自民党はなぜ人権にそれほどまでに敵愾心を燃やすのか

共謀罪について考えていて一つわからないことがある。菅官房長官が「人権を擁護する人たち」に関してなぜ強い敵愾心を持つのかがさっぱりわからないのだ。菅官房長官はおそらく安倍首相を忖度してああいった発言をしているのだとは思うのだが、もし自分たちに意見があればそれを主張すればいいだけの話で、感情的な文章を出すのはあまり筋がよくない。

が、全然違うところで違う話をしていて「ああ」と思うことがあった。あれは安倍首相の劣等感の表れなのだと思ったのだ。だとすると、その劣等感に国民を巻き込むのはやめてほしいものだと思う。

ある日、QUORAで質問でもしてみようと思った。できるだけ当たり障りのないものが良いと思い「外国人がインドで苦労して手で食べるのをみてどう思うか」と聞いてみた。が、回答はインド人にはあまりよく受け入れられなかったようだ。

インド料理にはそれなりのマナーがある。外国人が知らずに「ただ手で食べればいいんでしょ」などとやると実はマナー違反になることがある。つまりインド人は手づかみで料理を食べているわけではないのである。

だが、どうやらインドの人の中にも「手づかみで食べるのは文明的ではない」という気持ちがあるようだ。つまり、西洋的な伝統に対して恥ずかしさを感じているということになる。2人の回答者の一人はマギという食事をフォークで食べて苦労したと言っていた。日本の人はマギーブイヨンでよく知っているマギーだが、検索するとカップヌードルのような麺料理らしい。

非西洋人には多かれ少なかれ西洋文化に対するコンプレックスがある。西洋人のように「立派に」フォークで食べたいと思うのだが、それができずに「恥ずかしい」思いをしてしまう。そこで「馬鹿にされているのではないか」と考えて、却って強い態度に出てしまうのだ。

同じことが民主主義や議論についても言える。西洋的な社会に触れた人たちは、社会に参加するということを経験を通じて自然に学ぶ。だが、こうした経験をしない人も大勢いる。そして、それを知らないことが「西洋的なスタンダードでは恥ずかしい」とも思っている。そこで、西洋人から「あなたは民主主義を理解していない」などと言われると、却って威丈高な態度を取ってしまうのかもしれない。中国人がその典型だろう。内政干渉というのは「西洋文化の押し付け」である。

つまり、安倍政権というのは日本が民主主義を完全にはマスターできなかったという恥ずかしさの裏返しの上に立つ政権だと言える。それを支えているのも「手づかみで食事をするような」意識の人たちということになるだろう。

さて、ここで考察を終えることもできる。つまり「日本人は戦後70年を経ても民主主義を身につけることができなかった劣等な民族である」という結論になってしまうのだが、そこで終わってもよいものだろうか。

例えばインド人の食べ方にはそれなりのマナーがあり「手づかみ」ではない。左手は使わず、親指以外の指をスプーンのようにしてカレーをすくい、親指で押し込んで食べる。が「恥ずかしい」という自意識があるとマナーがあるということすら認識できないのかもしれない。

同じように日本人にもそれなりの意思決定と統治のメカニズムがある。実際には集団指導体制を取ることが多い。利益代表者が集まって、強いリーダーを作らず均衡型の意思決定をするのが普通だ。これは日本人が内心への干渉を極端に嫌い、自分の領分が侵されることを許せないという気持ちがとても強い体。こうした意思決定は様々な場所で見ることができる。が、日本人は「政治の意思決定は民主的であるべき」という思い込みがあるために、それを自覚しないことが多いのではないだろうか。

安倍政権ももともとは均衡型の政権と言える。自民党には複数の派閥があり、それが深刻な争い発展しないように「お神輿」を担いでいる。重要なことは派閥同士の話し合いによって決まる。現在、いろいろな問題が起きているが、お神輿がしゃしゃりでるとろくなことにならない。意思決定が歪められて「忖度」が横行するのである。なぜこんなことになったかというと、間違えて「西洋型の強くて決められる政党」を目指して、総裁への権力集中が起こったからだと考えることができる。

強すぎる勢力ができると日本人は裏で足を引っ張り始める。よく自民党の中で「長期政権の弊害」などと言われる諸々の現象がおこるわけである。長期政権の弊害が生まれるのは、日本人がそもそも議論に参加して決めたことには従うという気持ちが全くないからである。自分の内心とは違った結果に従わざるをえなくなると「俺は実は納得していなかった」と言い出す人が必ず出てきてしまうのである。

例えて言えば「フォークとナイフも使えない」し「かといって箸で食べるためのマナーも知らない」という状態が生まれていることになる。つまり、どっちつかずのまま混乱を迎えつつあるのが安倍政権と言えるだろう。箸を使うのは恥ずかしいので勉強もしてこなかったから、突き刺してつかうしかないということだ。

足元では様々な動きが出てきている。常に内閣府から押さえつけられ天下り利権を取り上げられ「公衆の面前で恥をかかされた」文部科学省は週刊誌に内部文書をリークした。政府が「千葉、埼玉、神奈川との間で費用負担について同意した」と発表すればNHKがそれを鵜呑みにした報道をだし、神奈川県知事がTBSのテレビにでて「いや聞いていない」という。天皇陛下が退位したいというリークが古参の職員によってなされて、安倍政権が任命した責任者が慌てて否定する。こうした動きは安倍政権と強すぎる内閣官房への意趣返しと言える。すべての人を抑えることはできないわけで、日本型の強すぎる組織はこうして内部から崩壊してゆくのだろう。

だからこそ、議論を透明にして、議論の過程で言いたいことは全て言わせてしまうのが民主主義のルールなのだが、それが守られない。それは日本人が民主主義を知らず、知っていたとしても守るつもりなどないからなのだ。

 

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