北九州市八幡東区の病院で、認知症の老人の爪を剥ぐ「残忍」な看護士が捕まった。告発状がきっかけだった。彼女は裁判にかけられる。関係者やマスコミは「どうしてそんなことをする必要があったのか」とに関心を持った。警察の捜査で浮かび上がったのは、彼女がストレスを抱え込んでおり、そのストレスをはらすために、老人の爪を剥いでいたということだっだ。告発状のおかげで、虐待を訴えることができない「かわいそうな」お年寄りは救われたが、ストレスの多い現場環境の改善が望まれる。
これだけを聞けば、この看護士を糾弾し、ストレスが多そうな介護現場の改善を訴えたくなるのではないだろうか。しかし、この看護士は第二審で無罪判決を勝ち取った。第一審の頃から「爪はぎ」という事実すらなかったのではないかという証言も多く集った。専門家たちによれば、これは「爪はぎ」ではなく「フットケア」だったからだ。
つまり問題は、なぜこの看護士が訴えられ、第一審で「執行猶予付きの有罪判決」を受けてしまったのかということだ。
看護課長がいた部署は、短い間に何回か責任者が変わっている。訴えられた看護課長は、その任についたばかりだった。彼女の行為が「ケアではない」と考えたスタッフもいたようだが、意識が低かったのはスタッフの方だった。老人の爪は折れやすく、処置の際に血がにじむ事もある。むしろ放置しておいた方が危険ということもあるのだった。この「意識の低い現場」と現場を改革したいと考えるマネージャーの対立は時に深刻化することがあるだろう。特にトップマネジメントの関心が薄ければ、問題はカプセル化され、内部では軋轢が生まれるのではないかと想像できる。
病院トップマネジメントの関心の薄さと専門知識のなさが魔女裁判の最初のきっかけになった。多分、市の担当者は細かな介護現場の事情は知らなかったのだろう。そして、市の側も「調査に時間をかけていて、身内をかばおうとしているのではないか」と批判されたくなかったのではないかと言われている。この「事件」の前に京都である事件があった。派遣の看護助手が患者の爪を剥いでいたのだ。
この「仕事には厳しいが、同時によき母親でもある」看護課長を取り調べた側は、ギャップを埋めるために「ストレスが溜まって、弱者いじめに走った」というストーリーを創り出す事になる。いわゆる認知的不協和を埋める必要があったのだろう。取り調べて疲れ果てた看護課長はふらふらと取り調べ調書にサインしてしまった。「サインしなければ一日が終らない」からなのだと説明している。地裁はこの調書に従って判決を出したのだった。
裁判が始まってから、看護課長の無実を訴えかける証言が相次ぎ、日本看護協会も「これはケアであって虐待ではない」という支援表明をした。にも関わらず、地裁は「執行猶予付き」の判決を出した。調書を否定すれば「取り調べが間違っていた」ことになってしまうからだ。この「事件」を防ぐためには、調査委員会が早くから専門家の意見を求めていればよかったのだろう。また、医師が「看護士にケアを依頼」していれば、「ケアか虐待か」という疑念も生まれなかったに違いない。看護の現場にとって、この「事件」の影響は少なからずあったのではないかと思う。「ケアか虐待か」という極端に判断が別れるケースが頻発すれば、多忙な看護現場は回らなくなってしまうだろう。
誰が告発したかはよく分かっていないのだが、現場のやっかみから始まったのかもしれない。これにマネージメントの知識のなさと「事なかれ主義」が加わる。さらに、警察、検察、裁判所が作った物語が加わると、簡単に「現在の魔女裁判」ができ上がってしまう。(※この構造分析も「想像による」ということを、念のために付け加えておく。)
マスコミはこれをセンセーショナルに報道するだけで、関係者の言い分を取材したりはしなかった。「事実」が報道されたのは、第二審で看護課長が無罪判決を受けた後だった。「爪はぎ魔女」は実はシゴト熱心なよい母親だったと申し訳程度の追加報道がなされた。テレビ局の中には、今度は「えん罪事件」として、警察・検察当局を批判する番組を流したところもあった。この裁判は3年以上かかり、無罪判決が出たあとしばらくの間北九州市はこれを「虐待」だと認定したままになっていた。
私たちは、最初の「爪はぎ事件」について短くコメントした後、この事件を忘れてしまった。センセーショナルな事件は次から次へと報道されて「視聴者を飽きさせない」ことになっている。私たちが持っている「社会正義」とは多くの場合「エンターティンメントのスパイス」のようなものだということは知っておいても良いだろう。