英語圏で、日本の行政単位はPrefectureだというと変な顔をされる。Prefectという言葉には学校の風紀委員という意味がある。監督官というようなニュアンスかもしれない。英語のウィキペディアによると、日本の小さな行政単位をPrefectureと呼び始めたのは江戸時代のポルトガル人なのだそうだ。ポルトガル人がPrefectureと呼んだ組織は国(今でいう県)よりももっと小さな単位だったとのことである。
Prefectはラテン語圏では地方の行政長官の意味があるそうだ。風紀委員とニュアンスは似ている。監督者の名称なのだ。その歴史はローマ帝国に遡るという。ラテン語圏では、地方の行政長官がいる役所をPrefectureと呼び、そのうち、地域の主府(いわゆる県庁所在地)をPrefectureと呼ぶようになった。つまり、Prefectureは行政単位の名前ではなく、役所の名前なのである。地域名はProvinceと呼ばれる事が多い。Provinceは日本語では州(ローマの場合は属州)と訳される。
そもそも、県はどのような行政単位だったのだろうか。これもWikipediaによると、県の起源は古代中国に遡る。地方の人口稀薄地を郡と呼び、面積は小さいが人口の多い地域を県と呼んだ。もとは地方官庁を示していたという。秦の時代になり、郡の下に県が置かれるようになった。
日本の県は明治政府の直轄地のうち都市部でない地域の呼称だった。都市部の直轄地は府と呼ばれた。正確には行政単位の名前ではなく、その行政単位を治める役所の名前だ。小さな単位に過ぎなかった県だが、明治政府が藩を廃止して直轄地として編入したために、県の相対的な地位は高くなった。さらに都市に置いた府を廃止(東京、大阪、京都を除く)したために、地方の役所の名前に過ぎなかった県はいつのまにか行政単位の一般的な名前になったのだ。
現在、英語版のWikipediaではPrefectureは「県」という字の訳語として使われている。歴史的に見ると、日本で結びつけられ、後に同じ漢字で現す単位をPrefectureと呼ぶようになったのではないかと考えられる。少なくとも英語ではPrefectureを行政単位としては使う人がいないので、このラテン語由来の語をなんとなく(あるいは恭しく)受け入れてしまったものと思われる。
明治時代には地方の行政長官や役所の名前をPrefectureと呼ぶのは自然なことだったのかもしれない。中央政府が地方に設置する管理役所が県だからだ。知事も県令も官職であり、地方自治とは関係がなかった。この状態が戦後の昭和22年まで続いた。戦中まで知事は公選で選ばれる政治家ではなく官僚だったのである。
ところが、戦後になり県知事が公選になっても、県をPrefectureと呼んでいる。一方、県の責任者の名前はPrefectとかPrefectureとは呼ばれずアメリカの州知事と同じGovernorである。中央から任命されるわけではないから、当然と言えば当然だ。
それでは県の訳語として正しいのは何なのだろうか。
イギリスでは国(Country)の下の単位をCountyと呼んでいる。一般的に、Countyは郡と訳されるが、イギリスの行政単位は州と訳することが多いようだ。しかし、これは例外的だ。
大抵の国では、国の下の行政単位はProvinceと呼ばれる。カナダの州もProvinceだ。ベルギーは3地域(Region)の下に10州(Province)がある。中国の省や韓国の道もProvinceである。フランスはProvinceを廃止してDepartmentと呼ばれる固まりを作った。今ではDepartmentの上にRegion(地域)というまとまりあるそうだ。そして、県の主府のことをPrefectureと呼んでいる。イタリアの州は英語ではRegionと呼ばれ、その主府がPrefectureである。
このように考えると、県の訳語も、Provinceが妥当なのではないかと思える。もっと正確に言うと地域名称がProvinceであり、県庁所在地がPrefectureだ。これを当てはめると、今「県」と呼んでいるものは「州」と呼んだ方が良さそうだ。西洋的な伝統に従うと県庁所在地を県と呼ばねばならず、東洋的な伝統に従うと郡の下部組織が県ということになる。
そうなると九州や東海などの単位はRegionと呼ぶのが相応しいということになる。Regionは一般的には州ではなく地域と呼ばれる。だから道州制は正しくは地域再編とでも呼ぶのが相応しいことになる。最初に道州制を名付けた人は、アメリカのようになりたいという含みがあったのかもしれない。しかし、アメリカの州はProvinceではなく、State(国)なので、そもそも訳語が間違っていることになる。
不思議な事に、誰が地域の固まりを県と呼ぶことを決め、その訳語をPrefectureにしたのかは分からなかった。文献を調べて行けばわかるのかもしれないが、そうした史料をまとめた人はいないらしい。今となっては、誰がどのような意図で行政単位を県と呼び、それにPrefectureという訳を当てたのかは分からないのである。