演歌の誕生 – 日本人にとって理論化とは何か

政治問題を扱っていると「保守とは何か」という疑問にぶち当たる。「だいたいあの界隈ね」ということはわかるのだが、本質を抜きだそうとしても抜き出せない。本質が抜き出せないためにそれに対抗しようとすると対抗運動も崩壊する。




「日本の保守が害悪だ」とするとそれを潰したいわけだが、それが潰れない。だからいつまでたっても我々の社会は停滞したままだというのがこのブログの考えている行き詰まりである。そしてそれを我々は野党がだらしないからだと説明している。でもそれは説明になっていないし何の解決にもならない。

こんな時にはどこか別のところからヒントが降りてくることがある。今回のそれは演歌だった。後付けだが歌謡曲の保守思想である。この演歌というジャンルは1970年にはすでに存在しており「昔からあった」ような印象がある。ピンクレディーが奇抜な歌謡曲を歌っていた時「昔からずっとやっている歌手」が「日本の伝統である演歌」を歌っていたという感じなのだ。

Quoraで回答するためにその演歌について調べた。回答そのものはいい加減なものになったが調査の読み物はとても面白かった。演歌は実は昔からあったジャンルではない。1970年代に新しく作られたジャンルなのだ。

もともと演歌の演は演説の意味だった。川上音二郎が元祖とされているそうである。ところが政府が政府批判を認めなかったこともあり政府批判を基盤とした演歌はなくなる。そして、大衆音楽の中に溶け込んだ。個人としての日本人は社会や国家などは扱わせてもらえなかった。個人で自由に表現できるのは個人の心情だけだったのである。小説の世界では自己を確立して外に打ち出すこともなく、心情を扱う私小説が流行したりしている。

大衆の歌は流行歌と呼ばれたようだが、これとは別に艶歌と呼ばれる一連の歌モノがあったようだ。楽器を使って街中で歌本を売り歩くような人たちを艶歌師と言っていたようだ。艶歌はプロモーションの一環であり歌は売り物ではなかった。

戦後、流行歌は次第に西洋音楽を取り入れて変わってゆく。基地まわりをする人たちが西洋のジャズなど取り入れて新しい流行歌を作った。高度経済成長期になると、都会に出てきた地方の人たちが望郷の念を募らせ歌を聴くようになった。ニーズを持ったユーザーの集まりも生まれた。しかし、グループサウンズやフォークなどが出てくるとこうした歌は「古臭い」として嫌われるようになってゆく。時代が急速に変化しアメリカから新しいジャンルが次から次へと出てきていたのである。

そんな中、五木寛之が1966年に「艶歌」という小説を出して「艶歌の再発見」をした。つまり西洋音楽に乗らない日本人の感情を歌ったのが「艶歌である」と言ったのである。「演歌、いつから「日本の心」に? 流行歌が伝統の象徴になった瞬間」によると、もともと西洋音楽と日本の音楽を雑多に混ぜ合わせた「流行歌」というジャンルから再構築されたのが艶歌である。そして1950年代からこうした歌を歌っていた人たちが演歌を自認するようになってゆく。春日八郎がその最初の一人であろうとWikipediaは言っている。

ここで「艶歌」という名前がなぜか「演歌」に変わっている。この「演」という言葉がどうして再び出てきたのかという説明をしている人は誰もいない。おそらく昔からあって文字が簡単だったのでプロモーションに使いやすかったのではないかと思う。この時点で演歌は昔からあったということになっているのだから、もはやもとの「演説」という意味を意識することはない。その実態は古びた望郷の歌だったのである。

まず正当化すべき内容がありそのために正当化に使えそうな箱を見つける。そしてあとはその箱の中で好き勝手にやりたいことをやる。これが日本的なジャンルの作り方なのである。ただ、これだけだと例が一つしかないことになる。J-POPについても見てみよう。

演歌を古びた地位に追いやった一連の音楽は歌謡曲と呼ばれるようになる。これも意味があるようなないような不思議な名前だ。だがやがて若者は歌謡曲に飽きて洋楽を聞き始める。昭和の終わり東京に英語で音楽を流すJ-WAVEというFM局ができた。ちょうどテレビでMTVなどをやっていた時代だ。

WikipediaのJ-POPの項目をみるとJ-WAVEがこれまでの歌謡曲と違った新しいポップスにJ-POPという名前をつけたことになっている。1988年から1989年にかけてのことだ。ちょうど平成元年頃の出来事ということになる。J-WAVEは日本の歌謡曲の中から「洋楽と一緒に(つまり英語で)紹介しても」遜色がない音楽を集めてJ-POPという箱を作ったのだ。古くさいと思われていたものをリパッケージ化したのである。

だから、あとから演歌とは何かとかJ-POPとは何かと言われると実はよくわからない。平成の最初の頃の洋楽っぽい音楽もJ-POPだが「AKB48」も「モーニング娘。」もジャニーズが歌う演歌っぽい音楽もJ-POPである。単に正当化の道具なので誰もJ-POPがなに何なのかということは考えない。

面白いのは平成元年頃に作られたJ-POPという音楽が今でも使われているということだろう。これに代わる新しい言葉はできていないわけで、それはつまり新しい音楽の聞き手が現れていないことを意味するのだろう。邦楽は30年もの間J-POPから進化しなかった。アメリカから流行を取り入れるのをやめてしまったからだろう。

音楽では演歌はただ忘れ去られてゆくだけだ。誰も演歌に不満をいう人はいない。保守に対して文句をいう人が多いのは実はそれに変わる新しいものが現れていないからなのである。

もともと保守にも実態はない。それは戦後の民主主義思想に乗り遅れた人たちがこれこそ日本の伝統であったという再評価をして自身を正当化しているに過ぎないからである。そしてそれに対抗する人たちも、社会主義・革新・リベラルという名前をつけて正当化を図っているに過ぎない。保守という実体のないものへの対抗運動なのでさらに実態がない。つまり、保守やリベラルをどんなにみつめても課題や問題点は見つけらないことになる。

音楽の流行は西洋音楽によって作られる。日本でこれが起こらないのは、多分日本人が新しいものを作ろうとはしないからである。なので、西洋から新しいものが入ってくるまで日本人は今の状態に文句を言い続けるはずだ。

面白いことに一旦箱ができてしまうとそれは人々の気持ちを縛る。多分演歌界の人たちはファンも含めて「これが演歌である」という経験的な合意がある。それに合わないものは「伝統にそっていない」として排除される。保守にせよリベラルにせよ「我々はこうあるべきだ」という思い込みがありそこから動けなくなるのだろう。

平成というのは西洋から新しいものを取り入れるのを諦めてしまった停滞と安定の時代だったということになる。停滞に文句は言っているが実はそれが日本人にとって居心地の良い状態なのだ。

Google Recommendation Advertisement



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です