フライパンを使って焼くケーキのことをパンケーキと呼ぶ。パンケーキには、ホットケーキやフラップジャックなどという別名がある。国によってはベーキングパウダーなどの膨張剤が入っていることもあるがこの違いは本質的なものではないらしい。膨張剤が入らないものもあるということは、小麦粉でできたクレープも基本的にはパンケーキの一種だということになる。ガレットは「ソバ粉を使ったフランス風のパンケーキなのだ」という言い方ができる。
とにかく、英語のホットケーキとパンケーキは概ね同じ事を意味するらしい。この英語の記事は「パンケーキとホットケーキは全く同じものを意味している」という前提で始まっており、「にも関わらず、日本では違うものだと認識されている」と言っている。
ホットケーキは「昭和の味」と呼べるようなものだ。厚くて甘い。それは「おやつ」や「子どものお昼ご飯」だとみなされている。格安だがボリュームがある。一方、「平成の味」であるパンケーキは薄い。生地自体にはあまり味がついていない。そして、甘いジャムやクリームなどの他に、サラダなどを乗せて食べることもある。つまり、食事としての要素が入っているのがパンケーキだと見なされているようだ。
いろいろなネットの生地を調べてみると、ホットケーキという言葉が一般的になったのは、森永製菓が出している「ホットケーキミックス」の影響が大きいらしい。発売は昭和32年だ。「粉もの」系は本格的な食事だとは見なされず、お菓子扱いされる事が多い。なぜ、森永がパンケーキを「ホットケーキ」と呼んだのかは不明であるが、東京のデパートの食堂で提供されていたからという情報がある。フライパンのパンと食パンのパンが混同されるのを避けたのかもしれない。もともとホットケーキミックスは「無糖」だったが、砂糖入りのものが出てから普及したというエピソードからも、食事としてではなくお菓子として認知された状況が分かる。
現在森永製菓は砂糖の入っていないパンケーキには、朝食としての価値もあるというマーケティグを行っているらしい。このため「お菓子として食べるのがホットケーキで、朝飯として食べるのがパンケーキだ」という認識もうまれているようだ。
ここから伺えるのは、日本人が持っている「新しいもの好き」という側面と「保守的な」側面であるといえる。東京のデパートでしか食べられない「ハイカラな」食べ物をありがたがる一方、食事には極めて保守的な障壁が存在する。そこで「ポジション」をお菓子にすると無事に導入できる。しかし、今度は「ホットケーキはお菓子」という強い印象が付いてしまった。海外からの「食事系」のパンケーキが受け入れられたのは小麦粉食が当たり前になった世代だ。今度は「食事系のパンケーキ」というマーケティングがなされるのだが、ホットケーキとパンケーキは違うものなのだという印象がうまれるのである。
ホットケーキミックスは小麦粉をさらさらに加工し、そこに膨らみやすい成分と油(多分、さくさくとした感じが出せるのであろう)を加えたものである。だから、実際にはワッフルやドーナツなどの他のお菓子にも応用できる。しかし「ホットケーキの粉」という印象があるために、ドーナツを作ってもらうためには別のマーケティングが必要になる。
「朝飯の保守的なバリア」と言っても、無理矢理に防御しているというわけではないだろう。朝飯というものは自動的に決められるので、わざわざ別のものを試そうという気持ちにはならないのではないかと思われる。一人暮らしでない限り、何かを「変革しよう」と試みても、家族を説得しなければならない。
そこで強いメッセージを使って新しい製品を導入しようという試みがなされる。メッセージが強ければ「そういうことになっている」と言えるので、家族を説得しなくてもすむ。ところがメッセージが強過ぎると却ってそこから脱却するのが難しくなるだろう。しかし、いったん脱却が進むとそこには「未開の可能性」が広がっている。結果的には、マーケティングには大きなチャンスなのだが、なかなか一筋縄ではゆかない。
食べ物の好みが形成されるのは、かなり幼いうちだろう。例えばメープルシロップも「ホットケーキにかけるもの」という認識が残っており、それ以外のもの(例えばヨーグルトの甘味料)などに利用しようとは思えない。干した果物も「レーズン」が一般的だが、干したオレンジなどはなかなか広まらない。レーズンはお菓子の部類に入っているが、実際にはサラダに入れてもおいしい。しかし、サラダは塩味で食べるものという認識があるために、甘いレーズンをサラダに入れると、家族の中に拒否する人が出てくる可能性もある。
このバリアも崩れつつあるようで、パンケーキの流行の次はグラノーラだと言われているそうだ。甘いドライフルーツを朝から食べるという行為も戦後長い時間をかけてようやくバリアを乗り越えつつあることになる。