最近面白い経験をした。Quoraで「私はお預け」というのはどういう意味かと聞かれたのだ。わからないので適当に「男が女に寝てくれと頼んだがお預けと言われた」というシーンを想定しておもしろおかしく書いたところ、17000回も閲覧されてしまった。
Quora初心者としては思わぬ反響だったので「しまった」と思い、真面目に答えようとgoogleで検索した。すると2つの例が見つかった。1つはポルノ小説でお高く止まった女性に「お預けをくらった」男というものだった。これは最初の想定に似ている。
さらにもう一つはインスタグラムのタグだった。アップルパイの写真で「クリームが入っているから私はお預け」というものだった。アップルパイにクリームが使われているとは思えないのだが、どうやら「私は食べられない」ということが言いたいのではないかと思う。
すると、質問をした人からコメントが戻ってきた。よくわからないのだが「ナルト」という漫画のシーンだった。久しぶりに夫が帰ってきて一夜を過ごす。次の日に妻はお弁当を渡す。すると夫は娘にデコピンをする。妻は「私はお預け?」というのだ。これは絶対にわかりっこないし、漫画のシーンだけを見せられても彼女の心情はわからない。
日本語は難しい。アップルパイの例では「主語は何だろうか」がよくわからない。英語だと「私はアップルパイが食べられない」というか「アップルパイがお預けだ」になる。が少なくとも、私に主郭を表す格助詞をつけて「私は」とするのは英語としては正しくない。
これが成り立つのは日本の主格が主語とは違った概念だからなのだろうが、コンテクスト(ここでは写真)がないとよくわからなくなる。
例えば国会審議や政治討論番組を聞いていると「私は正しくない」という言葉をよく聞く。これは私が間違っているという意味ではなく、そのあとに続くのはなんらかの否定文である。実際には「私はあなたが言っていることは間違っていると思う」ということを言っているのだ。これもその場のコンテクストを通して見ないとわからなくなってしまう。
ナルトの例題はさらに難解だが、Quoraではナルト関連の質問を時々見かけるので漫画で日本語を学んでいる人は少なくないらしい。漫画の日本語は日本人でも難しい。余韻を作るために伏線を作ったり、インダイレクトなコミュニケーションを多用するからだ。
漫画を最初から読まないとこの夫がどういう立場にいるのかはよくわからないし、思わせぶりなシーンの意味すらわからない。デコピンがお預けになっているのは、多分「娘にはデコピンをしてくれるのに、私にはしてくれない」という子供じみた態度から、妻がどれだけ夫を愛しているのかということを示しつつ、夫が帰ってきて妻にデコピンをしてくれるだろうという期待感を示しているのかもしれないのだが思える。が、正確なことはわからない。いずれにせよかなりの量のコンテクストに依存していることがわかる。
英語でこうしたことが起こりにくいのは文章の構造が比較的はっきりしているからだと思う。が、これが日本語が劣っているからだと結論付けるのは正しくないかもしれない。頭に浮かんだことに格助詞などのマーカーをつけてとにかくつないでゆけばあとは文脈から補完が効くという仕組みになっていて、話者と聞き手の間に一定の共通認識があれば、英語よりは自由度が高そうだ。
Twitterは140文字で文章を作ることができる。漢字を使っているので極めて集積度が高い上に非論理的な文章が作れてしまう。しかも相手とは文脈を共有しない。これでは喧嘩が絶えないわけだと思った。