朝起きてTwitterをみたら「立憲民主党は維新と組むな」というタグが飛び込んできた。立憲民主党などの野党が共産党を外し維新を含んだ枠組みで政策協議をすることを決めたことにリベラル派が反対したのだ。
これをみて「次の戦争に勝ちたかったら一度は敗戦を認めたほうがいいのではないか」と思った。このままTwitterの世界でつぶやいているだけでは状況は変わらないだろうからである。
だが実際にはこの騒ぎはTwitter世論の勝利で終わった。つまり敗戦はなかったのである。リベラル派は変わるきっかけを失ったといえる。
記事自体はフジサンケイ系ならではの意地悪なものだなあと思う。だから「負けは認めない」でも構わないのかもしれない。だが、リベラル左派の問題点である内向きさはそのまま残ってしまった。さらにいえばこれが成功体験になり「嫌なことがあった時だけ騒げばいい」という文化が定着することになるだろう。とはいえ泉健太という出戻り組がリベラルから立憲民主党を引き離そうとしているという疑念は残った。
これは非常にまずいと思う。
- ネットのリベラル派市民から見れば泉健太体制立憲民主党は要監視団体に転落したと思う。おそらく団体として可視化されたまとまりを作って圧力を加えたほうがいいだろう。
- 立憲民主党から見ても「説得する相手がいない」というのは非常にまずい状態だ。
- まず、自分たちの配下にいるサポーターたちに説明はできてもそれよりも何倍も数が多いネット世論が納得するかどうかはわからないということがわかった。
- だがネット市民は結果によって騒ぐだけで事前に説得することもできないのだから泉健太体制が取りうる選択肢はネット市民によって制限されることになる。
- さらにいえば、この周囲には「左派リベラルも立憲民主党もどうでもいい」と考えている大勢の一般市民がいる。内向きな闘争が外に広がることはないわけだから支持率の超低空飛行という事実は変わらない。つまり立憲民主党への支持は広がらない。
つまり問題の核心は「話し合いの素地がない」ことである。これをそれぞれが戦いと表現している。一切妥協はいたしませんということだ。
ただこの妥協のなさは実際には内向きさと自信のなさの現れである。このブログは人権について扱っているのでリベラルの方に支持していただくことはある。だがその支持によって購読者が増えることはない。仲間内で呟き合うことは支持を広げることにならない。広げるためには「自分とは異なる意見を持っている人」と対話しなければならないからでである。
このために重要なことは二つある。
- 一つはTwitterではなく意見交換ができる可視化された拠点を作り政治家を招くことである。このための具体的な提案としてフォーラムを準備した。あとはネット世論がこれを使う気になるかどうかということになる。
- 次は立憲民主党支持者ばかりでないところに出向き積極的に相手の意見を聞き、また自分の意見を述べることである。
具体的な提案はいくらでもできる。場所を作れと提案すると大抵「ITがわからないから」と逃げ腰になるが、実際に場所を作ることは実に簡単だ。プラグインとサーバーがあれば5分で設置できる。例えば今回の騒ぎで「議員に直接文句を言おう」という人が議員名簿をエクセル式のスプレッド形式にして配っていた人がいた。あれもちょっとしたプログラミングの知識があれば簡単に検索機能付きのデータベースにできる。だが、それを使う気になる人がいるかどうかはまた別問題である。内向きの人たちに行動を喚起させるには10年くらいかかるかもしれない。
おそらくそもそも脱リベラル志向の泉健太代表が共産党を除いた維新との連絡協議会のことを知らなかったとは思えない。だが実際には「国会対応に問題があった」と説明を馬渕さんに丸投げしてしまった。おそらくこれからも隙を見て状況を動かそうとするはずだ。その度にTwitterで騒いでもいいが運動はそのうちなし崩しになるだろう。
この「関わりません」宣言は菅直人対維新のバトルの時にも取られた対応である。
今の立憲民主党は政党としては各個人がバラバラに意見表明をしているという状態だ。ある人たちは接近を試みまた別のある人たちはケンカを仕掛けている。菅直人議員のTwitterではまだ対維新闘争が続いている。ただ菅直人議員のTwitterを見ると久しぶりに注目を浴びなんだか楽しそうだ。
共産党は維新を「自民党の補完勢力で翼賛体制だ」と一刀両断だ。おそらくこれで野党全体の連携の動きは消滅したと言って良い。ただこれは市民団体を名乗っている特殊勢力が「たたかっている」だけで実際の市民はほとんど関心を持っていないと言って良い。そもそも国民は政治に対して意見は言っても「たたかったり」はしない。支持率を見ればそれがよくわかる。
一方で視点を外に移すと立憲民主党にせよ左派リベラルにせよそれほど関心を持たれているとはいえない。おそらく運動に広がりがないのがいちばんの問題だろう。
一応今回の騒ぎについて聞いてみたが「偏見と印象論」以上の回答は得られなかった。自民党の別働隊という人がおり労働貴族の集まりだというニュアンスを含ませる人もいる。だがおそらくこれが一般的な声であり実際に市民団体が「たたかう」相手はこうした人たちであるべきだ。
趣味のサークル運動として社会運動をやるのなら内輪同士でわちゃわちゃやってもらうのは構わないと思う。実際になんだかみんな楽しそうなのでとやかくいうのも憚られる。多分「たたかい」は楽しいのだろうと感じた。だがもし仮に政権を取りたいなら実際に戦うのは誰かとかそのために何をすべきかということはきちんと考え直したほうがいいのではないかと思う。そうは思わないだろうか?
とはいえ、働きかけをしても誰も動かないというのも事実だ。色々書いてきて思ったのだが「外に働きかけることの何が怖いのか?」というご意見を募集してみるのがいいのかもしれないと思った。できれば今回作ったフォーラムに書いてもらえればいいのだが、これはこちらの管理事情だ。登録するのが嫌だということであればTwitterでつぶやいてもらっても構わない。
ちなみに産経系はこの状況がかなり面白かったのだろう。朝令暮改だという声を拾って記事にし立憲民主党を批判するときによく使われる「ブーメラン」という言葉も用いられている。