「個人資産」が負債と化すまで

完全に私的な話。

日本では家は一生かけて蓄積する資産だと考えられている。建物には価値がなく、土地のみが価値を持っているとの認識が一般的である。ところが人口縮小が始まり近郊圏を含めた地方の土地需要は減少している。そこで家を人に貸したり、売ったりということが必要になるわけだ。売る場合には持ち主の負担で解体しなければならない。つまり「資産管理」というプロジェクトが発生するのだ。

不動産契約はトラブルになりやすい。最近では敷金・礼金に関するトラブルが多発している。法的な取り決めがなく小額裁判を起こされるケースもあるという。現状をめちゃくちゃにされたあげく「敷金・礼金を返せ」と裁判を起こされることがあるのだ。負けると裁判費用を払う必要がある。こうしたトラブルを防ぐためには契約書をきっちりと整備する必要があるが個人の貸し主にそんなノウハウはない。仲介業者もひな形を持っているのだろうが、細かな紛争には対応していない。

壊すときには解体屋を頼むのだが、建築業界は重層構造になっているので指揮命令系統が把握しずらい。土地境界というのは隣との境が意外と曖昧な物だ。共同で塀などを立てていることもある。そこで隣家の所有物を壊したという問題が起る。重層的で責任の所在が曖昧だから、トラブルの解決にオーナーが巻き込まれるケースがある。監督していないことについて責任を取らされるのだ。不動産屋はいろいろと入知恵してくるが何も解決してくれない。それどころか隣の家との交渉に入り話を複雑化させることがある。第三者が入ることで関係が悪化するのだ。

こうした費用は自己負担となるが後日土地代から回収されるはずである。しかし、それは土地が売れたらの話だ。土地が売れなければ税金を支払い続けることになる。何の収益もうます、住んでもない家や土地は単なる負債でしかない。

リバースモーゲッジという手もあるが、それは土地が売れたらの話。不動産屋も売れる見込みのない土地は引き受けないだろう。在庫を抱えたくないからである。単に「管理料」が欲しいだけなのだ。

「善意の人」であればあるほど毟られる可能性が高くなる。プロジェクト管理などしたことがない人が、いきなり各種のトラブルに巻き込まれるのだ。お金が絡むと人は善意を失う。みんな自分の生活を守ることで手一杯なのだ。

こうして持て余した「財産」はやがて放棄されるか放置されることになるだろう。例えば、相続放棄してしまえば負債から解放される。すると困るのは問題を放置してきた地方自治体である。空き家や売れない土地が残ってしまうのだ。国や地方自治体の管理している土地の草刈りや管理をするだけという商売もうまれるかもしれない。虫食い状態になった小さな区画が売れ残ったまま地域住民の負担になる将来が容易に想像できる。

本来なら国に対策を講じてもらいたいところだが、今の政治状況を見るとそんなことは期待できそうにない。問題が顕在化してから大騒ぎするが、結局誰も責任を取らないのだ。