これまでの文章とは違って、今回はフィクションをお送りします。いくつかの超えなければならない無理目な設定があり、現時点でこれが現実になる可能性はないと思います。
しかし心理的な障壁をいったん乗り越えてしまうと、逆に道が開けてしまう可能性があるなと思いました。中には「テロ」に含まれかねない危険な障壁もあります。
そしてこれが実現してしまうと日本はかなり困ることになります。それは軍事的な話だけではないようです。
沖縄の米軍基地のゲート内で小規模な爆破騒ぎが起きた。犯人はいったんは外に出たがその場でアメリカ兵に取り押さえられて基地の中につれて行かれた。後日度、この行動は重なるアメリカ軍の非道な振る舞いに抗議するものだということがわかった。日本政府は犯行声明を出した集団をテロリストと認定した。しかし、日本政府は米軍に形ばかりの抗議をするだけで日本人の身柄の引渡しを求めなかったし本土はこのニュースを一部の過激派の運動だと考えて黙殺した。
程なくして沖縄で彼の身柄の引渡しを求めるデモが起こった。報復として米軍の車両が基地の外に出るのを実力行使で封鎖することになった。日本の警察は彼らデモ隊を実力で排除する行動に出た。しかしこれが悪かった。運動がさらに広がり、日本の警察と沖縄県民の対立にエスカレートしてしまった。官房長官が調停に乗り出したが県関係者から面会を拒絶された。官房長官は違和感を感じたものの東京に戻るしかなかった。
度重なる沖縄県民を無視した日本政府の行動は沖縄人の心を刺激し、ついに大規模な反政府運動が起きた。即座に琉球独立派が「これは民族紛争である」として中国を通じて国連に訴えた。どうも話がスムーズに進むなと思っていた人たちも多かったのだが、実は一連の運動には中華人民共和国が絡んでいたのである。中国が絡んでいることが分かってはじめて本土のマスコミも騒ぎ始めた。
安全保障理事会が動かないのは予想通りだったのだが、ロシアと中国が琉球民族の支援に乗り出すとして動き始めた。沖に止まっていた中国からの貨物船から夜中に武器が引き渡されて琉球独立政府は一夜にして武装化をした。ウクライナ紛争のような大きな動きになるのではと予測する人もいた。
ところがアメリカの動きもおかしかった。本来なら日本に味方して参戦してもよさそうだったが、国連での形ばかりの非難を繰り返すばかりで実力行使はなかった。中国との全面対立を恐れているのだろうと憶測する人が多かったが、実は官邸内では、アメリカは沖縄の在日米軍さえ確保できれば中国の影響下にある政府ができてもかまわないと思っているのではという憶測が主だった。
いずれにせよ、政府の中の情報は隠蔽されて議事録はすべて黒塗りにされので、国民は「何が起きているのかわからない」という状態に置かれていた。ワイドショーは「アメリカは味方してくれるのか」という憶測報道に終始した。官邸の記者クラブに頼っていたので独自取材ができなくなっていたのだった。
こうした混乱は6ヶ月ほど続いたが、結局日本政府は国連での抗議運動を行うだけで実質的には何もしなかった。琉球独立政府は沖縄県のいくつかの市町村を配下におさめた。日本政府はこれに抗議したがアメリカの支援なしでは何もできなかった。
面白いことに、尖閣諸島問題は解決した。中国が「尖閣は琉球固有の領土である」と認めたのだった。制海権を中国が持っているので、もはや小さな岩礁にこだわる必要はなくなったといえる。日本から沖縄への渡航は国内旅行扱いとなり、琉球独立政府もこれを黙認した。穏便な措置だと思われたのだが、実はこれが中国の罠だった。
チャイナマネーが流れ込む特区となった那覇市は3年のうちに上海並みの高度経済成長を見せた。新卒プログラマの給料は40万円程度となり、多くの若者や博士課程修了者などが那覇に流れ込むようになった。那覇市の成功に惹かれた周辺自治体も琉球政府入りを決めたのでなし崩し的に沖縄県全域が琉球政府の配下に入った。
この動きは各国の注目を集めた。東アジアでのアメリカの覇権が崩れ、中国の時代が来たということを印象付けただけでなく、これまでアメリカが得意としていた「自由と諸民族の解放」を中国が行ったということが明らかになったからだ。
米軍は米軍基地利権を確保したものの一歩も外に出られなくなった。つまり、琉球は交渉を断絶したので米軍基地を返還してもらえなくなったが、米軍も基地の外に飛行機やヘリコプターを飛ばすことはできなくなり事実上基地を放棄せざるを得なくなった。
このころになると、沖縄県の関係者は早い段階から日本政府や米軍との交渉をあきらめ基地も帰ってこないことを前提にして主権を獲得することを選んでいたのだということがわかるようになってきた。官房長官が会ってもらえなかったのはそのためだったのだ。
日本政府は沖縄県の関係者を内乱罪などで告訴したが、すでに実効支配を行っておらず、これには何の意味もなかった。琉球政府と人民解放軍の間には協約が結ばれ沖縄の海港のうちいくつかが中国の利用できる港になり、中国は太平洋への大きな出口を獲得することになった。程なくしてロシアとも同じような協約が結ばれた。ここにきてロシアと中国の間にも密約があったことがわかった。
この数年間のばたばたとした動きの中で日本は多くのものを失った。特に大きかったのは日米同盟の片務性がより明確になったという点だった。沖縄の基地に依存し「日本は大きな犠牲を払って喜望峰までの領域を支えている」という欺瞞は通用しなくなった。
さらに、東アジア随一の先進国であるという20世紀の幻想は打ち砕かれ、繁栄のショーウィンドウとしての琉球を横目で見ることになった。かといって、日本人の渡航を制限してしまうと琉球政府を認めたことになってしまうので人材流出はとめられなくなった。ネットでは琉球成功物語のブログが流行した。これらは日本語で書かれており、日本にいる人なら誰でも見ることができるのだ。日本人はリスクのない成功物語が大好きなのだ。
さらに悪いことに、問題が起きてもアメリカは何もしてくれないだろうという確信を多くの人が持つようになったが、それは自力で日本を防衛しなければならないということであり、形の上では日米同盟を支持する人が多いという状態となった。しかし、政府がこれを認めることはなく、すでに破綻している物語にしがみつく形で憲法改正がなされ、自衛隊が「実力部隊ではあるが軍隊ではない」という形で憲法に書き込まれた。
しかし、アメリカと中国が太平洋の覇権を二分するために頭越しで交渉しているのだという疑念も晴れないままであり、政権は戦争ができる国になりたいのだなどと言い出す人たちはいなくなった。中国は琉球を自国域に組み込まなかったので占領論もなくなった。ただし軍事的な覇権は持ってゆかれてしまい、そのことは日本政府のアメリカに対する外交的失点とみなされた。アメリカはこのころから日本への関心を急速に失ってゆき、大事な交渉は中国と行うことがますます多くなった。
こうして国内が冷戦下と同じ議論を繰り返しているうちに米軍が日本から撤退するのではないかといううわさが流れるようになってきた。沖縄程度の基地を受け入れる自治体などあるわけもなく、利権がないなら日本など守ってやっても何の得にもならないからである。
嘉手納の門が開かれて「日本への開放」が決まった。しかし、そこに入ってきたのは日本の自衛隊ではなく、中国の人民解放軍と琉球政府軍だった。米軍はこれを日本と琉球内政問題として関与しないという通達を行った。