今日のトピックはPCR検査なのだが実際に考えるのは日本の政治言論空間の有り様である。これがわかると割とニュートラルにTwitter言論を眺めることができると思う。この次にQuoraで起きた炎上事件について書くので、それとセットでなんらかの結論を出せればいいなと思っている。
新型コロナウイルスが日本に入ってきた時、おそらく「コントロール権を国立感染研が握りたい」という思惑があったのだろう。検査を独り占めにしてしまい検査の数がこなせなかった。ところがここから「政府がオリンピックを目前に感染者数を隠蔽しているのだ」という陰謀論が生まれた。何が何でも政府の過失を証明したい人たちがいる。
実はアメリカでも同じ検査キットが足りないという問題が起きているのだが「アメリカの新型ウイルス検査は「失敗している」 保健当局トップが認める」とBBCが伝えるように当局が誤りを認めている。逆に問題を認めようとしないトランプ大統領が非難されており、社会が問題を一緒に解決して行こうという気概を持っていることがわかる。問題を解決したいという意思がある限り間違いが非難されることはない。
だが日本ではそうならない。
日本では陰謀論に対するカウンター言論がすぐさま立ち上がった。こうしたカウンター言論の母体がどうやって成立したのかというのは興味があるところだが、カウンター言論は「反政府言論を押さえ込んでドローに持ち込んだら俺らの勝ち」という謎ルールを持っている。いろいろな情報を持ちだして「ファクト」として発射することで判断能力に対する飽和攻撃を行うのである。判断停止に追い込んだら防衛成功で彼らの勝ちである。
こうして日本では問題解決ではなく、手段である検査数自体が関心事になってしまった。最近の日本の政治言論はどれもこの形式に「堕ちて」ゆく。カウンター言論がよりどころにしたファクトに「イタリアの医療崩壊」がある。日経新聞が伝えている。
感染者が急増した理由に挙がるのが医療現場の崩壊だ。イタリアは、これまでに新型コロナの検査を5万4千件以上してきた。感染者を確定させる狙いだったが、軽症の患者も徹底的に検査したため、病床が満杯に。医師や看護師の不足に拍車がかかり、感染が一気に広がった可能性がある。
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ここから「反政府系の奴らのいうことを聞いて全数検査していたら大変なことになっていた」という単純化された議論が生まれた。
政府の対策と距離を置いている岩田健太郎教授などは「イタリアが検査体制を充実させたから医療崩壊したとは思わない」と言っている。実際にイタリアの事情を調べてみても、財政危機から医療制度の脆弱化が起こっており新型コロナウイルスが崩壊の引き金をひいだたけとみたほうがよさそうである。検査体制の問題は事実の一部ではあるが全体ではない。
これは日本人が視野狭窄を起こしてゆく一つのパターンになっている。孫正義さんが「100万人分検査寄付」という話をしたがこれが炎上したようだ。数時間で撤回してしまったそうである。視野狭窄に陥っている日本人は「100万人分の検査キットなどホラだ」だと思ったのかもしれない。
だが、日本も簡易型キットの開発を進めている。障壁になっているのは感染研の縄張り意識である。彼らは感染症研究のトップにいたいのだが、おそらくなんらかの理由で技術的にキャッチアップできなくなっているのだろう。規制を盾にベンチャーを排除しようとしているのかもしれない。
検査キットの精度を上げるには「ウイルスの分与」が必要だが、厚生労働省と国立感染症研究所が管理・管轄している新型コロナウイルスは、一定レベルの基準を満たした施設がなければ入手できない。
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そうこうしているうちに中国企業の開発したキットが日本に入ってきた。
このキットは、イムノクロマト法(抗原抗体反応を利用する検査方法)の原理に基づき、中国の提携先企業が開発したもので、国内に輸入して販売する。中国の診療ガイドラインにも採用されている検査手法で、国内では衛生研究所、臨床検査会社などに販売する予定としている。
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我々の頭の中には次第に「患者数が増えたら彼らが押しかけて医療機関がつぶれるのではないか」という思い込みが形成されていると思うのが、検査したからといって感染者が増えるわけではない。さらに中国式のやり方は綿棒を突っ込むわけではないのでその時に飛沫感染が起こることはない。もちろん血液を使うので誰もが簡単にできるわけではないだろうが、実は危険性は減っているのである。
おそらく孫正義さんはそのいずれかを知っていて「政府がやらないなら自分が」と思ったのかもしれない。おそらく、政府は何かを隠蔽しようとしたわけではなく単にムラ意識からよそ者を排除しようとしているだけなのである。だが日本の政治議論は「検査するしない問題」で揺れ続けており、こうした事情には目もくれない。孫正義さんは提案を引っ込めてしまったので、日本人はせっかくの機会をみすみす逃したことになる。
この反政権・カウンターという議論空間が形成されるのは、おそらく一連の議論に締め切りがないからだろう。日本はあまりにも長い間変化から取り残されてきたために、議論が出てきたら「とりあえずドローに持ち込んでしまえば勝ち」という不毛な議論空間ができてしまっているのだ。
そしてそうした議論をしている間は外でどんな変化が起きているのか気がつかない。延々と続く議論は不毛ではあるが、闘争が生み出す一体感は参加する人々に社会的報酬を与える。おそらくその中にいる人たちはどこか心地よさを感じているのかもしれない。