自称「議論好き」な人が気をつけたいコミュニケーション障害の可能性

「議論が好き」という人が最近Quoraで絡んでくる。観察していると「あれ、この人おかしいな?」と思う。おそらく、文脈が読めていないのだと思う。これを自分は議論好きだと勘違いしているようだ。今回は自称議論が好きな人・得意な人について考える。




日本は共感型の文化である。もともと自己主張をせず周りがお互いを褒め合うことで成り立っている。個人に立ち入らないが表面的な会話を成り立たせるという文化もある。顔見知り程度の人たちの会話を聞いているとお天気の話しかしていなかったりする。

ただ、こうした共感型の文化をいつ身につけたのかがよくわからない。なんとなくお互いに成立させてゆくものであって、誰かに習うようなものでもない。つまりある種の知性なのである。逆にみんな気配りができて当たり前だと考えられているため、気配りを教えてくれる人もいない。だから逸脱者が出てきてしまうのだ。

最近、台湾のオードリー・タンさんについて書いているコラムを見つけた。IQよりEQが大切だと言っている。産業が複雑化した社会では個人の頭の良さよりも協力する姿勢が大切だと言っている。EQ社会にももちろん議論はある。だがそれは問題解決のための議論だ。

IQ偏重の日本ではこれができない人が多い。共感はできるが協力できない社会で頭のいい人が浮くという状態になっているようである。このため日本は問題解決どころか問題共有すらできない社会になってしまった。台湾より日本はこの点で劣っている。

共感型の文化は自分の考えていることとは別に相手が何を考えているのかということを表情などの非言語的なコミュニケーションで読み取った上で最も無難で最も適切な返事を返すというかなり高度なことをしている。

プロセスは三つある。

  1. 相手の言っていることを非言語的に読み取る
  2. 相手の内面を想像して自分の頭の中に相手の像を作る
  3. 最も無難な返答を選んで返す

女性の場合は「相手の身になって優しい」ことが求められるために、非言語読みとり能力(つまり察する力だ)がない人は女性はコミュニティから排除されることが多い。おそらく診断を受けていないがコミュニケーション障害に悩んでいる女性も多いのではないかと思われる。当然ながら女性だから察する力が強いとは限らないからだ。

「EQ社会」ではこれが言語的な読みとり能力にも及ぶ。相手の文脈や背景を洞察して瞬時に内面に像を作り適切な処理を返す力である。能力とスキルが両方必要になる。共感とEQ化社会は似通っているがやはり少し違う。

  1. 相手の言っていることのずれを察知して文脈を読み取る
  2. 相手の置かれている状況を察知して自分の中に相手の像を作る
  3. その場に適切な返答を選んで返す。無難な回答が良い場合もあれば、議論を喚起したほうが良い場合もある。

男性は割と学力があればなんとかなるんだろうなと思っていた。つまり共感は求められないだろうと思っていたのである。だが、日々「議論したがる人」を相手にしていると、学力だけではやってゆけない社会になったんだなと感じられる。適切な対応ができている人とそうでない人の差が激しすぎるのだ。

例えば菅総理を例にとるとわかりやすい。

  1. 相手の言っていることが読み取れず、自分の中にあるシナリオに固執している。
  2. だから相手の像が菅総理の内面に作られない。
  3. だから「ご指摘は当たらない」といってそもそも返答しない。

これは安倍総理とは違っている。

  1. (自分が関心のある)相手の言っていることや要望はよく読み取れている。
  2. 相手の像も作れている。
  3. だが全体を見ているわけではないので結果的に不適切な対応をしてしまう。

安倍・菅政権は「相手の気持ちは読めるが適切に対応する能力がない」総理大臣とそもそも相手の気持ちが読めない官房長官という組み合わせだった。だから問題が解決できなかった。ここから相手の気持ちを読み取る能力がなくなったので受け答えもできなくなってしまった。だからEQ社会化した台湾と比べると見劣りしてしまうのである。

最近絡んでくる人は、ある回答に対していきなり英語で何かを書き込んで議論を挑んで来た。さらに別の文章の流れを無視して自分が考えていることを書き込んで来た。どちらも文脈が読めていない。もっと詳しく分析すると相手がどういう意図で何を書いているのかということが全く理解できていないのである。

この人の議論という言葉の使い方を見ていて「対話ができない」ことには薄々気が付いていて、文脈がずれていることを怒られた経験もあるんだろうなあと思った。学歴が高いほど自分の知的能力に自信があるのだろう。そこで「いや私は馴れ合いの会話が好きなのではなく意見がぶつかる議論が好きなのだ」と理解しているようだ。

もちろん馴れ合いの会話だけでは浮かび上がってこないものを浮かび上がらせるために意図的に「議論」を行う場合もあることはある。だがこれは「適切さ」が違っているだけだ。読みとり能力の高い人はこれを使い分けることができる。

相手に「あなたコミュ障ですよね」というのは名誉毀損行為なのでもちろんそんな指摘はできない。だからコミュニケーションに障害がある人はそれに気がつけない。自分で気がつくしかないのだ。

おそらく最もやってはいけないことはこうした議論に乗ることである。怒らせようとしてやっているわけではなくそもそも議論ができないわけだ。だから、こういう人と絡んでも何もいいことはない。事実誤認については正した方がいいがそれ以上は踏み込んでも意味はないように思える。

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