空っぽだからこそ支持される「小泉進次郎」という現象

小泉進次郎さんが新しい環境大臣になった。空っぽな人だなあと思った。その空っぽさゆえに支持されるのだろうとも思った。「小泉進次郎」という現象を見ていると我々日本人が政治に何を期待しているのかということがわかる。小泉さんが一生この現象に付き合って行けるかという点は問題だが、それは本人が解決すればいいことだ。




小泉さんは結婚発表を官邸で行った。この際に育休について聞かれ「考えている」といった。ところが大臣になってしまえば育休は取れそうにないですねと問われると「育休が問題になるというのは記者たちが古くさすぎるからだ」と言いだした。嫌な感じは全くしなかった。条件として「奥さんの心理的負担を減らす」と付け加えたからである。

視聴者の頭の中には「奥さん思いのいい男」という印象だけが残ったことだろう。よく考えると育休の話は全く解決していない。つまり、小泉さんは問題を解決せず本人を感じよく見せることを優先したのだ。逆に問題を解決しようとすれば議論が起こる。政治に問題解決を期待しない日本人にとって、議論は単なる嫌な揉め事に過ぎない。誰も政治家に問題解決は期待していない。だから小泉さんの人気はまた上がった。

原発の排水問題についても同じ手法が取られた。排水の問題は担当ではないと言い切った上で「小名浜の魚連会長」の実名を出した。小泉さんは小名浜の魚連会長の名前も知っているのか!という驚きが感じられるが、実は問題は何も解決していない。そして大臣就任の時に原発依存しなくていい国の仕組みを考えるとも言ったが、考えるだけで問題を解決すると言っていない。そして実際に問題が起きている千葉ではなく福島に向かった。

小泉さんは人の話をよく聞くし彼らが欲しい答えを返してくれる。つまり話を聞いている人には「ああ、小泉さんは我々のことをわかってくれているんだなあ」という印象は残る。しかし、その一方で実は何も解決はしていない。よく考えてみると10年の間に小泉さんが「これを解決した」というよく知られている課題は何もないはずだ。

問題を解決しないが話も聞かない人もいる。その代表が安倍首相である。北朝鮮拉致問題でスターになった安倍首相には官僚組織を率いて問題解決をした経験がない。安倍首相は自分が見下している人の話は聞かないので一部の人たちから蛇蝎のように嫌われるのだが、根っこは同じである。単に見せ方を変えて敵を作らないだけで印象がこうも変わってしまうのである。

小泉さんの人気は高い。何も解決しないことは失敗にならない。だが、問題に取り組んで軋轢が起こればそれはすぐさま失敗になる。何も取り組まないことで「失敗していない感じのいい人だ」という印象が残る。日本は失敗した人を叩く社会であり、失敗しない感じのいい人が高い得点を得られることになっている。小泉さんは人気が高かった小泉純一郎首相の息子であり、兄が俳優になれるほどのイケメンで、まだ何も失敗していないというだけで好感度があがる。日本人はそれを喜んで支援するのである。

新聞は「成果をあげれば」といっているがこれは建前を自動的にタイプしただけのことだろう。指が勝手に動いて書いてしまったのだ。実は何もしないで情報発信だけしていた方が小泉さんが首相になれる可能性は高まると思う。単に日本は古くさいねといっているだけでいいのだし社会はそれを望んでいる。

次の首相にふさわしい人物について、日経新聞が2日に報じた世論調査では、小泉氏が29%でトップ。2位は安倍首相、3位が石破茂元幹事長だった。菅義偉官房長官は先月、小泉氏の入閣について会見で問われた際、党の農林部会長や厚生労働部会長として「経験を積んでいる」と評価。「今後の活躍を期待している」と語っていた。

小泉進次郎環境相、38歳で初入閣-「ポスト安倍」試される手腕

実は小池百合子元環境大臣も同じような感じで首相候補と見なされ、実際に総裁選に出たりした。彼女も「感じがよく男性社会に挑戦してくれそうな」ところが良かった。組織の調整などをした経験はなく、したがって実際に組織やプロジェクトを持ったところで失速した。日本だけの問題ではなく「ピーターの法則(ダイヤモンド出版)」として知られる。

希望の党という政党で大混乱したが小池さんの人気がなくなることはなかった。一度感じが良いという印象が着くとそれが残像のように残る。政治家本人が問題解決志向にならずお人形さんとしてとどまる限りそれで構わない。職業としての政治家を選んだ以上ファッションモデルのように周囲が着せ付ける政策を選んできれいに見せていればいいのだ。それが日本人が求めるプロの政治家なのである。

西洋型の民主主義では「どんなビジョンを持って何をやったか」が重要視される。例えば韓国では検察改革というビジョンがありそれが軋轢を生んでいる。またイギリスの政治家たちは周囲に混乱をもたらすことがわかっていてもブレグジットを前に進めようとしている。ボリス・ジョンソン首相はついに「女王に嘘をついたのでは?」と疑われるようになってしまった。問題解決こそが政治でありそのためには嘘もやむをえないとジョンソン首相は思っているのだろう。

ところが日本人は「何もしないし何も決断しない」リーダーを求めるという傾向がある。その意味では日本人は政治に期待をしていない。坂本明也関西大学法学部教授が日本人は助け合いも政治も嫌いだということを調査や論文を元に解説している記事が見つかった。坂本さんは次のように結んでいるが、おそらく日本人が自発的にそんな議論を始めることはないだろう。

筆者としては、日本人の(低投票率に限られない)「政治嫌い」と「共助嫌い」の現状、その改善の必要性の有無、また改善するとすれば何が求められるのか、について深く生徒らに考えさせる機会をぜひ設けてほしい、と願っている。

日本人は、実は「助け合い」が嫌いだった…国際比較で見る驚きの事実

日本人は助け合いができず問題が起これば自己責任に押しつぶされてしまうから身動きが取れなくなる。また、政治家はどこかのレベルで何らかの組織を率いなければならなくなる。

しかし、それでも日本人は何かの組織を率いて失敗した人を「汚れた」として嫌う。こうやって日本人はだんだん身動きが取れなくなり、国が開いている以上は最終的に「思い切った行動」に出て失敗するだろう。それは最終的には悲劇かもしれないが、それを求めているのもまた日本の有権者なのだ。

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わからないという不安 – 日本人が集団で相手を非難するのはなぜなのか

ABCニュースのトップはボルトン氏の辞任の話だった。大統領は自分がクビにしたと言っているが本人は自分から辞めたと言っている。既定路線だったようで特に分析などは出ていないのだが、やはりニュースといえばニュースである。ところが日本のニュースはまだ内閣改造に搦めて日韓関係をやっている。「内閣改造は対韓強硬路線を示すために行う」というのである。日本のマスコミは安全毛布としての韓国にしがみついている。




Twitterをみると安倍内閣が千葉を忘れて内閣改造に没頭するのは何事だというつぶやきと復旧に奔走する野党議員を罵倒するつぶやきが見つかった。こちらも状況がわからない外野が騒いでいるようだ。

この様子を見るだけで日本人がどんな精神状態に置かれているのかがわかる。誰かを非難したくて仕方がないのだがそれが自分に跳ね返ってくるのが嫌なのだろう。そこで叩けるものを叩いて騒いでいる。誰かを叩くのは多分不安だからだろう。

日本人はアメリカには勝てないと理屈抜きで考えているのでアメリカがうまくいっていないというニュースは見たくない。一方韓国には勝てると考えていて、韓国関連のニュースを見たがる。旧秩序に基づいて現状を見ている。見えるはずのない歪んだメガネだがどういうわけかものの見方は変えられない。

電気については「面白いなあ」と思うことがある。電気が復旧しないのには必ず理由があるはずである。多分現場は何が起きているかを知っているだろう。だがテレビ局が見たがるのは「災害のすごい絵」と「責任者の処断」である。マスコミは常に部外者なので大きな絵を切り取りたがる。原因がわからないから次第に「誰を非難するか」に意識が向かう。こうして問題解決から意識が遠ざかって行く。

不思議だと思っていたのだがようやく理由がわかった。つまり「何がどうなっているのか」がわからないものを外から触っているからこういう絵しか流せないのだ。原因が分かればその原因について説明すればいいのだが、それができないのだろう。ニュースアンカーもレポーターの紹介係になっているだけで情報を統合しない。というよりそういう発想がないのだ。

初動の時期に東京電力に話を聞いてみて思ったのだが、各現場は情報を持っている。ただそれを他部署に伝えたりお互いで共有しようという発想は全くないようだ。聞かれるまで黙っている人と教えてもらうまで黙っている人がいる。そしてそれがマスコミによって無理やりにつなげられるとストーリーがでっち上げられ炎上する。SNSの発展によりショートする回路は格段に増えている。

電力会社に質問すれば答えは教えてくれる。東京電力の職員は千葉市役所の本庁舎にも常駐しているそうだ。つまり話を聞ける人もいる。すなわち「質問ができる人がいない」ということになる。

何を聞いていいのかがわからなければ何も伝えられない。日本の新聞記者は受け身の日本式教育を受けて記者クラブで与えられる情報を餌にして育つのでそうなるのだろう。問題意識を持って「これはこうなのじゃないか」という仮説が立てられない。仮説を立てて推論ができないと何が起きているのかがわからない。あとは騒ぎに乗るだけである。

同じことが多分日米関係にも言えるのだろう。日本人はアメリカで何かが起きていることはわかっている。だがそれが何なのかがわからない。誰も正解を教えてくれないからである。

アメリカはそれを仮説を作って説明しようとする。

イアン・ブレマーが面白いことを書いている。トランプ大統領は症状であり原因ではないというのだ。つまりトランプ大統領が問題を引き起こしているのではなく、問題の結果がトランプ大統領だということである。イアン・ブレマーは極のない世界という世界観を持っているので、その症状は無秩序だろう。今回はジオポリテックリセッション(地政学的不況)という言葉を使って説明しているようだ。

イアン・ブレマーはこれを地政学的不況というコンセプトで説明しようとしているものは、結局なんだかよくわからない。ただ、言葉を与えるだけでお互いに共有できるようになるという不思議な作用がある。とりあえず古い体制に戻ることはなく新しい状態に移るためのトランジショナルな状態にあるのだと考えることで、ようやく話し合いの糸口が掴める。日本人はこれをやらずに単に騒いでいる。騒げば誰かがなんとかしてくれると思うからなのかもしれない。しかし、騒いでも状況が元に戻ることはない。

イアン・ブレマーの仮説がどれくらい正しいのかはわからない。重要なのは「大きな仮説」を立てて包括的に物事を眺めることである。つまり、元には戻らないがかといって、この世の終わりでもないということなのだ。

日本人が仮説を立てて何を質問すべきなのかが考えられないのは多分学校教育のせいだろう。正解を学ぶことしかしないので自分で問題意識を持って調査しようという気持ちになれない。だから今のテレビを見ていても不安になるだけだ。だが、もうテレビを非難しても何も解決しないだろう。だから学校教育についてせめても何の役にも立たない。

我々にできることは多分自分で新しく情報を集め始めることだけなのだ。

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千葉市の台風被害と停電状況について

千葉市の上空を台風が通過した。ものすごい風だったのだが台風は過ぎてしまえば生活はもとどおりになるだろうと思っていた。だが大規模な停電が発生し、街は依然混乱したままである。今回はなぜ停電が発生し復旧に時間がかかったのかを考えたい。問題は多分街路樹である。




通過直後、近所の桜の木が軒並み倒れていた。どうも桜は根の張り具合が悪いようだ。

また、物置や自転車置き場などが潰れたりしていた。あまり想定されていないレベルの風が吹いたのは確かなようである。BBCまでも過去最強だったと伝えている。

このため停電が相次いだ。この停電状況を伝えるテレビ報道が大雑把だった。千葉県南部(君津市など)はかなり太い回線がやられたらしく全面停電が起きているようだ。だが、千葉市は電気が全く来ていない街区と平気な街区が細かく分かれているのだ。

住んでいる地域はなんともなかったのだが、隣の町は1,000件程度が停電したそうで今も復旧していない。停電をすると信号も止まってしまうし病院も診察中止になる。これがテレビでは伝わっていない。Twitterではもっと大騒ぎになっていて「千葉が大変だ」というようなツイートが流れている。なぜか安倍政権が批判されていた。多分千葉を知らない人が騒いでいるのだろうなあと思ったが、なんでも利用するんだなあと思った。

意外だったのが電車が軒並み止まってしまったことである。成田空港は陸の孤島になった。JRだけでなく京成線も高速バスも止まってしまったからだ。東千葉では駅舎の屋根が吹き飛ぶということがあったがそれが全路線に影響しているとは思えない。

JRは1日経っても復旧しなかった。つまり千葉駅に乗り入れる鉄道は麻痺状態になった。信号機が止まっているところはあるが路線バスは平常運転のところが多かった。電車は月曜日中は復旧せず、火曜日の午前中に動き始めた。

千葉にいる人は「とりあえず津田沼まで出れば東京に通勤できる」ということになったのだろう。月曜日の津田沼駅には2km以上の長い行列ができた。「社畜だ」「いや仕方がない」というような議論が起こった。

こうした大きな話は伝わってくるのだが肝心の復旧状況がわからない。NHKはテレビで初動の「現状把握ができていません」という話だけを伝えた。さらに市役所にも全く連絡が入っていなかった。そこで街を見ながら東京電力に話を聞きに行った。

信号機に何かひっかかっているが、こういうのは例外的だ。国道と高速道路に出るこの道の信号機はしばらく使えなかった。

途中、イチョウの並木の道を通るのだが時々傾いているものがある。この時には気がつかなかったのだが、イチョウの木に電線がかかっている。銀杏がたくさん落ちていて臭い始めていた。

街路樹の根張りはそれほど深くないようで、風に持ち上げられて倒れているものが散見された。

面白いことに、こうした光景が見られることろはどこも停電していた。コンビニが休みになっているところもある。こうした地域では家で料理も出来ないし、かといって買い置き食料がなければ食べるものもなくなる。その上いつまで我慢すれば復旧するのかもわからない。しかし、隣の街区はなんともなかったりする。実に不思議な光景だ。

東京電力で話を聞いた。状況が把握できていないということはないらしい。さらに「おたくの地域は9月11日以降に工事が設定されていますよ」と教えてくれた。つまり、マスコミは伝えない(相変わらず嫌韓報道しかしていない)し市役所には伝わっていないが情報じたいはあるのだ。特に市役所は「報告があれば伝えてあげる」という体質なので自分で情報をとって伝えるという気持ちに全くなれないのだろう。

どうやら架線が切れたということ自体は電気を1分ごとに通して調べることができるそうだ。「鳥が止まってショートする」ということも「よくある」らしい。迂回路も設定してあるので別のルートから電気を流してみて切断箇所を特定して行くようだ。鳥は落ちてしまうので修理しなくても電気は流れる。が、なんどやっても流れないなら枝が引っかかったりしているのだろうと予測して修理に向かうそうである。しかし、なんらかの理由で面で切れてしまったら修理箇所は特定できなくなる。

そんなことを考えながら帰り道を歩いていると、電線が木の枝の間に器用に通っていることがわかった。なぜか電線は三本組になっていてかなり高いところを通しているのだが、イチョウは成長が早いので枝がかかってしまうのだろう。

そうこう考えたところ「うちの近くだけ停電が全くなかった」理由がわかった気がした。街路樹にハナミズキが選ばれている。低木なので電線にかからないのだ。街を作る時に住民が選定したという話を聞いたことがある。「ああ、こんなことなんだ」と思った。こんなことで停電地域とそうでないところが分かれているのだ。

帰りに寄ったスーパーマーケットの棚からは惣菜パンだけが消えていた。停電地域の真ん中にありコンビニも閉店しているところがある。車のない高齢者はここまで歩いてきたんだろうなあと思った。。お年寄りの一人が入り口の床にしゃがみこんでいて「ここにいると邪魔だ」と連れ合いの人に言われていた。だが動けない。「冷たい水がない」と従業員に訴えかける人もいた。車があればこんなことにはならないのだろうがそうでない人もいるということである。

家に帰って停電地域の表を見ると街路樹がきれいに整備されているような地域は停電が起きていないか復旧が終わっていた。隣の四街道市にはガス灯を整備した地域もあるがそこだけは停電情報がなかった。新聞記事を見ると電線が樹木と離れている。大手デベロッパーが都市計画をしたような住宅街は無事だったのだろう。

確かなことは言えないのだが、多分東京電力の人は何が明暗を分けたかを知っているはずである。だがそのことが行政に伝わることはないんだろうなあと思った。多分市役所の職員が自分で考えて東京電力に問い合わせをするということはないはずである。東電もわざわざそんなことは伝えないだろう。今度いつ同じような台風がくるのかはわからないが、同じようなことが将来にわたって繰り返されるんだろう。街路樹を入れ替えるのはお金がかかるし中には反対する人も出てくるだろうなあと思う。確か東京でそんな話があったように記憶している。調べてみたらこれもイチョウだった。

せめてテレビにはこの辺を細かく取材して伝えてもらいたいのだが、それも難しそうだ。TBSの与良正男というコメンテーターが「千葉では鉄塔が倒れたから大規模停電が起こったのかも」などというざっくりしたことを言っており、若いアナウンサーたちがしたり顔で頷いていた。千葉ではまだ48万個が停電している(9/11現在)そうである。

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鈴木琢磨とタマネギ男

面白い話をTwitterから仕入れた。「日本でチョ・グク氏がタマネギ男と呼ばれている」という話である。タマネギは韓国語でヤンパという。タマネギ男は약파남(ヤンパナム)という。検索してみたら「テレビ朝日が放送で伝えている」という記事がたくさん出てきて驚いた。てっきり韓国発のあだ名だと思っていたからである。




これをつぶやいたところ韓国語がわかる人から「日本でそう呼ばれていて、韓国に逆輸入された」という話を教えてもらった。

もともとこの話を始めたのは鈴木琢磨さんだと思う。毎日系の週刊誌にいた人で学校時代は朝鮮語専攻だったそうである。鈴木さんはヤンパと左派(좌파/チュワパ)が似ているので揶揄しているのだという説を得意そうに語っていた。が、それを辺真一さんに言わせようとして辺さんに嫌がられていた。

「あれ?何かあったのかなあ」と思っていたのだが、辺さんは事情を知っていたのかもしれない。鈴木さんは「こんなことまで知っている情報通なんだ」という印象になるが、実は「チョグク疑惑は玉ねぎのようだ」という話を聞きかじって広めてしまったのではないかと思う。フェイクニュースなのだ。

辺真一さんやその他の韓国系の人たちはそれでも日韓の関係維持に心を砕いているようである。だが、日本人関係者は日韓関係などどうでもいいと思っているのだろう。単に消費できるニュースとして極めてぞんざいに扱っている。今のワイドショーには日韓関係がアイデンティティになっている人と韓国で飯を食っている人が混在している。そして韓国で飯を食っている人の方が見ていて面白い。思い切ったことをいえるからだ。

いずれにせよワイドショーの担い手たちが「自分たちはジャーナリズムをやっている」という意識がないのは確かだ。彼らは週刊誌気分で問題を煽っているだけなのだろう。

中には利益関係者もいる。公平な専門家として韓国批判を展開している武藤正敏さんは、徴用工訴訟の当事者である三菱重工業の顧問をされているそうだ。外交官として(多分)立派な業績を残されたであろう武藤さんがなぜ三菱重工の顧問をなさっているかはわからないが2013年からということなので「この問題を収めること」を期待されたのかもしれない。

ある人は自己の正当化のため、またある人は商売のため、面白おかしく言動をエスカレートさせた結果、長崎県が災害レベルと言っている韓国の旅行客の減少が起こった。もちろんテレビ局は責任は取らない。テレビ局は厳しい競争の中で広告枠さえ売れればあとはどうでもいいのである。

真実はテレビが作る。演出上「タマネギ男」という名前はキャッチーで覚えやすい。まずテレビ朝日がタマネギの模型を作り「次から次へと疑問が出てくる」というようなことを言い、それをTBSが真似してニュース(あるいは情報番組)で同じような模型を使っていた。テレビが目指すわかりやすさと胡散臭さをあの玉ねぎは象徴しているが、テレビの中にいて時間までにパネルを仕上げなければならないスタッフから「何かいいネタないですか?」と言われて、それを断れる人がどれくらいいるんだろうかという気にもなる。

その一方で、全く無視されているニュースもある。最近トランプ大統領がタリバンとの秘密会談をキャンセルした。なぜ秘密会談のキャンセルがわかったかというと例によってトランプ大統領がTwitterで暴露したからである。これが一部で話題になっている。

トランプ大統領が会談をキャンセルしたのは米兵を含む12名がタリバンに殺されたからである。ただ、この手の話題をTwitterで読んでゆくと、トランプ政権内部で外交政策が一貫しないということがわかってくる。政権内部で深刻な対立が状態的に起きているらしい。トランプ政権はスタッフの入れ替わりも激しい。高官の離職をきっかっけに、国務省の外交官が多数の退職したという話は2017年のものだったが、未だに対立は続いているようだ。

例えば、長島昭久自民党衆議院議員と鈴木一人教授の会話には次のようにある。トランプ大統領は選挙キャンペーンで話せるディールが欲しいのでいろいろな人にいろいろなことをやらせている。その際に邪魔な人を排除してしまうのだ。この他にも例えばアフガニスタンディールではボルトン氏を外してしまったことでアフガニスタンの状況が読めなくなっているようだ。

GHQの憲法制定過程と中道政権の話を簡単に勉強した時、民政局と各部局との間に対立があったという話を読んだ。アメリカは個人主義なのでそれぞれの部局の人たちが自分たちの信念で行動し、結果的に収拾がつかなくなる可能性がある。現代はそれが歴史文書ではなくTwitterで伝わってくる。テレビ局はネタには困らないはずである。

テレビ朝日の玉川徹的説明を間に受けると「日本に関係が深いから韓国ネタをやっている」ことになるのだが、それは建前に過ぎない。アメリカの内部で外交混乱が起きていることのほうが日本に関係が深いからである。

ところが日本のテレビはこれをやらない。わかりにくく馴染みがないという点では韓国もアメリカも似たようなものなので、視聴者が不安を感るだけに終わるニュースは流したくないのだろう。「政権に言われてやっている」というより高齢の視聴者はもう日本がうまくいっていないという話は聞きたくないのだ。

韓国ネタを見ていれば、視聴者は昭和と同じように「日本は韓国よりマシなアジアで唯一の民主主義国である」という幻想にひたっていられる。我々には安全毛布を高齢者から取り上げる権利はない。だが、ニュースは別のところからとってこなければならない。テレビの報道はもう重要さを基準にニュースを選んでくれないからである。

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政治的な黄昏を生きる我々は安倍政権批判も政府批判もしなくなった

昼間のワイドショーがおかしなことになっている。もともと「韓国が日本に逆らっている」という話だった。それが「韓国のスキャンダル隠しだろう」ということになり、そのスキャンダルとはチョ・グク氏の疑惑だということなった。




ただ、チョ・グク法相候補の国民審査会(要は記者会見のことだ)くらいから疑惑そのもの報道するようになり、記者会見や野党の審査会の話をやりだした。ある人は韓流ドラマのようだといい、別の人はなぜこんなものに日本人は関心を持つのかと困惑している。メディアが視聴率に編集権を譲り渡したために自分たちが何のために何を報道しているのかがわからなくなっている。

この絵面がロッキード事件に似ているなと思った。小佐野賢治の「記憶にございません」が流行語になるほど注目された事件なのだが、視聴者は事件そのものではなく右往左往する関係者たちを楽しんで見ていたのだろう。この手のワイドショーを見ているのは高齢者なので昔のようなニュースを懐かしんでいるんだろうなあと思った。例えていえばサザエさんを見ているような感じである。

ではロッキード事件時代と今の違いは何だろうか。ロッキード事件が騒がれたのは政治家や国のリーダーは清廉潔白でなければならないと信じられていたからである。つまり政治家に期待値がありそれが裏切られたから騒いだのだ。だが今の人たちは安倍政権にそのような期待は抱かない。いろいろやってみたが「結局ダメだった」から行き着いたのが安倍政権だからである。我々は政治に期待しなくなったし日本の先行きに確信を持てなくなっている。

もともと、ワイドショーの目的は世間の敵を作って処罰することにある。つまり報道ではなく人民裁判ショーか古代ローマのコロシアムだ。ただ、そのためには次から次へと敵を作り出さなければならない。ただ、それができるのは「自分たちの生活はまともに機能しており、これからも機能し続けるはずだ」という確信があるからだ。

例えば高齢者がアクセルとブレーキを踏み間違えて事故を起こしたとする。テレビはこれを悪者として裁こうとするのだが、考えれば考えるほど扱いが難しくなる。老いて行く自分たちを見つめなければならなくなるからだ。視聴者の不安と番組の中の出来事がリンクしてしまうと、ワイドショーこのコロシアム性がなくなる。つまり観客席とコロシアムの間の敷居が消えてしまうのである。

最近、統計不正について報じなくなった。国民の側に「頑張ればなんとなかる」という見込みがあれば政府批判をしているはずである。ところが「この先日本には見込みがない」という認識を持っているとそれができない。「落ち目の国に暮らす」という現実を見ないためにはテレビの電源を落とすしかない。だからテレビはこの話題を扱わなくなった。

最近、アルゼンチンでまたデフォルト騒ぎが起きているそうだ。アルゼンチンでは統計のごまかしが横行しているという。だが、そうした国はアルゼンチンだけではない。日本もよくあるありふれた罠にはまっているだけだ。特別な国ではなくなってしまったのである。

もっともこうした強引な統計手法の駆使は、トランプ氏が先駆けというわけではない。中国政府は、GDPを引き上げ、公害汚染関連データを押し下げる方向で算出していると長らく批判されてきた。さらに最近は、民間機関が不動産価格や景気動向のデータ公表をしないよう指導しているもようだ。インドやトルコ、アルゼンチンの当局も、統計を良く見せるため計算方法を変更したと後ろ指をさされている。

コラム:恣意的な統計作成に潜む「危険な罠」

外交も行き詰っている。ロシアを訪れている安倍首相がプーチン大統領にへつらうような発言をしたがプーチン大統領は薄ら笑いを浮かべただけだったそうだ。さらにプーチン大統領は歯舞の式典にわざわざビデオで参加したそうだ。歯舞の人口だけを見ればロシアから見てそれほど重要な地点とは思えない。日本を挑発するためにわざとやったのだろう。日本などどうでもいいとロシアは考えており、我々もまた「あの総理では仕方がないな」と考えるのでそもそもニュースにならない。

だが、これを特に報じた新聞社が二つあった。読売新聞と産経新聞である。

安倍首相はプーチン大統領と親しいというが、会談を重ねた結果がこの仕打ちである。島を返さず、日本から経済的実利だけ引き出そうとするプーチン政権の正体を認識しなければならない。安倍首相は首脳会談など開かず、さっさと帰国した方がよかった。

【主張】日露首脳会談 どうして席に着いたのか

朝日新聞や毎日新聞は「外交の安倍」などという言葉は信じていないのでこんな書き方はしない。日経新聞も含めて淡々と建前の会話を伝えているだけである。逆に産経新聞は外交の安倍という言葉をまだ信じていて日本に国力や外交交渉力があると信じているのだろう。だから席を蹴って帰れと言った。つまり批判は期待の表れである。だが、もうすぐ産経新聞もそれを言わなくなるだろう。

最近の世代は「中高年はなぜ政府・政権批判ばかりするのか」と反発しているという話をよく聞く。それは実は日本には実力がありそれが発揮できていないと感じていたからである。つまり日本に期待があったのだ。

しかし、日本に期待がなくなると何も言わなくなる。言っても無駄だからである。現在の世代はそもそも「日本が衰退する」という予言に呪われて生きているので批判が受け入れられない。あるものは政治に全く関心を寄せなくなり、あるものは極端な擁護に走る。我々は政治的な黄昏という新しい時代を生きていることになる。民主主義に何の期待もしなくなった社会である。

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日本の高齢化をまざまざと見せつけられた韓国報道の過熱

週刊ポストが炎上した。「韓国はいらない」という見出しを打ったところ、執筆者たちが「もう小学館では書かない」と言い出し謝罪したのだった。ハフィントンポストが経緯を詳しく伝えている。「誤解が広がっている」というのはいつもの言い分だが、売れると思って打ったのだろう。見出しだけでなく中身もひどかったようだ。10人に一人が治療が必要なレベルと書いた記事もあったという。




ちなみに「これがなぜいけないのか」という問題を先に片付けてしまおう。日本は戦争を煽って新聞の購読数を伸ばした歴史がある。気がついたときには取り返しがつかなくなっており、戦後に朝日新聞などは盛んにこれを「反省」した。つまりビジネスヘイトは歯止めがきかなくなりやがて深刻な対立を引き起こす可能性がある。日本人は戦前の歴史をきれいに忘れてしまったらしい。

韓国人が火(ファ)病に侵されているというなら、日本人は群衆の病と忘却の病の持病を抱えていることになる。多分ジャーナリズムが細かな村にわかれており業界全体として検証作業や人材の育成をしてこなかったために、戦前の貴重な知見が蓄積されていないのだろう。

ところがこれを観察していて全く別のことに気がついてしまった。

サラリーマンが出勤前に見ているようなニュース情報番組はそれほど韓国について扱っているわけではない。彼らには生活があり従って様々な情報を必要としている。ところが中高年しか見ていない昼の情報番組は盛んに韓国を扱っている。つまりヘイトというより老化現象なのだろう。

このことは残酷な事実を私たちにつきつける。テレビは中高年に占拠されており、中高年は他人を叩くしか楽しみがないということだ。こういう番組をみんなで楽しく見ているとは思えないので少人数(一人かあるいは二人)が次から次へと「けしからん他人」を探しているのだろう。

ところがこれを見つめているうちに不都合なことが見えてくる。今回のチョ・グク法相候補はほぼ一人で11時間以上の会見をこなしたようだ。日本の政治家(正確にはチョ氏は政治家ではないのだが)にこんなことができる人はいないだろう。最終的には記者たちも視聴者たちも疲労困憊してしまったようだ。大谷昭宏さんなどはうっかりと「羨ましそうな」表情を見せていたし、辺真一氏も「少なくとも記憶にございませんとはいわなかった」とどこか誇らしげである。つまり韓国には自分の言葉で釈明が出来る政治家がいるが、日本にはそんな人はいないということが露見してしまった。民主主義が機能していないと笑っていたはずなのにいつのまにか「なんか羨ましいなあ」と思えてしまう。

しかし、この「かわいそうな老人のメディア」としてのテレビが見えてしまうと不都合な真実はどんどん襲ってくる。例えば最近のアニメは中年向きに作られている。2019年8月末のアニメの視聴率(関東)をビデオリサーチから抜き出してきたのだが、新しく作られたものはほとんどない。「MIX」は知らなかったがあだち充の作品のようである。目新しい幼児向け番組は「おしりたんてい(絵本は2012年から)」だけである。サザエさんなどは昭和の家庭を舞台にしている。我々が昔水戸黄門を見ていたようにサザエさんも昔のコンテンツと思われているに違いない。

タイトル視聴率(関東)
サザエさん9.0%
ドラえもん6.7%
クレヨンしんちゃん6.2%
MIX・ミックス5.8%
ちびまる子ちゃん5.8%
ワンピース4.6%
おしりたんてい4.3%
ゲゲゲの鬼太郎4.2%
アニメおさるのジョージ3.3%
スター・トゥインクルプリキュア3.1%

特にテレビ朝日は「ファミリー層を排除しようとしている」と攻撃の対象になってしまった。アニメを土曜日に動かしたのだそうだ。テレビ局も新しいコンテンツを作りたいのだろうが視聴率が取れない。最近の若い人は高齢者に占拠されたテレビを見ないのだろう。

アニメだけでなく音楽にも高齢化の波が押し寄せている。TBSは関東ローカルでPRODUCE 101 JAPANの放送を開始する。吉本興業が韓国のフォーマットをそのまま持ってきたようで、制服やショーの構成がそのままだ。ところがこれをみてショックを受けた。韓国版ではイ・ドンウクが練習生の兄貴(とはいえ三十代後半のようだが)として国民プロデュサーに就任していた。この視線で比較してしまうと日本版の国民プロデューサ(ナインティナイン)が老人に見えてしまう。ASAYANが放送されていたのは1995年だということで「昔の若者」が倉庫から出てきたような感じである。

ナインティナインが普段老人に見えないのは実は日本の芸能界がそのまま老化しているからなのだ。しかもこの番組も夜のいい時間には時間が確保できなかったようである。確かに老人が見てもよくわからないだろう。もはや歌番組は深夜帯のサブカル扱いなのである。

嫌韓本が広がる仕組みを見ていると、出版取次が「この本は売れるはずだから」という理由でランキングに基づく商品を押し付けてきているという事情があるようだ。高齢者であってもAmazonで本を買う時代に本屋に行くのは嫌韓本を求める人たちだけということなのだろう。テレビの動向を合わせて見ると、最終的に残るのは「昔は良かった」と「ヘイト」だけだろう。まさにメインストリームが黄昏化している。

幸せな生活を送っている人たちがヘイト本を見てヘイト番組を見て日中を過ごすとは思えない。結局見えてくるのは、高齢者が潜在的な不満と不安を募らせながら、他にやることもなくヘイト本を読みヘイト番組を見ているという姿である。つまりなんとか生活はできているが決して満足しているわけではない人たちがヘイトを募らせていることになる。

こうした人たちが韓国との間で戦争を引き起こすとは思えない。そんな元気はないだろう。多分、テレビに出ている人や雑誌で書いている人たちが心配するべきなのは民主主義の危機ではない。深刻な老化なのだ。

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たまねぎとしての保守思想・反たまねぎとしてのリベラル思想

演歌と保守について考えている。演歌は古びた流行歌をリパッケージしたものであるという仮説をおいた。この仮説を置くと後になって「演歌とはなにか」が説明できない理由がわかる。つまり「よくわからないが、なんとなく演歌というものはある」という感覚を説明できるのだ。




ここから、もし演歌が純化運動を行えばそれは演歌の破壊になるだろうという予測が立つ。もともと寄せ集めなので純化すると自己否定につながってしまうだろう。ゆえに演歌は演歌の枠の中で新しいものを見つけ転がり続けるしかない。

今回は保守と演歌は同じものであるという仮説を立てている。ここから考えると保守が純化運動に走れば保守が崩壊するだろうという予測が立つ。

ここでは日本の保守はGHQが持ち込んだ民主主義に対して、古びてしまった戦前の党人政治家がでっち上げた擬似思想であると考えている。日本の保守政治が目指すのは国家社会主義の再構築である。戦前の議会政治よりは優れており戦後GHQが持ち込んだ民主主義よりは古びている。民主主義を信奉している人たちが保守の純化運動を戦前回帰・戦争への道だと考えるは当たり前のことであるが、当人たちは多分そうは考えていないであろうということもわかる。

演歌の担い手たちは実際にはジャズなどを基にして作られた西洋音楽である演歌を「日本の心だ」と信じている。同じように保守を信奉する人たちは戦時下の国家社会主義体制を「日本の心」だと信じるだろう。どちらもそのようにリパッケージされているからである。つまり日本の心は建前であり本音は自分たちの正当化だったということになる。だが生き残るのは建前の方なのだ。

現在の保守政治には西洋的な一神教志向が織り込まれている。しかし、その体制に戻ったとしても日本が再び偉大になることはできない。国家社会主義体制はその当時の状況に合わせて作られており、現在はそのような状況にないからだ。そもそも核になる主張がないのだから純化運動は失敗する。

保守は長い権力闘争の中で憲法改正をその核だと誤認するようになった。もともと保守合同(護憲派保守と改憲派保守が合同した)で始まった自民党は小泉政権下で「もともと改憲派だった」と信じ込むようになったと言われているそうだ。このように一度作られた箱は一人歩きする。実際に行われたのは官僚出身の政策通議員を駆逐し党内抗争が得意だった人たちが政権を掌握したということなのだが、一度勝利してしまうと今度は「本来やりたかったこと」を前に進めるしかない。

ところが核がない運動を維持する方法もあるにはある。外に敵を作ればいいのだ。

テレビを見ると嫌韓運動が様々なテレビ局で展開されている。その担い手たちは多分高齢者なのだろう。彼らは自己肯定感を求めて保守思想にシンパシーを持つのだが自分たちの根を探しても保守思想には行き着かない。彼らはありもしないものを探しているから敵が必要になる。

もちろん韓国に問題はある。韓国は日本との講和で得た金を元手に戦後復興を図った。ところが戦後復興を行ったのが軍事政権であり地域にも格差を作ったためそれに抵抗する運動ができた。彼らは当然うまく行かない理由を保守軍事政権に求めるだろう。それを投影して日本を攻撃する。実はこちらも対抗運動なので核がないかもしれない。そして、実はこういう運動はドイツ側でも起きているようだ。経済不調と不満がその根底にある。

「今日までドイツから大戦中の残虐行為への適切な賠償を受けていない」。ポーランドのモラウィエツキ首相は8月、独紙のインタビューで断言した。正式な請求はしていないが、議会の委員会が1日にも被害額の試算を公表する。地元メディアによると、8500億ドル(約90兆円)との試算が出る可能性もあるという

独・ポーランド、賠償で論争=侵攻80年、90兆円試算も

ギリシャで7月に就任したミツォタキス首相が29日、ベルリンを訪問してメルケル独首相と初めて会談した。ギリシャはドイツに対し、第2次大戦中のナチス・ドイツの占領下で受けた損害に対する巨額の賠償金を求めている。ミツォタキス氏は、経済危機からの脱却に必要なドイツからの投資を求める一方、国内でくすぶる「戦後補償問題」の進展にも期待感を示した。

ギリシャ首相、ナチス占領の賠償金に期待 独首相と会談

日本は保守運動(具体的には憲法改正)が進捗しない憤りから目を反らせるために嫌韓を利用するつもりだったのだろうが相手の「ど真ん中」に爆弾を放り投げてしまった。多分、ドイツの政治家はもっと冷静に見ている。一線を引いて反省を続けないと収拾がつかなくなるだろうということがわかっているのだろう。ただ、ドイツにもポピュリズムはある。いつまでも同じような「謙虚な態度」が続くかどうかはわからない。

さて、この一連の「保守の暴走」を見て民主政治が破壊されると危惧する人がネットには多いように思える。だがそれも心配しなくても良い。戦後の民主主義勢力というのは反政権である。彼らもまず「反政権」で箱を作って、そこに憲法や民主主義という理由付けをしているに過ぎない。彼らは自分たちを社会主義者・革新主義者・リベラルと自称してきたが、立憲主義はその最先端の実態のない箱の名前に過ぎない。どちらもありもしないものをあたかもあるようにして集まっている。それは虚空に響く反響のようなもので終わりがない。

今回収拾したのは「玉ねぎの皮をむいていたら実は皮が本質だった」というような話である。つまり何もないのだから何かが壊れる心配はしなくても良い。単に新しく作ればいいだけの話である。極めて単純な話なのだ。だが、運動に没頭する当人たちにはそれがわからない。その結果、ありもしない問題に時間を浪費することになってしまうのである。

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