投瓶通信

中央公論をぱらぱらとめくっていたところ、蓮實重彦さんと浅田彰さんの対談が載っていた。20年前にも対談をやったそうだ。いろいろ世相を斬った後で、最後に発信する事について論じている。蓮實さんが主張するのは、基本的に評論は「投瓶通信」であるべきだということだ。これは、多くの物書きにとって、励ましと言ってよいかもしれない。

昨日のマーク・ロスコの例で見たように、自分の主張が完全に理解されることはないかもしれない。むしろ、自分の内面を表現ししたいというやむにやまれる気持ちを持っているだけの人もいるだろう。蓮實さんは自分の発信したものに対して評価を貰えるのは10年後でもかまわないという。海に瓶を投じるように自分の思いを発信し、誰かがそっと受け取るのを待つ。まるで祈るような作業だ。

さて、ここまで書くと、なんだか蓮實重彦さんを礼賛しているように聞こえるかもしれない。そうではない。むしろこの表現に違和感を感じた。本当に投瓶でよいのだろうか。

ものを考える作業には2つの種類がある。ある問題を解決するためにものを考えることとそうでないものだ。例えば、中小企業診断士が顧客のために考える場合に「僕の主張は10年経ったら理解されればいいのだ」ということはできない。この人の仕事は今ある経営課題を見つけ出して、なんとか収益をあげることだろう。こうした課題は考えているだけではだめで、いろいろとやってみなければならない。故に、効果が上がらなければ理論的にどんなに優れていてもあまり意味がない。

別の人がもっと優れた解決策を持っているかもしれないが、クライアントにとって受け入れが難しければあまり意味がない。つまり、解決を目指す場合には、必ず意見の交換、現実とのすりあわせが必要になってくる。だからこういうコミュニケーションは投瓶ではいけない。

蓮實さんは評論は投瓶でいいという。評論は課題のない「考える」作業なのだろうか。どうもそうとは思えない。評論家も前段でいろいろな社会事象や政治について考察しているだろうからだ。

この対談は、インターネットの登場で短くなった発信とそのレスポンスを問題視している。

Twitterを考えてみよう。140字程度の短いメッセージが発信されるとそこに短いレスポンスがつく。やりとりが生きているのは、いいところ1時間くらいだろう。こうして多くの考察が発信され、消費されてゆく。考える時間はないからだんだんと脊髄反射に近づく。「いい」「わるい」「すき」「きらい」で仕分けされて終わりである。Twitterが導入されることによって人々はより政治について考えるようになったと言われる。しかし、多分それは間違いだろう。人々は以前にも増して考えなくなった。あまりにも考えることが多すぎて一つひとつのメッセージを吟味しているヒマはないからだ。

政治は世論を聞いて政策を変える。新聞はそれにリアクションする。以前は「マニフェストには必ずしも従う必要はない」といっていたのに、予算がマニフェスト通りに作られないとなると「マニフェスト違反ではないか」という。これはもう脊髄反射だ。そして、居酒屋では政治談義に花が咲き、それが世論となって政治を動かす。この回路の悪いところは、誰も新しいアイディアを投入しないところだ。いっけん大きく反響するように見えて回路の中を同じような情報がぐるぐると流れているだけなのである。

こうした状況を見ていると「いやあ、これは間違っているんじゃないの?」と思ってしまう。みんなちょっとは何か考えろよということだ。しかし、そうしたループから抜けて「俺は、歴史に評価してもらえばいいから、現実なんか知らんもんね」ということになっても良いものなのだろうか。
蓮實重彦さんは、(多分、勝ち組の一人として)東浩紀さんを挙げている。東さんは、多くのヒトにレスポンスを貰うことを指向し、いろいろな仕組み作りを試みているのだそうだ。そして「そんなことは貧乏臭い」と切って捨てるのである。レスポンスを貰うことは下らないことで、メディア戦略ばかりを考えた勝ち組は、むなしい勝利に過ぎないという。

イノベーションの記事で見たように、アイディア・ジェネレーションのプロセスには3つの段階があるだろう。一つは沈思黙考して一人で考え抜く作業だ。これが終わったら、その考えを持ち寄って実行可能な何かを作る必要がある。最後に実行して、それを反省して最初に戻る。つまり考察作業というのは「投瓶だけ」でもだめだし、「レスポンスを待っている」だけでもいけないわけだ。
中央公論がどれくらいの部数を出版しているのかは分からないが、もうあまりメインストリームの人たちからはレスポンスが得られないポジションに落ち着いているのかもしれない。老後暮らしてゆくお金は心配しなくてもいいから、今の経済不況もあまり関係ない。みんなからそこそこ尊敬されていて、あとは歴史に評価してもらうのを待つだけということなのではないか。この記事を読んで考え込んでしまった。

2012年1月10日追記:依然この文章は「投瓶通信」で検索トップにある。この文章を読み返して、さらに投瓶について調べてみた。もともとは政治的に孤立させられた人が、それでも自分の理想に意味があることを信じて文章を発信しつづけることなのだそうだ。少なくとも日本にはこうした孤立は存在しない。むしろ誰でも好きな文章を発信することができる。にも関わらず多くの人が「自分の意見は誰にも到達しない」とか「もはや到達しなくなった」と考えている。何が間違っているのか、どうあるべきなのか、もうちょっと考えて見なればならないのだろうと思う。

最後に蓮實重彦さんと浅田彰さんは、こう結論づける。「結局20年経って思うのは、何も驚くべき事はないということで、これが一つの驚きだった」と。日本の最先端の思想家や評論家が、もう驚く事は何もないのだと結論づけるほどこの国は枯れているのだろうか。それくらい、彼らの考察に対して、下らないレスポンスしか返ってこなかったのだろうか。

マーク・ロスコ

日曜美術館の再放送でマーク・ロスコの回をみた。高村薫がロスコについて語っている。高村さんは「普通に見えているものを、どうしてわざわざこういう風に描く必要があるのか」というようなところから、抽象画への興味を持ったそうだ。いわゆる一般人は「抽象画は評価されているから芸術作品なのだ」と思うわけだから、さすが芸術家の感想だといえる。高村さんはこの疑問を小説にしたそうだ。

マーク・ロスコの作品には説明がない、質感で塗り込められた色にしか過ぎない。絵画というよりは「環境」だ。河村美術館にロスコ・ルームと呼ばれる部屋がある。河村美術館は、絵画というより壁画であり、この部屋にいると何か赤に包み込まれるようだと解説している。環境は特定の精神状態を作りだす。

環境が感情を作るのと同時に、見る人の精神状態も重要な役割を果たしている。実際にこのロスコ・ルームを見に行ったことがあるのだが、その時にはあまり何も感じなかった。美術館は順路ごとに出口を目指す構造になっている。ゴールを目指すことばかりに夢中になると、一つひとつの絵に集中できなくなる。逆に、ちょっと疲れていたり、感情的な揺れがあったりする方がこういった絵に引きつけられるのかもしれない。

ロスコの絵は、もともとシーグラムビルの中にあるフォーシーズンズというセレブなレストランに飾られることになっていたのだが、ロスコはそれを拒否した。もしロスコが「建築家」的な要素を持った人であれば、その場の採光や環境などを考慮した上で絵画を制作しただろう。光が刻々と変われば、絵の表情も変わるはずだ。また、見る人によっては全く違った印象を持つかもしれない。

動的な環境の中で絵はさまざまな表情を見せただろう。しかし、ロスコはそう考えなかったようだ。限られた空間の中で自分の絵だけを置いてほしいと願ったのである。つまり、絵の動きは限られたものになるだろう。飛んでいる虫をピンでとめて、標本として飾るようなものだ。

結局、アメリカの絵画のトレンドは移り変わってゆき、ロスコの絵は時代遅れだと見なされる。しかし、彼は作風を変えなかった。その後、体調を崩し大きな絵画が描けなくなり、結局最後には自殺してしまう。抗鬱剤をたくさん飲んだ上で手の血管を切ったのだそうだ。そして死後に、財産分与を巡り、家族と財団の間で裁判が起こった。(以上、wikipedia英語版のロスコ・ロスコ事件の項による)

この一連のドラマティックな出来事がロスコの絵に「意味」をつけることになり、彼の絵は2007年に7280万ドルで落札された。表面的にある意味よりも遠くにある何かを捉えようとしていた絵が、通貨的価値と伝説を付加され、消費されてゆくといった構図がある。そのあたりから出発し、高村さんと姜尚中さんは「意味のある世界を解体して…」というような議論をしていたように思われる。

姜さんはこの絵を実際に見て「癒されるし、我がなくなるように思えるからウチに一枚欲しいなあ」とのんきなことを言っている。しかし、実際のロスコを調べてみると、セレブな空間に飾られることを拒否し、自分のスタイルを曲げることを拒否し、ほかの人たちと作品を並べられることを拒否している。強烈な自我を持っているようだ。

作品がある境地に達すると、周囲にあるものを巻き込む。作者の意思を越えていろいろな感覚をひきおこすのだ。いったん動き出すと、絵から引き出されたものなのか、絵にまつわる意味から引き出されたものなのかは区別できない。これがコミュニケーションといえるのか、それとも内側から来る対話(つまり独り言)なのかは分からない。多くの人が何らかの感情を引き出されるわけだから、人の間に共有する何かがあるのかもしれないし、そんなものはなくて、一人ひとり孤立しているのかもしれない。

高村さんの一言には引っかかりを感じた。高村さんは「本当は現実世界はこうは見えないのに」というところから論をスタートされていた。しかし、もしかしたら本当に世界がああいった抽象画のように見えている人もいるかもしれない。

例えば、ある日突然普通の時間の流れから飛び出してしまったように感じることがある。人によってはパニックを起こしてしまいかねない感覚だ。昔の人たちはこれを神秘体験としていたが、現代人は例えば通勤電車の中で神秘体験を起こすと会社に遅刻してしまうので、精神科で薬を処方してもらうようになった。ロスコの絵のような世界を体験するために、わざわざ違法な薬物を使ったりする人もいる。実際に、「ロスコの世界」を体験している人はかなりいるのではないかと思う。
普通、そうした世界を見た人は、見た事がない人に説明ができない。伝える技術がある人だけが、それを表現できる。とすると、こうした絵は描かれた時点でその役割を終えていたことになるのかもしれない。あるいは「私だけがこんな世界を見たのではないか」と考え、それを瓶に入れた手紙を海に流すようにしてそっと放流する。それを拾った人が「ああ、私の他にもこういう人がいた」と考えるのであれば、それは独り言のように見えてもコミュニケーションの一形態なのだろう。

(2012年9月1日改稿)

インド料理と文化受容のステップ

まだインド料理店が数える程しかなかったころ、六本木のインド料理店でよく見られる光景があった。インド人の店員に向かって「インド料理はそれほど辛くなかった、もっと辛くても大丈夫なはずである」と日本人(まあ、たいてい男性なのだが)が自慢するのである。この人たちにとって、インド料理=カレー=辛いということなのだろう。そして辛い料理が食べられる=エライという図式が成立するのだ。多分。
ここで「インド料理」とか「カレー」と呼ぶのは、主に北インドで食べられているあの料理のことである。その他、チベット文化圏にはモモや焼きそば(なぜか、唐辛子が使われていてとても辛い)と、汁気が多く、魚もよく使われる南インドの料理、そしてペルシャ圏から入って来たシシカバブや焼き飯などの文化がある。
実際にこういうことはよくある。わからないものや異質なものに遭遇した場合、人は差異に注目しがちだ。そしてその差異の程度の大きさによって序列が決まるわけだ。数値で表現できる程度の違いは序列を決めるには都合がいい。例えば「メタボ検診」で注目された腹囲85cmもそんな数字の一つだろう。他に2つの基準があるのだが、それは忘れ去れ数値だけが一人歩きした。身長や胸囲が違えば基準となる腹囲も違うはずである。
しかしこの「六本木カレー野郎」が特別変わった人だということでもない。例えば、カレーハウスCoCo壱番屋には、甘口、普通の他に、1辛〜10辛までのメニューがあり、「とび辛表」という名前がついている。お客のニーズがあるということだろう。
さて、カレーのおいしさの一つに「一晩寝かせたカレーはうまい」というものがある。カレーチェーンの中にはカレーを一晩寝かせてレトルトパックにつめて出荷するところがあるのだそうだ。どうして一晩寝かせたカレーはおいしいのかという決定的な説明はないそうだが、それぞれの具材の味が混じり合い一体となるからおいしいのだろう。日本人や欧米人が煮込んだカレーをおいしいと思うのは、多分シチューや鍋料理などの煮込み料理からの印象があるからだ。しかし、実際にはスパイスの味は一晩寝かせると飛んでしまう。つまり、日本人がおいしいというカレーは本来の味わいをわざわざ飛ばした料理だということになる。
デリーにあるスパイスとお茶の店ミッタル・ティー・ハウスがカレースパイスと一緒に配布するレシピ集によると、カレーは煮込み料理ではないようだ。所要時間は1時間以内で、香りを楽しむために使うスパイス類は最後に入れなければならない。最初に炒めたタマネギの甘み、油、それぞれのスパイスで味と香りを付けたのがカレーのおいしさだ。
「カレーは手で食べるべきだ」というのがある。これも六本木のカレー屋で人が講釈しているのを聞いた話だが、ナンをカレーにつけてはいけないそうである。これ、本当なのだろうか。カレーをナンにたらすのだそうだ。外人が間違ったハシの使い方をしていると、やはり正したいと思ってしまう。同じようにインド人も、日本人の間違ったマナー(つまり、スプーンでカレーを食べる)を苦々しく思っているのではないだろうか。しかし、汁気の多いカレーを手で食べるのはとても勇気がいる。
そう思ってインドまでカレーを食べに出かけたところ、実際には食卓にスプーンがおいてあることが多かった。隣にいたサラリーマンらしい2人づれを観察したところによると、一人は手で食べ、一人はスプーンを使っていた。路上で安いカレー(汁だけで具がない)を食べさせる屋台にはスプーンがなかった。ここはチャパティでカレーを拭うようにして食べるしか手がなさそうだ。列車のお弁当に出てくる料理にはあまり汁気がなく、これは手軽に手で食べることができる。(インド人のエンジニアたちも自分たちで弁当を作って持ってくるが、あまり汁気はなさそうに見えた)そして、インド人はあまり他人がどういう食べ方をしているのかということには興味がなさそうだ。
一応、手で食べる場合には、簡単なルールがある。必ず右手を使い、カレーとご飯を指先で混ぜる。指先にカレーを入れ、親指で押し出すようにして食べるのである。ナンで食べると「辛い」ということしかわからない。しかしご飯とカレーを混ぜると、カレーのスパイスが空気に触れる。するとスパイスの香りが立って別のおいしさが味わえる。別にこれができなければダメということはないが、こういう食べ方に挑戦すると新しい経験ができる。
新しい文化を受容するとき、人はまず自分の持っている経験を使って解釈しようとする。その次に数値のような「客観的」な指標を使っての解釈を試みる。さらに形を模倣しようとする。しかし実際には、いちからその文化に触れてみると、形の裏にある理由が見えて来たりするものである。