクラス」という人たちを定義した上で、都市が競争力を持つためにはクリエイティブクラスを集めなければならないと言っている。

フロリダが注目したのが、同性愛の人たちの集積度合いである。同性愛の人たちが暮らしやすいということは、その都市がオープンであるということを意味する。クリエイティブな人たちはそうしたオープンな(フロリダは寛容なというような言い方をしている)環境を好むのだ。

東京は世界でも有数の都市なので、クリエティブクラスにとっては居心地のよい都市だといえる。だから、渋谷や世田谷といった地域で同性愛者に優しい環境づくりが行われるのは偶然ではない。有権者がそれを支持し、多様な価値観を許容する人たちが集ってくるからだ。これがスパイラルを形成する。

とはいえ、日本の性的マイノリティがおおっぴらに「私達はゲイなので、先進地域に引っ越しました」などと表明することはないだろう。表に出ている人たちは新宿あたりで商売をしている人たちか、芸能界やファッション業界などで活躍している一部の人たちだけのはずである。故に多様性と先進性の関係は表立っては語られないのではないかと思われる。

一方で、そうした人たちから見放された地域は「古くからの価値観」にことさらこだわるようになる。有権者が古い価値観を持ったヒトたちだから、新しいアイディアが地元から出てくることは期待しない方がいい。彼らは過疎化や競争力の低下などを心配するが、具体的にはどうしていいか分からない。古い人たちが考える「繁栄」とは、せいぜい地方の名産品が売れて、工業団地ができることぐらいだろう。後は自分たちがクールだと思う価値観を外国人観光客に押しつけるのも好きだ。スーツを着たおじさんたちがアニメを売り込んでも全然クールではないが、本人たちは気がつかない。

こうした地域はインドや中国などの中進国と競争せざるを得なくなる。企業を誘致するためには法人税を下げて、自国通貨をバーゲニングし、安い労働力を買い叩くくらいしか選択肢がない。まあ、それも仕方がないことだ。

地方都市の凋落は目に余るものがある。例えば、大阪市長選の状況を見ると哀れさを感じてしまう。彼らの望みはせいぜい「東京並の大都会になり、新幹線を誘致する」くらいのことだ。それすら叶わずに、大企業は市場を求めて東京や海外に流出してしまう。保守的で新しいサービスを受け付けない都市で再先端のサービスや製品を売っても仕方がない。そうした市場では、国で蛍光灯を禁止してLEDを売りつけるくらいがせいぜいだろう。

同じ事は移民にも言える。アメリカの先端都市が優秀な中国人やインド人を使って、ITのデファクトスタンダード作りに邁進していた時期、日本は外国人労働者を「社会保障制度から排除された安価な労働力」くらいにしか扱ってこなかった。そんな国に優秀な労働力が集るはずはない。事実、外国人実習生は次々と「研修先」から逃げ出している。

移民の方にも選ぶ権利がある。シリア難民ですらスマホを使って条件の良さそうな国を選択しているのである。スマホやPCすら使いこなせずNHKしか情報源のない年老いた政治家たちが「あの人たちはかわいそうだ」と思っているとしたら、かわいそうなのは難民ではなく、その政治家の方だと言えるだろう。

政治家が自分の信条を述べる事は別に構わないと思う。しかし、それが後進性のスティグマになってしまうということは考えた方がいい。多分、受け取った人は「渋谷や世田谷区と比べて練馬区って案外遅れているのだなあ」とか「まあ、東京のはずれだから仕方ないか」くらいにしか思わないだろう。

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