「早いうちから英語教育をやるとどちらも中途半端になるよ」という議論がある。なんとなしに回答したのだがもしかしたら「沼」だったかもしれない。英語でsemilingualismというそうだが差別用語らしいのだ。英語版Quoraにはこれを扱った回答がほとんどない。さらに実際に障害を経験している人がいるために語りにくい問題になっている。だから非当事者がこの問題を知る機会があまりない。人権について広く薄く扱っているとこういうケースもあるんだなと思った。わかってもらえないというのも差別になり得るが、非当事者はおそらく誰も差別しているとは思っていない。
semilingualismはもともとネイティブアメリカンの同化教育で母語と英語の両方を学んだ人が社会生活が行えるだけの満足な知能が得られなかったというところからきた用語のようである。ここから、まず母語(L1)を育ててから第二言語(L2)を育てたほうがいいというような認識ができた。
日本語で当てはめると日本人はまず日本語を固めたほうがよく英語は第二言語として学んだほうがいいということになる。ネイティブ並みにペラペラになっても日本語が育っていなければ日本では良い仕事に就くのが難しい。これはこれで我々の常識に合致している。
中国にも民族語(モンゴル語や朝鮮語)から切り離して中国語で育てようという動きがあり、民族浄化などと非難されることもある。中国人から見ると「中国語ができた方が仕事が楽だからいいのでは」ということになるが、親から見ると「自分のことを理解してもらえなくなる」ということになる。
アメリカにしろオーストラリアにしろ同化教育には大きな問題がありのちに謝罪に追い込まれている。おそらく中国も同じような問題を抱えることになるだろう。
だが「実は中途半端な教育を施したこと」が問題なのであってバイリンガルそのものは原因ではないのではないかという議論が出てきたようだ。
アメリカ合衆国には大勢のバイリンガルがいる。多くは社会言語や家庭言語を両方L1として認識しているのだろうし、中には両親の言語が違うという人もいるだろう。この場合社会言語が子供のL1となり両親の言語はL2になる。スイッチングに苦労するという話はあるのだが大学院レベルに進学している人も大勢いるのだから「バイリンガルが問題」とはいえない。
さらには差別用語だからダブルリミテッドと呼び変えようという話が出てきた。日本語ではこれについて扱った記事がたくさんあるが英語ではほとんど見当たらない。なぜか日本で活発に議論されている。二つのシーンで使われる。
一つは英会話をいつ始めるかという議論で、もう一つは芸能人がらみの議論である。
芸人の渡辺直美さんが自身の体験を書いている。IQを計測したところ85しかなく、測定した医人に「両言語習得のせいだ」といわれたのだそうだ。この人がどの程度の根拠でそういったのかはわからないのだがかなり配慮の足りない人だったようだ。ソリューションは提示せず「英語の前にまず日本語を磨いたら」と忠告したそうだ。
渡辺さん自身がこう書いている。
その診断を受けてから、自分でも結構調べたんですけど、意外と多いみたいですね、ダブルリミテッド(セミリンガル)という母語が確立できていない状態の人が。
渡辺直美、不屈の精神で乗り越えた過去を独白
つまりテストをした人は彼女が自分の状態について理解する手助けはしなかった。さらにこの記事を書いた媒体もファッション・芸能系なのだろう。社会について取り立てて関心は持たなかったようだ。
当事者が自分のぶつかった障害について書いているのだから「これはこれで良い」とも言える。だがこれを引用する人はバイリンガル=知性が足りない人という主張の論拠に使うかもしれない。だから当事者が発信しているとはいえこれだけを置いておくと差別を助長しかねないということになる。複雑な問題だ。
日本にはそもそもネイティブレベルのバイリンガルがあまりいないために、このダブルリミテッド・セミリンガル問題があまり認知されない。
発言小町にセミリンガルについて聞いたトピックスがある。ほとんどの日本人はモノリンガルなのでこうした現象に対する認識がない。このため議論が明後日の方向に向かっている。「セミリンガルなどという日本語はないからもっと勉強しろ」などと上から目線で叱りつけるコメントから始まっているので、当事者が実社会で助けを求めるのは難しいだろうなと思った。
日本語版のQuoraでは三つの意見がついた。
- 私の周りのバイリンガルは知性がある人たちばかりだからこの問題を訴える人はどこか別のところに問題があるに違いない。この意見はおそらくアメリカではもっとも政治的に正しいものだろう。だが実際には当事者に対して少し差別的な見方になっている。アメリカの政治的正しさが時に反発されるのは、政治的な正しさもPC原理主義化する傾向があるからである。
- 日本語が流暢であるがゆえに苦労している。なぜならば言われたことがパッと理解できないことがあるからだ。この人は最初かなり感情的な書き方をしてきた。複雑な心境が伺える。
- 実際にこういうお子さんの教育を担当したことがあるがソリューションはなかった。早期の英語教育にも同じような問題があるに違いないからやるべきではない。これは実務者の声なので現場に寄り添ってはいるが「手の施しようがない」といっている。未然にどちらも中途半端になる人は減らせるかもしれないが、当事者は救われないだろう。
発言小町と違いQuoraにはバイリンガルが多いので、より深い議論にはなっている。どれもある意味当事者の意見だが両方の言語がL1にならなかった人やそうなりそうな人たちに対して対処法を示した人は誰もいなかった。
当事者は「誰にもわかってもらえない」という意識を抱える上に「教育のされ方が悪かったに違いない」などと糾弾される可能性もあるわけだから、うちに秘めるしかない。「理解されない」という差別もあるんだなと思った。