地方自治の本旨と日本人の政治議論の二重性

大抵の憲法問題というのはGHQが作った草案を英語で読むと元々の意味がわかる。英文はシンプルに書いてありその字義通りに解釈すればいいからである。だが、地方自治の問題はそれでは解決しないということに気がついた。地方自治という言葉がどうやって導入されたを簡単に追跡し、日本人の政治議論の二重性について考察したい。




もともとこの問題を発見したきっかけは「なぜ日本の県は政府とは呼ばれないのか」という質問に答えたことだった。アメリカは連邦なので国(州と呼ばれる)があって政府があるが、日本の県はもともと中央政府から送られてきた監理が監督する地域という意味しかない。これがGHQに<押し付けられた>憲法によってガラッと変わったと考えるのが自然である、

だから「地方自治体というではないか」と思って憲法を見てみたのだが、実は憲法には地方自治体という言葉がない。地方公共団体という言葉があるだけである。

英文を見ても監理使(prefecture)市・町・村という言葉が出てくるだけで、地方公共団体に当たる一般名詞がないのだ。のちに教えてもらった議論によると、GHQの草案には都道府県と市町村の違いが書いてあったそうである。

そこに宙に浮いたように「地方自治の本旨」という言葉が出てくる。これだけを見ると日本側が地方自治という言葉を自発的に提案したように見える。

日本側が後から付けた総則には「地方自治の本旨に基づいて後から詳細を法律で決める」と書いてある。よくわからないので質問を立ててみた。弁護士から回答がつき、当時の国会答弁が引用されていた。だがこれを見ても「地方自治の本旨」という言葉の意味がよくわからなかった。

ここに出てくる金森徳次郎という人は戦前から憲法問題に取り組み右翼から攻撃されて辞任しているそうだ。大村晴一という名前も出てくる。内務官僚を経て県知事を歴任したのちに内務大臣を勤めている。おそらく戦前のややリベラルだった人たちの立ち位置を考えてみるとこの問題のなぞが解けそうだ。

鍵になるのは、GHQ憲法の中にある「県知事などの直接選挙」なのではないかと思う。GHQは連邦国家アメリカの出身なので彼らの頭の中には民主主義的な選挙制度があったはずだ。だが国政レベルでは戦前の議院内閣制を踏襲したものになっている。

ところが地方公共団体は、議会と知事の二元代表制になっている。そもそも戦前は危険思想だった民主主義だけでも受け入れがたいのだが、県知事が「勝手に選挙で選ばれる」ようなことがあると何が起こるかはわからない。今の現状を見てもポッと出のテレビタレントが知事になるというようなことは頻繁に起こっているし、東京や大阪のように国と取引をしたがる知事や沖縄県のように国の姿勢に明確に対抗する知事もいる。戦前のエリート官僚から見るとこれは国体の破壊行為だろう。

GHQが主張しているのだから地方公共団体の二元代表制は実現しなければならない。であれば彼らができることは二つある。一つは「地方自治は国政とは関係がない」と切り離しつつそこに法律を作って国から細かい縛りを入れることだ。つまり、彼らはギリギリの中で中央集権国家の骨格を維持しようとしたのだろう。これは天皇制(いわゆる国体)を守ったのと同じやり方である。

金森答弁を読み直してみると、彼は二つのことを言っている。「国政と地方行政は違う」ということと「地方自治の本旨というのは文字通りの意味である」ということだ。担当者である大村大臣も「一概には言えない」と言っている。表立っては議論できないことがあるということになる。

この辺りが日本人の議論の難しいところである。日本人はナチュラルな二重思考をするので、本当に思っていることが議論の中身を見ても全く見えてこない。

さらに調べたところ、そもそももっと強烈な文章が入っていてこれを空文化させるために挿入した文章だったという経緯を書いた文章が松下政経塾のウェブサイトに見つかった。

「首都地方、市及町ノ住民ハ彼等ノ財産、事務及政治ヲ処理シ並ニ国会ノ制定スル法律ノ範囲ニ於テ彼等自身ノ憲章ヲ作成スル権利ヲ奪ハレルコト無カルベシ」

日本国憲法「第8章地方自治」と地域主権
前川桂恵三/卒塾生

今の沖縄県(当時は設置されていないが)でことをされたら大変なことになる。基地に対抗するために国の権限とされていない範囲で憲章を作って国のやり方に抵抗できる。これが当時の官僚に危険思想と考えられたことは間違いがない。とはいえGHQ草案を示されてから国会審議の間には極めて短い時間しかない。

この憲章作成権を取り下げて条例にしてもらう代わりに「地方自治の本旨」というどうとでも取れる条文を入れたのだろう。つまり空文化を図ったのだ。細かいことは法律で決められるのだから日本の範疇でどうとでもできる。吉田茂内閣は憲法を諦めて法律のレベルで自由度を得ようとしたということがわかる。

当時の憲法に対する日本人の意識は「押し付けられているが変えられない」というものだったのだろう。皮肉なことにこの後、政権から放逐された左派勢力がこのGHQの睨みを継承することになる。

こうした二重性は今でも政治の世界で多用される。安倍政権の「ご飯論法」はその劣化バージョンでしかないと言えるのかもしれない。

例えば地方創生という言葉がある。文字通りにとれば地方が自活してゆくための創生という意味だろう。だが、現在を生きている我々の中でこれを文字通りにとっている人は誰もいない。地方創生の本旨は「国のカネで地方をどう助けるか」という議論である。その源流は竹下内閣のふるさと創生資金ではないだろうか。消費税の世間の批判を回避するために竹下首相が地方にばらまいた1億円である。

安倍政権では新型コロナの対策のまずさを隠蔽するために国民に10万円ずつばらまくことになった。発想は一億創生資金と同じようなものであろう。安倍総理は国民を一つにするための10万円だと言った。国民は心を一つにして自民党を支えなければならない。

日本人は本音と建前を分けることで本質的な議論を避けている。良い言い方をすれば「事実を優しく包み込む包摂的な優しさを持っている」のが日本人だ。悪い言い方をすれば決して自立できない地方という厳しい現実から目を背けている。

制憲当時の人たちが地方自治をどう考えていたのかはわからないのだが、憲法に地方自治の本旨の定義が書いていないということは参議院の憲法審査会でも問題になっているようだ。憲法議論というと憲法第9条ばかりが問題になってしまうのだが地方自治も大きなテーマであるべきだろう。

特に今回の新型コロナ対策では法律は地方分権ベースになっているのだが予算の裏打ちがないことが問題になった。つまり権限だけ渡しても予算がともなわなければ実効性のある対策にはならない。地方分権の議論の源流には70年前の官僚の抵抗運動の歴史があるのだろうなあと思った。

左派の人たちは憲法第9条にこだわるあまり地方自治の自由度を下げてしまっている。勉強不足のせいなのだろうが、これは皮肉なことだと思う。

Google Recommendation Advertisement



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です