白鵬バッシングに邁進する愚かな日本人について考える

白鵬バッシングが強まっている。万歳がいけないと言われ、日馬富士と貴ノ岩を土俵に戻したいといったことがいけないと言われた。Twitterをみると貴乃花親方の下では巡業に出たくないと言ったということが咎められ「嫌ならモンゴルに帰ればいい」などとバッシングされている。

どうしてこのような問題が起き、どうしたら解決できるのかということを考えてみたい。しかし、相撲界だけで考えるのは難しいので、全く別の事例を考えてみる。それが日系企業の中国進出である。全く別の状況を当てることでその異常さがよくわかる。

日本市場が先細りした企業が中国への進出を考える。そこで日本語が堪能な現地人の留学生を採用する。彼らは日本の特殊な企業文化を学び必死に同化しようとする。偉くなれば自分たちの地位が向上すると考えるからだ。彼らは期待通りに成長し、現地市場を開拓する。その成果が上がり、中国市場はこの企業の稼ぎ頭になった。

モンゴル人が最初に直面するのは「可愛がり」という常軌を逸した暴力である。日本のジャーナリズムは相撲界と経済的・心情的な癒着関係にあり何も伝えないがBBCは白鵬が経験したかわいがりの感想を掲載している。

白鵬は、私の顔は今幸せそうな顔をしているように見えるかもしれないが、(かわいがりを受けいていた)当時は毎日泣いていた、と語った。力士は、最初の20分はただただすごく痛いが、殴られても痛みが感じにくくなってくるので、それまでよりは楽になる、と話した。

白鵬は当然泣いたと言うが、兄弟子に「お前のためだ』と言われてまた泣けた、と振り返った。

中国人が日本の婉曲な企業文化を学ぶように、モンゴル人もこのように混乱したメッセージを受け取る。表向きは「日本人のように尊敬されるような人になりなさい」と言われるのだが、裏では容赦ない暴力があり、これを抜け出してまともな生活ができるようになるためには番付で上に上がるしかない。この文章には、番付が下の力士は配偶者と一緒に住むことすら許されないという「成果主義的な」状況についても言及がある。

さて、中国人の話に戻る。彼らは本社での待遇向上を期待するが、いつまでたっても重役以上にはなれない。重役たちに聞いてみると「日本国籍が必要であり」「中国人には日本の難しい文化は理解できないからだ」と言われるばかりである。では日本の難しい文化とは何かと質問しても明快な答えはない。最初は深淵すぎてわかりにくいのだろうかと思っていたのだが、どうやら日本人にもよくわかっていないのではないかと思えてくる。

モンゴル人力士はいつまでたっても日本人らしく振る舞わなければならないし、何かあれば「やはりモンゴル人だから」などと言われる。国籍をとって親方になれたとしても「二級市民扱い」は一生続く。日本のしきたりだからと言われて理不尽な暴力にも耐えてきたし、日本文化についてよく勉強した。しかし、だんだん様子がわかりトップである横綱にまで上り詰めたところで白鵬は「この理不尽さには一貫した思想などない」ということに気がついたのだろう。

中国人の話に戻ろう。ある日本人のプロパーが理不尽な要求を持って重役たちを振り回し始める。しかしながら、重役たちは彼のいうことを聞いているようである。そこで中国人たちは「自分たちが改革を要求しても聞き入れられないのに、日本人が重役を振りまわせるのは「差別があるからだ」ということに気がつく。

これが貴乃花親方である。貴乃花親方は「日本の伝統」という言葉を振りかざして改革を要求する。改革自体にはそれなりに根拠があるかもしれないが、周囲と協力しようなどという姿勢は見せない。「品格」には強くなっても威張らずに周りと協調してやって行くという価値観を含んでいるはずなのだが、どうやら貴乃花親方はおかまいなしらしい。それどころか貴乃花親方には同調者すらいるようである。そこで初めてモンゴル人たちは「部屋に分離されてバラバラにある状態」は不利であり自分たちも固まってプレゼンスを持つべきだということに気がついたのだろう。しかし、彼らにとってみればそれは当然の要求である。

そもそも相撲界はモンゴル人に依存している。相撲に強い日本人が入ってこないのはなぜだかはわからないが、前近代的な仕組みが日本人に嫌われているのかもしれない。体力に恵まれているのなら柔道やレスリングの方が栄誉が得られる可能性が高い。オリンピック種目であり金メダルをもらえればその後の生活には困らないし、選手の裾野も広いので指導者としての道も立ちやすいからだ。

そこで白鵬は自己主張をするようになる。巡業が多すぎると言って親方に注文をつける。バスの中では良い席を実際に働いている力士に譲るべきだと言って巡業の責任者である貴乃花親方の席に座る。バスの時間に遅れてやってくるなどの示威行為である。日本の伝統からみると「親方を敬っていない」と感じられるかもしれないが「商品である力士を大切にせよ」というのは実は当然の行動だとも言える。親方だけで相撲巡業を行うことはできないし、巡業がいくら増えても給料は変わらないのだろう。

もちろん貴乃花親方を責めることはできない。中学校を卒業してから親方が威張るのは当たり前だという世界で過ごしてきたのだから自分が親方になり巡業部長になったのだからその世界に君臨するのは当たり前だと考えるだろう。

Twitterの心ないコメントに見られるように「気に入らないならモンゴルに帰ればいい」と日本人は気軽に言うが、実際にはモンゴル人なしに日本の相撲はもはや成立しない。これを単に品格の問題だけで片付けることはできない。これは労働組合と経営者の間の対立でもある。貴乃花親方が土俵に上がるわけではないのに、なぜ威張るのだろう。

これは、例えばプログラマが「なぜ自分でプログラムを組みもしない部長にペコペコしなければならないのだろうか」と思うのにも似ている。さらに、プロジェクトマネージャーがクライアントを説得できなかったせいで時間が足りなくなり土日も犠牲にせざるをえなくなったというようなことがあればプロジェクトマネージャーに一言ガツンと言ってやりたくなるはずだ。そこで「プロマネに楯つくとはお前には品格というものがない」と言われたらどんな気分になるだろうか。しかもどんなに尽くしてもプロマネはエンジニアに感謝などしない。「お前らが無能だから赤字になったじゃないか」などと毒付いて「もっと優秀で土日も休まないエンジニアが欲しい」というのである。

日本人はこれに耐えるかもしれないが、他の国の人は別の企業に行くだろう。しかしこのような状態が続けば日本人ですら英語を覚えて外国企業に就職するかもしれない。

実はこの問題を見ていると、日本企業が国際化できなかった理由がよくわかる。原因はいくつもあるのだろうが意思決定が特殊なため異質な人たちを受け入れられないという事情がある。また、若い頃に「いじめられていた」のを「後には良いことがあるから」と我慢させていたという事情もある。だから、貴乃花親方のように全てを捨てて相撲に没頭してきた人に「これからは力士を労働者として普通に処遇しなさい」とは言えない。

さらに都合が悪くなると「労働者と経営者は親子同然なのだから、親を敬わないのは品格がない」と言い切れる。その場はなんとか取り繕うことができるのだが状況が改善するわけではないので、人はどんどん逃げて行ってしまうのだ。

つまり、日本企業が過剰な日本人らしさを求めて衰退して行くのと同じことが相撲で起きているということになる。「国技」という小さなプライドを持ちながらゆっくりと衰退して行くことになり、これは製造業が「日本の誇り」と言われているがゆえに衰退し、品質偽装を繰り返すようになったのと実はとてもよく似ている。

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