ナイジェリア人の男性が6月に入管施設で亡くなった。これを受けて入管側が「自分たちの措置に問題はなかった」とする報告書を出した。このニュースに反応する人たちがいて「国際問題になる前に」人権状況を改善するべきだと言っている。
このニュースに反応している人たちは「餓死するとはかわいそうだ」という印象を持っているのだと思う。ところが調べて行くとこのナイジェリア人が単にかわいそうな人でなかったこともわかる。とはいえ人間が意志の力で餓死するというのはやはり大変なことだ。それほど強い「帰れない」という気持ちがあったか、閉じ込められているうちに他のことが考えられなくなっているのだろう。人権問題として取材するなら背景情報を掘り下げたほうが良いだろうと思える。
薬物の常習性を隠して伝えた朝日新聞
まずわかる点から整理していこう。この男性は2000年にナイジェリアから日本に来た。それが難民申請だったのかそうでないのかは不明である。日本にもナイジェリアコミュニティがあり合法的に入ってくる人たちはいる。また入管施設とあるように大村の施設は収容所ではない。出国が前提になっているがそれを拒んでいるといる人を「日本国内に戻さないようにする」ための施設である。ハフィントンポストは彼の犯罪歴として「窃盗」しか書いていないが発表によると薬物事案でも捕まっていたようであり、少なくとも当局側は常習性(薬物の常習性なのか犯罪の常習性なのかはわからないが)があったと言っている。つまり朝日新聞は情報を隠していることになる。
朝日新聞が情報をマスクしたのは「薬物事案」となると「人権問題としての餓死」という側面が議論されなくなるからなのだとは思う。しかしこうした一連の配慮が朝日新聞を信頼できない新聞にしているのも確かなことだろう。情報を隠蔽していると取られかねないからだ。
ナイジェリア
ナイジェリアはアフリカでは最大の約1億9000万人の人口を抱える国である。2006年から2014年ごろまでには6-8%程度の高い経済成長を実現していたがこのところは成長が鈍化していた。JETROが2018年の状況をまとめているが石油価格によって国の経済が大きく左右されるという事情がある。一方で、確かに輸出の90%を石油に依存しているが内需はそれなりに伸びているというレポートもある。またECOという新通貨を作って西アフリカに3億8500万人の統一市場を作ろうという動きもあり人口が多いナイジェリアはその中の主要国になるだろうことが予想される。ナイジェリアは一言では語れない国だ。
国内にはハウサ人・ヨルバ人・イボ人という異なる三つの民族集団がいる。しかし、人種が地域間対立の原因になり内戦まで起きている。このため人口調査ができないようだ。さらに話される言語が500語あり、キリスト教とイスラム教という対立もある。一つのアイデンティティでまとまるということはできそうにない。日本の常識では語れない国なのである。
このため北部を中心に治安が悪化している。有名なのはボコハラムである。グローバル化へのイスラム抵抗運動だがかなり非人道的な行為が横行しているようだ。人身売買や虐待も常態化しているようで、最近も「拷問の家」から人々が救い出されたというようなニュースもあった。さらに女性を拉致してきて子供を産ませて労働力として売り払うということも起きている。レイプもひどい話なのだが国内に奴隷市場があるということがほのめかされた記事だと思う。この「赤ちゃん工場」は首都近くの話なので北部だけでなく全土で統治がうまくいっていないことがわかる。
ハフィントンポストの2017年の記事はビジネスセクターには優秀な人たちが揃っていると書いている。アメリカに留学した人が多いためだそうだ。ただ官には人材がいないという。石油さえあれば経済が回ってゆくという国で官僚に意欲がなくなるのは当然のことである。政府の規範意識は民政化によって崩壊し汚職が蔓延しているそうだ。石油を売れば金が入ってくるわけだから富国強兵に務めるより手っ取り早く石油の上がりを掠め取ったほうがよいのだろう。
今回の問題を朝日新聞のように「かわいそうな収容者が餓死した」と括りたくなる気持ちはわかるのだが、実際にはそんな生やさしい話ではない。政府が全く信頼できない国からやってきた人たちすべてが日本人と同じような遵法意識を持っているとは思えない。仲間を頼って生存競争を勝ち抜かなければならない。
例えば、ナイジェリア系日本人のボビー・オロゴンさんは現地で経済系の大学を卒業しているようだ。現地で言えば10%のエリートなのである。今では日本語で投資哲学について講演したりしている。このように教育を受けていたり留学経験があるナイジェリア人もいれば現地で生き抜くのに精一杯というナイジェリア人もいるのだろう。こうした人たちを一緒くたにして語ることはできない。そして現実問題としていろいろな国からいろいろなバックグラウンドの人が入ってくる。今後外国から人を受け入れればもっと状況は複雑になるはずだ。
どうしても白黒はっきりつけたがる日本人
この記事はもちろん「移民問題など面倒だから入管に押し込めておこう」というのが問題の根源になっている。現地に戻ることも難しく定着教育にも多額の費用と人的リソースが必要になるだろう。周囲のサポートが必要だが日本は社会システムが複雑化しすぎていて余所者が入り込める隙間がない。すると日本人は判断停止に陥り問題をなかったことにしてしまう。この場合長崎県大村という場所にそうした人たちを閉じ込めているわけである。
入管施設は事実上の収容所と化している。日本の学校教育ですら自殺者がでているのだから、管理されて先が読めない施設で外国人たちの精神状態が極めて近視眼的になってしまうのは無理がない話である。食事があり医療施設もある空間でみんなに知られながらいきたいという本能に争ってお腹を空かせて死んでゆくというのは極めて異常な精神状態だ。
一方で「収容者=かわいそうな人たちだ」といって騒ぐのもまた反対側の思考停止である。朝日新聞が「薬事事案で逮捕歴がある」ことを報道できなかったのは、彼らもまた「薬事事案=けしからん人たちだ」という偏見を持っていたからだろう。しかし、それが報道できなかった気持ちもわかる。入管の人権問題を探っているうちに例えば六本木のナイジェリア人支配の話を取材しはじめると多分議論の質は全く違ったものになってしまうだろう。どうしても白黒はっきりした話を好む日本人に向けて「味付け」がなされてしまうわけである。
つまりよく考えてみるとどちらも思い込みで思考停止しているだけだ。そして白黒はっきりしないと考えること自体をやめてしまうのだ。しかし日本人が考えるのをやめても問題そのものはそこに存在し続ける。もし再発防止や人権問題についてきちんと分析したいならこのナイジェリア人の男性がどこから来てどんな人生を送ったのかということを正確に伝える必要があるのだろう。