英語のザ行の音

英語の発音は難しい。LとRよりも難しいのは、ザ行の発音だ。今ひとつ違いが分からなかった。ザ行の音には4種類ある。

  • Zoomなど:ズーム
  • Asiaなど:アジア
  • Thatなど:ザット
  • Gymなど:ジム

このうちThは明らかに日本語にない音なので中学校などでやらされるのだが、あとの3つは曖昧だ。特に分からないのはGymなどの「ヂ音」だ。日本語ではジとヂは同じ発音になる。いろいろな説明があるが、今ひとつピンとこなかった。

ところが、ある説明を読んで「ああー」と思った。Z系の音は息を吐く音なのだが、CHの音はパーカッションの音なのだ。つまり、舌を「ッチ」とならした音だ。これに濁点を付けたのが「チ」音なのである。これが分かると、発音の違いを聞いても分かるようになった。

つまり、今まで「舌を鳴らす・鳴らさない」で音が違うということを意識していなかったことになる。実際には違った音を聞いたり話したりしているのだが、同じものだと「見なして」いたのだ。

なぜか、チップとシップは全く別の音なので、清音では区別しているものを、濁音では区別していないことになる。教育により発音の刈り込みが起きていることになる。とはいえ一度理解すると聞き分けができるようになるのだから、本質的には違いが分かるということになる。

英語を正確に発音しようとすると日本語より舌を忙しく動かすことになる。THのようにいったん歯の間に入れた舌を抜いたりする必要があるものもある。ということは、日本語は舌の動きをあまり意識しないでも話せる言語ということになる。

そのかわりに日本語は喉を忙しく動かす言語だ。母音をあいうえおのように続けて話しても母音が混じらないのは、喉で息を一瞬止めているからである。英語話者にはこのような器用なことはできない。一度単語を発音し始めると喉は開けっ放しである。よくカタカナで英語を話す人がいる。全ての音に母音を付けるのだが、実はわざわざ難しいことをしているのだ。

障害者はあなたの道具じゃない

久々にかなり腹立たしいツイートを見かけた。さらに腹立たしかったのが、なぜ腹が立つかを説明しなければならないということだ。非常にばかげている。

ツイートの内容は「障害者はカナリア」というものだった。安部首相を非難する文脈なので年配の左派だと思う。最近、弱者を排除する風潮があり、津久井の事件はその文脈で起きたというようなことが言いたいのだろう。

カナリアというのは炭鉱労働者が死なないように先に死ぬセンサーのようなものだ。つまり、一般市民が死ぬのを防ぐために障害者が犠牲になったということを言っているのだ。多分意識していないのだろうが、この人は障害者を道具だと思っていることになる。これは人間のオブジェクト化である。自分の政治的な主張のために他人を利用しており、それが当たり前だと思っているのだ。

自分が息苦しさを感じているのであれば、単に「嫌だ」と言えばいい。左派は政治的な欲求が通らないという意味では弱者のだが、自分たちのことを弱者だと思いたくない。そこで弱い他人を利用しているのだ。障害者を弱い人間だとみなすことで、自分たちはそれよりはマシだといえるようになる。実に厄介で屈折した搾取なのだ。

やっかいなことに「自分を弱者の支援者だ」とみなしている人ほど、他人を利用していることに気づかない。いわゆる右派(ヘイトといわれる人たちだ)はまだ、蔑視しているという意識があるのだが、この手の人たちにはその意識はないのだ。それどころか、このような批判を受けると「私たちは弱者のためを思って言ってやっているのに」と怒り出したりする。実に厄介である。善に気が付かないのだろう。

なぜ、この国には平等という概念が全く根付かないのだろうか。怒りというより悲しみがこみ上げてくる。なぜみんな隣人から奪いたがるのだろう。

どんなカメラがよいカメラなのか

一眼レフを買った。もともとは12万円くらいするらしいのだが、中古で4,000円だった。で、買ってからやたらに「これはいいカメラなのか」ということが気になりだした。古道具屋でジャンクとして見つけたカメラがいいカメラだとはどうしても思えなかったのだ。

で、思ったのだが「いいカメラ」って結局何なんだろうか。

もちろん「目の前にある色をそのまま再現できるのが良いカメラなんだよ」という答えがあり得るのだが、これがなかなか難しい問題だ。そもそも、目の知覚というのはきわめて柔軟かつ曖昧なのだ。例えば、画面全域をくっきりと捉えるカメラがよいカメラなのかというと、そういうことはない。対象物だけをくっきりさせたい(これを背景ぼけというそうだ)と思えば、センサーが大きいカメラを使って、明るいレンズを使わなければならない。明るいところと暗いところを両方知覚しようと思えば、その逆にフラット目にする必要がある。なかなか難しい。

そうこう考えていたところ、色の再現性というものが気になり始めた。これが(ちょっと調べただけでも)おかしくなりそうなほど複雑だ。いくつか理由がある。第一に人が思っている色というのは目の前の色とは違っている。これを「記憶色」などと言うそうである。この記憶色に合わせると色合いが派手で輪郭がくっきりした絵になりがちである。しかし、実際の絵というのはそこまで派手ではない。みんな「捏造されたリアル」を知覚しているのだ。このため、よいカメラだと却って物足りなく感じたりすることがあるのだ。キャノンだと複数種類のプロファイルが選べる。派手めのセットとそうでもないセットがついていた。

そもそもなんのために「きれいな色を再現するのだろうか」という問題がある。Yahoo!知恵袋の質問などを見ると、意外とこれを考えていない人が多いみたいだ。例えば、ウェブで使う場合「きれいな色」にはあまり意味がない。モニターによって色が違うからだ。手元には複数のパソコンがある。一応色合わせをしているのだが、モニターの経年変化などにより発色がバラバラで、一つとして同じ発色のモニターはない。よいカメラはsRGBとAdobe RGBが使えるのだが、モニターはsRGBにしか対応していないことが多い。

では、モニターをきっちり設定したらきれいに見えるのかというとそうでもない。目の前にある白は黄色か青に倒れているはずなのだが、たいていの人は気にも留めないだろう。朝と夕方では違って見えるし、蛍光灯と太陽光でも違って見える。日本人はたいてい青色に倒れた白を「白」だと思っていると思うのだが、欧米人は黄色に倒れた白(色温度の低い白)を白だと考える。環境光と知覚の好みは人や文化によって違っているのだ。

どうしたらスマホで撮影した写真をコンビニできれいに印刷できるのかと思い、フジ・ゼロックス(セブンイレブンでサービスを展開している)に聞いてみた。コンビニシステムにはカラーマネージメントはないので、試しに出力してからマッチングしてほしいとのことだ。つまり、一度印刷した上でモニターの色合わせをしろということになる。ちなみにマッキントッシュだと[ディスプレイ環境設定]から[カラー]を選ぶと色のマッチングができる。プロファイルが切り替えできるので、環境にあわせて作業するのも手かもしれない。

市販のプリンターはsRBGにしておくと、カラーマッチングしてくれることが多いようだ。ColorSyncではなく、プリンタードライバー側でカラーマッチングする設定になっていることが多い。それでも特定の色がでなくてがっかりしたという人も多いのではないだろうか。

それでも多くの人は、特定の色の発色具合をそんなに気にしないのではないだろうか。色を絶対的に見ている(絶対色覚)というものはなく、相対的に判断しているからではないかと思う。コントラストをくっきりさせておくと、一般的な需要には耐えられるのだろう。

さて、最初の問題に戻る。どのカメラがよいカメラなのかという問題である。プロユースは別として、結局「どの目的で使うのか」ということが問題になるのではないかと思う。気軽に撮れて記憶色に沿った派手な色合いが好きな人もいるだろうし、思い通りの立体感やぼかし具合が欲しいと思う人もいるだろう。結局「人それぞれ」ということになるわけだが、何がしたいかが分からないと、よいカメラというものは存在しないということになる。

ちなみに今回買ったカメラは、ライブビュー(ファインダー代わりにモニターを使う)ができない。WiFiやGPSもついていない。仕上がりを確認するためにいちいちパソコンにCFカードを差し替えるのは意外に面倒である。さらに筐体がプラスチックでなんとなく安っぽい。発売当時に価格を抑えるためにあえてプラスチックにしたのだそうだ。

空き家の研究 – 市場と社会主義の失敗

朝日新聞に低所得者向けに空き家を有効利用してはどうかという国交省の提案が載っていた。耐震基準を満たした空き家のデータベースを作って、低所得者に貸し出すというのである。確かになんとなく良さそうな提案ではあるが、本当に実現できるものだろうか。

まず、耐震基準から見ておこう。2015年4月の日経新聞によると2/3が旧耐震基準で作られているそうである。空いている住宅は市場価値が低いものが多いのだが、壊すのにもお金がかかる。更地にすると解体にお金がかかるうえ、税金が跳ね上がる。だから売るに売れないし、壊すに壊せないという人が多いのだ。

それでも、1/3は引き受け手が出るのではないかというポジティブな意見もあるだろう。確かに園通りだ。朝日新聞には「成功事例」も載っている。ひたちなか市や多治見市ではすでにこのような制度があるということである。

気になるのは国土交通省がやるのは「情報提供のインフラ作りだけ」という点である。今回もデータベースなのだが、過去の空き家対策もデータベースだ。あまり自分たちで手を汚したくないのではないかと思う。実務は市町村に丸投げするのではないだろうか。

そもそも、空き家のマッチングがうまく行かないのは情報インフラが整っていないからではない。不動産市場になにか不具合があるからだろう。問題はいくつかある。市場は低所得者が入れるような住宅を供給するような体制にはなっていない。家は終身雇用で給与が上がって行くという前提でなければ手に入れることすら難しい。人々は新築で家を買いたがり(一生に一度の買い物だから自分で設計したいのだろう)中古住宅は人気がない。さらに、地方では人口が減りつつあり、都市への一極集中が進みつつある。つまり、データベースを作っても市場の失敗をカバーすることはできないのだ。

加えて、不動産の賃貸は手間がかかる。借り手が家を傷つけたとか、敷金礼金が帰ってこないとか、売りたいのだけど出て行ってくれないとかさまざまな問題がある。記事を良く読むと、地方自治体も仲介するだけであり、細かいことは持ち主と借り手同士でやってくれということになっている。

例えば家が壊れたとすると貸し手が修繕しなければならない。余計な手間がかかる。さらに相続して複数の相続人で遺産を分けたいとなったときには売ってから分割しなければらなない。そんな時に貸し手の都合で「今すぐ出て行ってください」などと言えるだろうか。こうした問題はすべて貸し手に丸投げされることになっているのだ。

さらにご近所問題もある。駅から遠く、都市計画上共同住宅が建てられなくなってい土地は、共同住宅に転用できずに売れ残る。そこに、低所得者の方が入ってくる。すると近所の住民はどう思うだろうか。トラブルが予想される。自治会への参加はどうするのか、ゴミ置き場の掃除はどうなるのかといった些細な問題なが、住民には大きな問題なのである。

 

空き家の問題の根幹には、人口の減少、終身雇用制度の破壊、それでも変わらない都市への一極集中の問題など「日本人の生き方」に関する多くの問題が隠れている。これを放置して「データベース作りましょう」というのは、国の怠慢としかいいようがない。

朝日新聞も「データベース=福祉政策」というので一面の扱いだった。多分、朝日新聞に勤めている高給取りの人たちにとっては、空き家の状況というのは他人事なんだろうなあと思った。そういう人たちにとっては、足下の問題よりも「明日戦争になるかもしれない」というほうが切実な問題に思えるのかもしれないが、実は日本のコミュニティというのはかなり深刻に蝕まれているのである。

それは美しい伝統なのか、それとも単なる奴隷制度なのか

あなたは生まれたときから将来の身分が決まっています。逃げることはできません。父親が死んだらあなたがその地位に就きます。将来あなたは影響力はある地位に就く可能性があるのですから、自分たちの将来を決めるような意思決定には関わることはできません。あなたがその身分から逃れることができるのは死んだときだけです。辞めるなんて許しません。お前に(いや失礼あなた様に)選択の余地はありません。

あなたはそれが気に入らないかもしれませんが、あなたの祖先がそうだったのだから、仕方がありません。諦めてください。というか、いや何もいうな。いや……その、仰らないでください。

生活保護はしてあげます。そのかわり無駄遣いだと思ったら、いろいろと文句を言いますから、覚悟しておいてください。特別な家にお嫁に入ったんですから、好きなときに買い物に行ってはいけません。贅沢だといって叩きます。実家に帰るのもいけません。実家で何か吹き込まれるとこまるでしょ。お父さん、偉いかたなんですよね。

仕事は山ほどありますよ。ただ、笑って手を振っているだけの簡単なお仕事じゃないですか。なんで満足にできないんですか。適応障害ですか。あんた、甘えているんじゃないのか。男子が生まれない。おおごとです。子供を産めないなんて、一人前じゃありません。

嫁が苦しんでいても文句を言ってはいけません。いや、匂わせるのもけしからん。いいですか。あなたのお仕事は、ただ笑って手を振るだけなのですよ。

女の子は結婚したら自由にしてあげます。いいや、人手不足だからそのままの地位にいてもらおうかなあ。でも、特殊な生まれなんだから、外に出てもひっそり騒ぎを起こさないように暮らしなさいよ。その点、旦那にもよく含んでおけ。いや、お伝えください。

いいですか、あなたたち。これが日本の美しい伝統なのです。あなたたちをかごの中に閉じ込めているから、私たちは思う存分美しい伝統に耽溺していられるのです。逃げ出すなんてとんでもない。考えるのもいけません。私たちが考える国体が台無しになってしまうじゃないですか。お城が崩れてしまうではないですか。

いいですか、あなたたちだけが犠牲になればいいのです。その他大勢が、甘い夢に浸れるのですよ。主人のいない神殿で、私たちだけが代理人として振る舞えるのです。私たちの尊厳はあなたの犠牲のうえに成り立っているのです。それを台無しにすることは、私たちが許しません。絶対にそれだけは許しません。

あなただけの問題ではありません。未来永劫あなたの子孫も同じ暮らしを受け入れなければなりません。

「天皇退位の意向」報道

NHKのニュースを見て驚いた。独自とした上で「天皇陛下が退位の意向」とやったのだ。健康に不安を抱えている今上天皇は5年頃前(ちょうど東日本大震災があったころだ)から退位の意向を家族に伝えていたとされる。だが、皇室典範に退位の規定はなく、実現のためには皇室典範が必要になるという。その後、毎日新聞が伝え、朝日新聞も伝えた。出元は「宮内庁幹部」とのことである。

ところがさらに驚いたことに、宮内庁の次長が「陛下に退位の意向はない」と報道を否定した。そのため、ネット上では様々な憶測が広がっている。多いのは「憲法改正を阻止するために、苦渋の決断をしたのだ」というものだ。陛下は常々平和の大切さを訴えており、平和憲法の改悪には反対の立場であられるだろうという予測に基づく。逆に政府の広報機関であるNHKがリークしたことから「安倍政権が陛下の追い落としを図っているのだ」という物騒な憶測も、少数派ではあるが存在する。

さらに次代への不安が考えられる。天皇を、先代がなくなって始めて継承する地位だ定義してしまうと、実際に天皇に即位したときに経験のあるアドバイザーが誰もいないということになってしまう。政治的に利用されることになりかねないし、お立場上孤立するということにもあり得る。生前譲位することで、継承の時間を取ることができるのだ。これはかなり切実な問題かもしれない。

実際に退位の意向があるとしたら、その意思は尊重されるべきだろう。老後をゆっくりと過ごしたいという気持ちは誰にでもあるものだし、一生激務の中に閉じ込めておくのは人権上問題がある。しかし、国事行為に関連する以上、即位・退位に自由意志を認めてしまうと。それを通じて政治的意思表明をしたり、逆に周りに利用されることにもなりかねない。退位の規定がないのは、政治利用を恐れたからだという話も出始めている。

この件は情報が少なく、確かなことは何も分からない。唯一確かなのは自民党・民主党の両政権が揃ってこの問題を放置してきたということだろう。安倍首相に至っては事前に相談もしてもらえなかったことになり、リエゾンとしての宮内庁の上層部のメンツは丸つぶれである。にも関わらずそうしたリークが出たいうことは、陛下側が政権を信頼しておらず、なおかつ宮内庁内に深刻な意思疎通の問題と孤立があるということになる。

報道によると、陛下は近々ご自身のお立場を説明されたいという意向だと言う。お立場上「譲位」を言わない可能性もあるということだが、もしそうなればきわめて不自然なものとなるだろう。

一方で安倍首相に近い楺井会長が安倍政権にこのニュースを上奏しなかったとは考えにくい。可能性は2つある。NHKの内部でスタッフの叛乱のような動きが起きているか、安倍政権側が天皇退位の既成事実を作りたかったというものである。もし後者であれば本物のクーデターだ。とんでもない話だが、全く否定しきれないところにもどかしさがある。

天皇陛下は憲法上政治的な意見を表明しないというだけであって、自由意志は存在する。現在の自民党の憲法改正案は「天皇中心の政治に戻すべきだ」と考える人たちの意向を受けながら、天皇への政治的権限強化は唄われていない。引き続き「お人形」として利用しようとしているだけだ。今上天皇に地位を巡る意向があるということだけでも、こうした動きに影を落とすだろう。

鳥越俊太郎氏出馬 – 本当の意味

都知事選挙の候補者選びは迷走した。自民党は分裂し、民進党などの野党4党は鳥越俊太郎氏を推薦することで落ち着いきそうだ。自民党のごたごたは、ポスト安倍政権がどのような形で崩壊するのかを示していると思うのだが、野党の共闘にはどのような意味があるのだろうか。

たまたまみたテレビでは四者(増田・小池・宇都宮・鳥越)が自分の政治的主張を展開していた。少なくとも自民党系の二者は「自分が知事になれば、このようなよい未来が保証されている」というビジョンを提示した。ところが、鳥越さんだけは「若者に楽観的な未来は提供できない」と語った。これは政治家としてはふさわしくない発言である。

政治家同士が競合するのは、政治家たちが同じ属性を持っているからだ。彼らは夢を売り、その対価として権限と地位を得るのである。彼らの目的は待遇であり、これは「外的なインセンティブ」に分類できる。

ところがそこに別の属性が紛れ込んでしまうと、議論自体が成り立たなくなる。鳥越さんは「何も提供できない」と言っているのだが、それは統計的には事実である可能性がきわめて高い。鳥越さんの発言の裏にある統計的事実は人口動態のトレンドだ。このような主張が紛れ込むと全ての「政治的議論」が無効化してしまう。その破壊力はきわめて大きい。全ての議論が「嘘くさく」聞こえてしまうのである。

鳥越さんが支持されているのは、世間が「ジャーナリスト」というものに「正義の味方幻想」を持っているからだろう。都政や安倍政権には悪が跋扈しており、それを裁いてほしいと思っているわけである。この役割を果たそうと鳥越さんが考えたとしたら、それは外向的な動機に基づいていると言えるだろう。

ところが鳥越さんにはその気はなさそうだ。政治的な主張と動機はありそうだが、それは外的なインセンティブによって動かされているわけではなく、内的に「おかしいことはおかしいのではないか」とか「真実が明らかにされなければならないのではないか」と考えているように思える。つまり、この人だけが内向的な動機付けを持っているようなのだ。

このことは標語にも表れていた。宇都宮・小池氏が「都民に希望を与える」としており、増田氏は「職員をまとめる」としていた。どちらも相手に何かを提供するというスタンスである。増田氏が「都民を見ていない」という点は重要だ。ところが鳥越氏だけは「自分がやりたいことをやる」と言っている。対象が違っているというレベルでしかない。そもそもベクトルが逆なのだ。

もっとも、有権者は鳥越さんが内向的な動機付けを持っているからといって支持を諦めることはないだろう。有権者は「見たいものを見たい」という強い動機を持っているからである。マスコミの扱いはさらにひどく、与野党対立という形に無理矢理押し込めていた。

どうやら、ご本人はこの違いに気がついていないようだ。そこで「インサイダー」「アウトサイダー」という説明を試みている。外向的な動機付けを持った人たちが「インサイダー(当事者)」であり、それを見つめている人がアウトサイダーというわけだ。

外向的な動機付けを持った人たちは取引がしやすいが、内向的な動機付けは外からコントロールできない。つまり、この擁立で一番苦労しそうなのは、民進党の人たちだろう。特に民進党はそれなりの利権構造を持っているだろうから、取引を持ちかけるはずで、それが覆された時にどのような混乱が起るかどうかがよく分からない。そもそも外向的な動機付けに動かされる人たちは内向的な人が何を考えているか理解できないのではないかと思う。

もっとも、現在の鳥越さんが内的な動機付けを持っているからといって、外的な動機付けの人にならないとは限らない。4年というのは人を変えるには十分な時間なので、4年後には「立派な政治家」になっているかもしれない。しかし、内的な動機付け(いわゆるジャーナリスト魂)を扱いかねた人たちが、なんらかのトラップをしかけて、知事を追いつめるということも考えられなくはない。

さて「鳥越さんが出てきた」意味は何なのだろうか。それは都民がそろそろ「政治的なビジョンというのは、地位を得るための取引なのだな」ということに気がついている現れなのだろう。そこで、そうした野望を持たない人が新鮮に見えるのではないだろうか。