本日のエントリーはある意味失敗作だ。最初に日報を隠すのがどうしていけないのかということを説明しようとして失敗した。隠してはいけない理由が見つからなかったのである。
前回、日報を隠すのはクレジットカードの明細を隠して総額だけを渡すようなもので、それは社会通念的に認められるものではないと書いたので、これは全体の筋立てに無理があったということになる。つまり、日報を隠すのは法的にはいけないことなのかもしれないが、必ずしもいけないとは言い切れないということである。
例えば、全体例に出したクレジットカードの場合には、支払いという社会的な義務を正しく行うことが重要だ。もし、クレジットカード会社が「支払いがなかった」かのように振る舞うと利用者はどう思うだろう。最初は裏があるのではと疑うかもしれないのだが、周囲の人にも請求書が送られていないことがわかると次第に慣れてしまい「まあ、いいか」と思うかもしれない。
もちろん、誰かが支払いをする必要があるわけだから、請求は回り回って大きくなるはずである。だが、その結果がわかるまでには時間がかかる。それまで「なかったことにしょう」と思う人も出てくるかもしれない。
日報は不都合なことが書かれていた。自衛隊は憲法の制約があり戦地にはいけない。それは彼らが軍隊ではないからである。だから行った先は戦地であってはならない。しかし、非戦地が戦地になったからといっていち早く撤収することはできなかった。それは「かっこ悪いから」である。外国には軍事的貢献をしていると見られなければならないので撤収の決断ができなかったのだろう。
確かに、送り出した人たちは悪い。だが、反対している人たちも「本当に軍事的な国際貢献が必要ないのか」とか「この状態で本当に日本人だけが逃げ出してもよいのか」ということを議論しなかった。
政権運営に失敗して国民の信任を失った野党には他に攻め手がなかった。軍事・防衛は彼らにとっては格好の逃げ場だった。戦争がいけないという意見に反対する人はおらず、実際に戦争が起こるような状況にも置かれてこなかったからである。
もちろん、ここを攻められる原因は与党側が作っている。これまでだましだまし既成事実を作ってきたから法的な整備が一切進まず、さらに国民の理解もえてこなかった。
加えて、軍事防衛に固執するようになってしまった野党に対峙するうちに「あのうるさい野党が唯一根拠にしている憲法さえなければ、日本はもっと国際的に尊敬されるのに」と考えるようになる。さらにそれを単純化して「軍隊さえ持てば世界から尊敬される」などと考えるようになってしまった。
日本は今回の朝鮮半島対話から完全に切り離されている。これは、日本が軍隊を持たないからではなく、国内的な意思統一ができていないからである。
日本はアメリカの周辺国家に留まるのか大国として振る舞うのかというポジショニングの問題を解決していない。仮に大国として振る舞うなら「主権」に対して国民が関心を持つはずで米軍の常駐に拒絶反応が出るはずだ。しかし、日本人は軍事的にはコンパクトのような協定を憲法の上において満足している。コンパクトのような自由協定は軍事基地を置く以外に主要な産業がないような小さな国々にとっては合理的だが、日本にとっては必ずしも合理的なシステムとは言えない。それは政策オプションがアメリカのポジションに制約されるからだ。小国としてもピボットができなくなるので不利に働くということは以前のエントリーで説明した。
日本政府に大国指向があれば周辺国を挑発することはないはずだ。これは中国が経済圏を作ろうとしている大陸中央部の国を挑発しないのと同じことである。だが、実際に安倍政権がやっているのは中国への対抗心からくるバラマキであり、一帯一路のような戦略性が見られない。
野党に対峙していくなかで、日本政府の軍事・防衛戦略は「ボーイズクラブの妄想」のようになってしまった。幼稚な中国への対抗心や軍隊を持ったらもっと威張れるはずというような国家像なので、大人になる前の中学生的な妄想と言って良いかもしれない。
戦争は全部いけないという野党、軍隊を持ったら強くなって威張れると考える与党、面倒なことを考えたくない国民。これを総称して「文民」と呼んでいる。これが統制しているのが自衛隊である。
ここまで考えてくると日報の隠蔽問題がどうして国民の間で問題にならないのかがわかる。つまり、何も考えたくないし、不都合なことは見たくないからだ。だから、日報が隠されるのは実は「文民の要望だ」ということになる。野党は騒いでいるのだから非難の対象から除外されるべきだと考える人がいるかもしれないが、彼らは政権が欲しいかあるいは気に入らないから騒いでいるに過ぎない。問題そのものに関心があるわけではない。
国民は無関心から自衛隊を難しい立場に追いやっているという点で改竄や隠蔽に加担している。しかし、みなさまのNHKは優しさからくるのかもしれないが嘘をついている。それが表題になっているNHKのニュースの伝え方である。つまり、文民統制に違反しているとほのめかすことで国民の責任を曖昧にしているのである。
日報は国民が「不都合なものはみたくない」から隠されてきた。しかし、隠すこと自体は悪いことであり肯定できない。そこで「文民統制の点で問題がある」という認識にすり替えた。もともと統制するつもりがなく不都合があれば現場で適当に対処せよといって送り出しているのに、実際に文書が隠されていることがわかったら「軍人(自衛隊)が勝手にやった」「暴走した」と騒いでいる。これは戦前の国民が大陸進出を支持したのに、結果的に失敗して第二次世界大戦で負けた途端に「大本営発表で隠蔽した」とか「関東軍が勝手に暴走して戦争を始めた」などと騒ぎ出したのに似ている。
クレジットカードのたとえに戻ると、日報を見るということは「使いすぎてしまった明細を受け取る」のと似ている。ここで「なぜお前はそんなに使ったんだ」と夫が妻を攻め立てて、妻が黙ってしまうというような話である。だが、ここでやらなければならないのは「なぜそんなことが起こったのか」を検証することであって、離婚だ、家を出て行けと騒ぎ立てることではないはずである。
しかし、日本人は戦前と同じ過ちを繰り返そうとしている。誰かが勝手にやったことだと騒ぎ立てて問題の解決を避けている。確かに文書の隠蔽はいけないことなのだが、この話は多分そこで終わらせてはいけないのではないだろうか。