これからも若者が過労死する理由

  1. アメリカとの圧倒的な国力の差を感じ、アメリカの品質改善運動を模倣しようという動きができた。
  2. 品質改善に成功し製造業が発展した。しかし、国外との競合のなかった分野では合理化がおきなかった。また、出せば売れたので、小売り現場の合理化も起こらなかった。
  3. 80年代にアメリカ人が日本の製造業を研究しはじめたので「日本すごい」と勘違いする人が増えた。
  4. 資産バブルが起こり土地を売り買いすると自動的に儲かるようになったので、本業が疎かになった。
  5. 流行に乗ってMBAブームが起きた。海外留学が増えたが、帰ってきてもオペレーションが変えられず、結局MBAは役に立たないということになった。
  6. マネジメント手法を知らないまま管理職になる人が増えた。そもそも日本の会社はプレイヤーからの生え抜きだったので、専門の管理職教育を行うべきだという伝統がなかった。
  7. 資産バブルが崩壊して本業が圧迫されたが、終身雇用なのですぐには人を減らすことができなかった。そこで新しく入ってくる人を非正規に置き換えた。
  8. 新人研修ができなくなり、業務に必要な知識が社内で共有できなくなった。
  9. それでもマネジメント教育をしなかったので、人件費削減だけがマネジメント知識として残った。
  10. 小泉・竹中路線が引かれて、安い労働力がを調達しやすくなったので、ますます、人件費削減がマネジメントだということになった。
  11. 非正規雇用には知識ベースの業務を任せられないので、正規層の最下層にいる人たち「名ばかり店長」の負担が強まった。彼らはマネジメントの知識も裁量もないまま管理職とされた。成果ではなく、不成果の責任を押し付けるという慣行が生まれた。
  12. イノベーションが重要ということになり、新規事業開発に乗り出すようになったが、イノベーションをマネージするという教育も発想もないので、根性で新しいビジネスを見つけろということになった。ここに「正解を効率よく学んできた人」が投入されるようになったが、答えを見つけるという教育は受けていないのでひたすら長時間労働をするようになった。
  13. 長時間労働で疲弊すると、生産性が上がらなくなった。定型業務を効率化するとに特化されたIT投資は、探索型の業務には適用されなかった。また流通などの業界にはそもそもコンピュータすら導入されなかった。市場で何が売れているのかますますわからなくなり、数ヶ月おきにとりあえず新しい商品を作って売るいうことが起こった。市場には情報が溢れ、消費者は新製品情報に見向きもしなくなった。
  14. 遅まきながら市場調査が行われ、今度は定番品ばかりが作られるようになった。
  15. IT投資を行わなかったので製造業の現場では未だにNECの旧型パソコンが使われていることがある。また場当たり的にコーディングした内容を解析してどのような業務が行われているかというルールを抽出するというサービスが提供されるようになった。もはやどのように仕事をしていたのかすら思い出せなくなっている。
  16. IT分野では製造業の成功に倣って、既知の問題を徹底的に潰すために長時間労働するようになった。例えば、年に数回も起こらない問題を潰すためにエンジニアが投入された。だがこれはβ版を出してから問題を修正する方式に駆逐された。新しいサービスが投入できないからだ。
  17. 不効率な長時間労働が蔓延しているので、それに応えるサービス産業も24時間化している。1日になんども同じ家を訪問しても留守なので、なんども訪問しなければならないのだ。
  18. 安い労働力の調達だけがマネジメントなので、今は海外から安い労働力を調達するかという議論が行われている。また、ホワイトカラーを安く使えるように残業代をなくす法案が準備されるようになった。今後海外から入ってきた安い労働力と最初から奨学金という借金を抱えた人たちが競合するような社会になることが予想されている。日本の現場は10年前にはどうやって仕事をやっていたのかすら思い出せなくなるだろう。

憲法第24条とサザエさん

右翼系の団体がサザエさんを引き合いに出して、憲法第24条の改正を訴えているらしい。ちなみに第24条の条文は次の通り。

婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

改正論者は父権の回復を訴えているのだと思うのだが、サザエさんは果たして適当な例だったのだろうか。もともと、サザエさんを書いた長谷川町子の家には父親がいなかった。早くに病死してしまったそうだ。このため、サザエさんには父性が希薄である。そのため、磯野波平にはそれほどの威厳はないし、マスオさんに至ってはほとんど存在感がない。彼らは外から収入を持ってくるための記号として機能しているにすぎない。

これが修正されたのはお茶の間の苦情によるものと思われる。例えば、漫画の中でのワカメちゃんはあけすけな性格だったが「女の子らしくない」ということになり、カツオとの間で役割交換があったという話もあるそうだ。このようにキャラが修正されてゆき、ついには時代も止まり(サザエさんができた当時にはテレビも炊飯器もなかったので、アニメのサザエさんはある程度変化していた)今の形が出来上がる。

長谷川家で大黒柱として機能していたのは母親であり、のちに姉妹は夫に頼ることなく出版社を設立した。

つまり、第24条否定派の人たちが本気でサザエさんを理想の家庭だと考えているのだとすると、その意味するところは簡単だ。彼らはサザエさんを理解していないのである。もしサザエさんの家を模倣するとしたら、日本のモデル家庭は母系家族でなければならないということになる。

確かに母系家族にはメリットがある。サザエさん一家には女性の間に主従関係がない。それはフネとサザエが本当の親子だからである。これが嫁姑の話になるとすると、物語は暗転するだろう。フネは無神経な嫁であるサザエに嫌味をいい、サザエはそれを耐える。そして、疲れて帰ってきたマスオにサザエさんが姑の愚痴をこぼすのだ。早く出て行きたいがあなたの稼ぎがないせいでそれが叶わない。それはあなたの稼ぎが悪いせいだということになるだろう。

ここでは考えなければならないことがいくつもある。サザエさん一家が生まれた背景が「戦争による混乱の結果」なのか、そもそも日本の家構造が母系的だったからなのかという問題である。この類の議論が錯綜するのは日本の伝統の模範が武家にあるという前提が置かれるためなのだが、実際には農村はもっと母系的だった可能性もある。

そう考えてみると「権威的な父親の元でまとまる」というような物語は日本では全く見られない。橋田寿賀子ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」でも父性は機能しておらず、実質的に取り仕切っているのは母親(母親が死んでからは血族ですらないお手伝いさんが代行している)である。父親が紛争解決に出てくる場合はたいていお金で解決している。橋田寿賀子にとって父性とは経済力(つまりはお財布)なのだろう。あのお父さんは大企業に勤めていたという設定なのだが、それにしてもいくら貯金を持っていたのだろうなどと考えてしまう。

もし、憲法第24条が家の規定であるとして、それを日本風に変えるとすれば、母系に改めるべきかもしれないと思ったりもする。

さて、今回例に出したのはどちらも女性の書き手による。一方の男性は家庭にほとんど興味を持たなかった。それは家が事業の主体でなくなってしまったからだろう。

一連の考察から、憲法を新しくするとしたら、事業や安全保障の主体としての家をどのように位置付けるかという議論が必要になることがわかる。だが、日本人は観念的なことにほとんど興味を持たないので、そもそもの議論が起らない。

普段の家庭を観察すると、子育てのために嫁が実家との結びつきを重視するという傾向が見られるはずで、父系の関係はむしろトラブルの元になっているのではないかと思う。つまり、経済的な裏打ちのないままで父系中心にまとめると、日本の家庭は相当混乱するだろう。

韓国と日本の集団社会の違い

韓国の大統領がまた炎上している。韓国の大統領は地域や血族を優遇して炎上するのが常なのだが、今回の大統領は血族とは疎遠だった。しかし、お友達を優遇していたようだ。最初は情報を漏らしたことが問題視されていたようだが、企業からのお金も流れていたようだという話に発展しているようだ。

なぜ、韓国ではこの手の話題がなくならないのだろうか。それは韓国が氏族社会だからである。氏族は安全保障の単位として機能している。だから、何かあれば集団を頼るのは当然なのである。

もう一つの韓国の特徴は強いリーダーシップだろう。裏には権力格差を意識する社会構造がありそうだ。このために大統領には強い権限が集中し、周りの人たちもそれを是認する傾向がある。しかし、権力は天賦のものではないので人気が終わりに近づくと周りが騒乱状態に置かれるのだ。

「韓国は民度が低い」と笑うのも一興なのだが、ここで興味深いのは日本との関係だ。日本には氏族はなく、強いリーダーシップも見られない。氏族がないので身内への贔屓のようなことは少なくとも国レベルでは起こらない。またリーダーシップも強くない。

安部政権は安倍晋三の強いリーダーシップの元にまとまっているように見えるが、実際には党首と地方領主の相互契約に基づいている。このため、いろいろな問題が起きている。

例えば小池百合子は未だに自民党を離脱していない。都の組織から見れば若狭勝とともに造反者なのだが、領地を自力で獲得してしまったために、安倍晋三が小池百合子を応援し、小池百合子が若狭勝を応援するという奇妙な構図が生まれた。

さらに福岡では麻生太郎が応援する一派と鳩山邦夫の支持者が激突し、勝った側が領地を獲得した上で自民党の公認を得るということが起きてしまった。

もっとも懸念されているのがTPPをめぐる混乱である。もし安倍晋三が強いリーダーシップを持っていれば山本農林水産大臣を黙らせることができたはずなのだが、山本大臣は「失言」を繰り返している。

TPPというのは旗の役割を果たしており、実際にはそれ以上の意味合いを持っていない。野党がTPPに反対しているのは、自民党が賛成しているからにすぎない。と同じように「どうせ勝てる戦争」だと考えた自民党の兵士たちも本気では戦わないのである。強行採決という言い方が嫌いならば、「議会などリチュアル」なのだと言い換えてもよいだろう。山本大臣の領地は高知にあるそうだ。

日本がこのような契約社会になったのは、大きな敵がいなかったからだろうと考えられる。強いリーダーを立てて、弱くなったら捨てるという行動様式が生まれたのは、韓国が基本的に中国の脅威にさらされた小国だったからだろう。

ここまで整理できるとアメリカとの関係が見えてくる。日本は移動が少ない社会なので共通言語ができやすい。このため全てを形にする必要がない。一方、アメリカは移動の多い社会なので共通言語ができにくく、全てを明文化する必要がある。このため英語で契約というと明文化されたものを指すはずである。つまり、日本は非言語型の契約に基づく分散型の社会なのだとまとめることができる。

TPPが厚い文書になったのは「紛争解決の際には双方が真摯に解決を図る」という一文が使えないからなのだが、自民党の関係者はさほど問題視していないようだ。アメリカに忠義を尽くしていれば「悪いようにはされないだろう」という期待があるからだろう。さらにその裏には政府と国民の間には緩やかな調整機能があり、システムが崩壊するような大きなことは起こらないだろうという仮定があるのではないかと考えられる。

日本は小さな利益集団の合邦体なのでそれ以外の集団は全て仮想のものだと言える。

欅坂46がオタクに謝罪すべきかもしれない理由

欅坂46というグループがハロウィーンのコスプレにナチス風の軍服を採用し、ユダヤ人団体から謝罪を要求されているそうだ。これがハフィントンポストに掲載され、逆に欅坂46を擁護する動きが広がった。だが、秋元康はまず日本のオタクに謝罪すべきかもしれない。

欅坂46がナチスの軍服だと気がつかずにあのコスチュームを着用した可能性はある。では、そもそもなぜ、ナチスの軍服=カッコいいと考えられるようになったかを考えてみたい。

ナチスの軍服はアニメの中で何度も登場している。有名なのは「宇宙戦艦ヤマト」と「機動戦士ガンダム」だ。どちらも悪役なのだが、日本人のクリエータはこれを絶対悪としては描かなかった。これは日本が第二次世界大戦で敗戦したというのと関係しているだろう。つまり「絶対悪」とされた側にもそれなりの事情があるということが理解されていたわけである。

ガミラスは惑星が荒廃してしまい生き残りのために地球型惑星を探していた。ジオンはもう少し複雑で被差別階層が選民思想に目覚めたということになっている。ただし、その中から旧人類を凌駕する人々が生まれたというモチーフがあり、実は敵味方ではないのではないかという可能性が提示されている。

そこでデスラー総統やシャー・アズナブルにはアンチヒーローという位置づけが生まれることになった。デスラーは帝国そのものを代表しているが、シャーの存在はもっと屈折している。いずれにせよかつてのオタクはこうした葛藤を理解していた。

ところが、こうした設定がオタク世界に正しく受け継がれなかった可能性がある。単にあのような軍服がなんとなくかっこいいという評価だけが残ったのかもしれない。つまり善悪が作り出す葛藤という側面が抜け落ちているのだ。

欅坂46のクリエーターが「オタクはこれくらいやっておけば受けるだろう」という安易な発想を持っていることが分かる。あくまでもオタクは彼らから見ると対象物であって、その背景にあるコンテクストはまったく理解されていない。かわいい女の子にかっこいい制服を着させれば彼らは喜ぶだろうという安直な姿勢が見える。つまりオタクの劣化を前提にしており、それゆえに稼げると考えているのだ。

この背景にあるのは「悪とされた人たち」の葛藤の物語である。ガミラスですら絶対悪のようには描かれず地球と人類が迎えるかもしれない未来が提示されている。ガミラスとイスカンダルは選択できる未来である。運命を受け入れて滅びるか、他者を犠牲にして生き残るかということである。

ここで、議論になっているのは「なぜナチの軍服だけが悪者扱いされるか」という点かもしれない。たとえばMA1やチノパンももともと米軍由来だが、圧制者のシンボルとしてタブー視することにはならなかった。最近では単にアーカイブ化され街着として流通している。そこには葛藤はないのでハローウィーンの衣装としては面白みに欠ける。

このことからやはり過去の物語性を消費していることは分かる。うっすらとした葛藤の記憶はあるのだが、それは風化しているのだ。

ユダヤ人団体が恐れるのはユダヤ人迫害の記憶の風化なので、彼らが抗議するのは当たり前のことである。クリエーターは彼らに対して「なぜ、こうした格好をさせたのか」ということを説明すべきなのだが、多分「日本のオタクにはこの程度の理解力しかないから」としか言えないのではないかと思う。もし、そうでないならクリエーターは堂々と説明すべきだろう。

また、クリエーターたちは「欅坂46というのはドメスティックでとてもヨーロッパなんかで展開なんかできるグループじゃないんですよ」といっていることになる。だからこそ、海外展開の際のコンプライアンスまでは意識しなかったのだろう。ここでも「日本のオタクはこの程度の似たような女の子ををあてがって置けば十分なんですよね」と言っているということになる。

つまり、演者に意図があったかが問題なのではなく、この程度で十分なんだと考えている点が問題だということになる。愚弄されているのは実はファンなのではないだろうか。

この件に関して一番気持ちが悪いのは当の本人たちがどう考えているかが伝わってこないところだ。アイドルは秋元先生が着ろといったものを着るというのが前提になっているからかもしれない。

意思のないアイドルというのは西洋世界では考えれられないが、日本人男性は意思を持たないお人形のような女性を好むということになり、それそのものが人権侵害だということになってしまう。

ただ、西洋ではスカーフで女性の顔を覆うのも人権侵害だと考えられているのだが、これについては民族的な伝統の問題があり、彼女たちに人権が侵害されているとは一概に言い切れないという微妙な問題がある。ゆえに西洋で人権侵害的だとされるからといって日本人を非難するのはやめたほうがよい。

「フレンズ」というアメリカドラマのエピソードに「スタバで何を頼むかという意見すらない人間は人扱いされない」というようなエピソードがある。一般的な知能を持っている人は意見を持っているはずだというプレッシャーを風刺したものだ。つまり、政治的な意見を持たない人間というのはお人形だと考えられてしまい、それを強要するのも人権侵害だという理屈になる。

ただ、欅坂46のメンバーの中に歴史やオタク文化に詳しい人などいるはずがないという前提を置くのはやめたほうがいいかもしれない。