先日は主語を読むような丁寧な報道解説に需要があるのではないかと書いた。だが、実際にはちょっと気になる傾向もある。ワイドショーに橋下徹さんが多く登場しているのである。わかりやすさが受けているらしい。これは危険な兆候だなあと思った。
橋下徹弁護士は茶髪の風雲児としてワイドショーを席巻したあと大阪府知事に転身した。あれ大阪市長だったかなと思ったのだが、市長と府知事のどちらもやっているそうだ。大阪府知事を一期、大阪市長を二期やって政界を引退しているそうである。
テレビで軽快に受け答えをする姿を見て、橋下徹さんという人は本当に頭が良いのだろうなと思った。MCやコメンテータのいうことを瞬時に理解して的確にさばいてゆく。しかし敵を作らず「自分はただの民間人で失敗もしていますから」と言って謙遜する。
さらに上手なのは「自分は失言してもいい」というキャラを構築しつつある点である。多数の視聴者に支持されていれば少数の攻撃者はかわせるということに気がついたのだろう。こうして実績を作って行けば少々の乱暴な言動は許容されてしまうのである。おそらく政治家になっても、である。
橋下徹さんが出ている情報・報道番組の内いくつかはフジ産経系だったので、フジ産経が維新を推しているのかなという気はする。「女性と左翼は嫌い」なフジ産経系というのは見ているとよくわかる。フジ産経系は「これからも男性の価値観で社会が支配されるべきだ」と感じているのだろう。
だが、TBSでも一回見かけた。
どちらも共通しているのが「橋下徹さんにズバッと切っていただきます」というフレーズである。どうやら世間には「白黒つけたい願望」が高まっているようだ。世の中が複雑化しており「面倒臭いことは考えたくない」という気持ちが蔓延しているのかもしれない。
そんなことを考えていたら、半沢直樹が人気だという話を聞いた。視聴率が20%を超えたらしい。前回もそうだったのだが、今回はさらに時代劇度がアップしているようだ。歌舞伎役者が周りを固めているところから制作側の姿勢は明らかである。原作にあった複雑さを脱ぎ捨てた勧善懲悪ドラマをテレビに持ち込もうとしているのだろう。
吉沢亮が出てくるスピンオフをちらっと覗いた。吉沢亮がものすごい眼力で悪巧みを暴いているシーンを見て「ああこれは無理だな」と思った。高齢者が熱心に「水戸黄門」を見ていたのを思い出したのである。
日本人の子供はヒーローもので集団の勧善懲悪を学ぶ。そして最後に複雑なドラマについて行けなくなった高齢者が最後に行き着くのも集団ものの勧善懲悪である。
同じような傾向はアメリカ合衆国にもある。2019年の興行成績の良い映画はディズニーアニメとヒーローばかりだったそうだ。日米ともに視聴者たちは複雑さに疲れている。
テレビ報道は「お上というのは善なのだが悪代官によって一時的に見えなくなっている」という楽観的で宗教的な世界観に支えられている。この「悪」を誰かにぶった斬ってもらいたいと考えるのが庶民なのだろう。
橋下徹さんが「わかりやすさと親しみやすさ」を身につけて政治の世界に戻ってくるかどうかはわからないが、政治はおそらく「白黒はっきりさせたい」という世界観で動いて行くことになるのだろうなと思う。有権者が相対的に高齢化しているからだ。単におじいさんおばあさんが多くなったなあという話もあるのだがおそらくそれより若い層も精神的には高齢化しているのではないだろうか。おそらく行き着く先は現状追認・ポピュリズムであろう。れいわ新選組を見ているとこの国の挑戦者はかなりの精神的苦痛を覚えるらしい。おそらく「自分が周りと違っている」というのが日本人には許せないのだ。
選択肢としては最悪だが立憲民主党が第二自民党を目指し水面下での改革を模索しない限りおそらくこの流れは止まらないのではないだろうか。
- 現状追認・保守:自民・公明・国民民主の一部
- 現状追認・ポピュリズム:維新
- 現状改革・保守:立憲民主・社会民主・国民民主の一部
- 現状改革・ポピュリズム:れいわ新選組・N国
水戸黄門を見ていた世代の明治のおじいさんたちは戦前に教育を受けて戦争も体験していた。つまり政府を「無条件に信じてはいけない」ということを知っていた。ところが民主化後教育を受けた現在のおじいさんたちはそれなりの権利意識は持っていて自信もあるのだが、実は他者の権利に対する理解など基本的な人権意識が身についていない。そして流れにしたがってやって行けば(よほど要領が悪くない限り)なんとかなるという宗教的な楽観をしている。これは高度経済成長期に身についたマインドだが幻想として残っているのではないかと思う。
ただ、現状追認・ポピュリズムの組み合わせは悪者を必要とする。幻想であっても悪代官が必要だからである。大阪ではどうやら「都構想を阻む人たちが悪」という図式になっているようだ。おそらく橋下徹さんらが成功するためには全国的に通用する「悪代官」を見つけてこなければならない。