前回は新型コロナウイルスの検査体制について「わからないと現状の思い込みに引きずられて我慢しろという話になる」と書いた。だが、やはりわからない人には何が引っかかっているのかわからないのではないかと思った。ということで今回は政権批判から離れてちょっと違うことを試してみたい。
まず、厚生労働省の最初の想定を見てみたい。どうやら話を総合すると厚生労働省の方針は一部の医療系の技官と言われる人たちが決めているらしい。テレビでは田崎史郎さんが「厚生労働省は技官に牛耳られている」と指摘し八代英輝さんが追随していた。
これだけ聞くと「また田崎さんが批判を政権から切り離そうとしている」などと思う。だがそうとばかりは言い切れない。感染関係の学会が未だに「PCR検査を拡充するな」と言っている。思い返してみると学会と現場の間にはなんらかの確執があるようだ。現役の人たちは現場経験を踏まえた提言をしているが、学会は古い考え方に支配されているのだろう。これが岡田晴恵さんや岩田健太郎さんのような人たちとの間に意識のズレや軋轢を生んでいるのかもしれない。
厚生労働省(あるいはその中にいる感染症の技官の人たち)は当初図の右側にあるように水際で阻止するという方針を取っていた。赤は汚染されている地域でオレンジ色は防御壁である。ここにフィルターをかけて「全て取り除いてしまえばシステムへの汚染はない」と考えたのだ。
だが、この政策は早々に破綻した。発熱のない武漢からの訪問客を見逃していることがわかったのだ。そこで汚染された場所をシャットアウトするという方針に転換した。これを厚生労働省ではクラスターと言っている。専門家委員会はこのクラスターに対して積極的疫学調査をするのだと主張してきた。
彼らのアドバイスが稚拙だったことはダイヤモンドプリンセス号の惨事を見ても明らかだ。クリーンゾーンとそうでないゾーンが混在しており岩田健太郎教授がTwitterで絶叫することになった。少なくとも感染研の人たちには現場経験がないことがわかる。
現場経験が豊富な人たちが外部から厚生労働省を批判し始め、それを厚生労働省が防衛するという様な構図ができた。厚生労働省は一部ワイドショーを名指ししたりもしていたし、「新型コロナウイルス感染症の積極的疫学調査に関する報道の事実誤認について」という文章も出している。この文章の発信者は脇田さんという国立感染症研究所の所長さんである。厚生労働省というより感染研村の長老たちが頑張っているのではないかと思える。
もちろん想定が破綻したのは厚生労働省が無能だからではない。新型コロナウイルスの挙動がわからなかったからである。おそらく感染村の人たちは現場の知識にキャッチアップしていなかったのだろう。このため現在はこんな感じになっている。問題は間違いを認めて発想を転換することである。
実際に病院に行くとわかるのだが、受付にデスクができていて看護師が発熱者をフィルターしている。だが彼らは新型コロナの専門家ではないので常に危険にさらされている。見逃しもあるかもしれない。理論的には完璧でも実用的ではないのである。
症状が出る直前の感染力が一番強いという知見も出ている。「水漏れ」があるのかもしれないのだがそもそも通路以外のところを無自覚の感染者が漂っていると考えたほうがいい。水ではなくガスだったかもしれない。もしそうならそもそもの水際対策にはあまり意味がない。意味がないのだが失敗を総括できない厚生労働省は方針が転換できない。そのうち独自で対策をとるところが出てきた。
- 東京都は独自にPCRセンターを立ち上げた。
- 千葉市はドライブスルー型センターを設置した。
- 厚生労働省はドライブスルーを追認した。
これまで「検査は医療リソースを消尽する」と言われてきた。それはなぜなのか。
水漏れを防ぐという意味では検査は厳格でなければならない。ちょっとでも外に漏れてしまえばシステムが汚染されるからである。また一旦汚染施設に指定されるとそのあと厳格な管理が求められることになり医療機関の負担はさらに増える。
こうなると抜本的に発送を転換しなければならないのだが、日本は外国で行われている方式を輸入することでこの発送転換プロセスを省いた。日本人は発想の転換が極めて苦手なのである。その方式の目的は医療機関が個別にやっているフィルタリングを集約化して1) 個々の医療現場を検査の負担から解放し、2) 既存の医療機関を守ることである。正解をコピーしてそこから発想をリバースエンジニアリングして理解したのである。
ところが当初の「思い込み」に支配される厚生労働省のガイドラインは未だに極めて厳しいものになっている。
検査反対派の人たちは「こんな厳しい検査やその後の管理を医療機関に課したら医療機関が潰れてしまう」と懸念しているのだろう。
効果が上がらないのでシステム(主に医療と高齢者介護施設など)は潜在的な汚染の恐怖にさらされている。すると、漂っている人たちの動きを止めるしかなくなる。これが自粛と命令による行動制限である。つまり小さな点の動きを止めてしまえばいいのだ。これについては政府がいろいろな対策を計画中だ。あまりリーダーシップは期待できそうにないが、何であってもやらないよりはいい。だがこのやり方はおそらく経済活動の停止につながり別の困窮者を生み出すことだろう。あまり長く続けることはできない。
共同で大きなフィルターを作ってそれを稼働させれば医療機関の負担は増えるどころか軽減してゆく。さらに既存の医療システムから感染者を隔離すれば医療システム全体を守ろうとしている。さらにこれが機能すれば早期発見につながり自粛の段階的解除が可能になるだろう。
ただ厚生労働省が古い考え方に固執したままだといずれ別の問題が生まれるだろう。都道府県が個別に用意した検査方式に不具合があった場合、その都道府県全体が危険にさらされることになるからだ。それを後方支援するのは厚生労働省をおいて他にはないのだが、被害者意識にかられた彼らがそれに気がつけるかどうかはわからない。
いずれにせよこの発想の転換は理解できる人には理解できるがわからない人には全くわからないらしい。おそらく頭の中で絵が描ける人とそうでない人がいるのだろうと思う。絵が描けない人は表面的な理解をしてしまうので、課題でなく個人の人格が攻撃されたと思い込み被害者意識を募らせることになる。古い発想に固執し続けると結果的に自粛が長引き経済が破壊されることになるだろう。
こんにちは、
私には検査抑制派の医者は、善意なのかもしれませんが、専門家としての見識と良識を忘れて厚生省や保険行政の代弁者として発信し行動しているように見えます。
皆さんtwitterで言うことが似ているだけでなく、自分で考えている感じがしません。pcrを出来ない理由が、「嫌なことをやらないための役人の屁理屈」にそっくりです。しかも、常に状況に裏切られています。
機械が足りない、操作する人が足りない>国内外で効率的な機械がある、出来た。
治療法がないので意味がない>軽症者の感染源化が防げない。
ドライブスルーは精度が低く危ない>結局やり始めた。工夫はできる。
医療崩壊する>医療崩壊してから現場の医師が専門の検査施設を作る。
感度が低いのであてにならない>肺炎死亡者のpcr検査は感度が100%のつもりで話す。
人口呼吸器についても、現状の精度が高く操作の難しい機械に固執するあまり、輸入もできず、人口呼吸器がないよりマシな程度の患者に対応する簡易的な機器に目も向けないようです。
twitterでkumanomi氏が言うように研究医と違って臨床医は「新しい現象には対処できないんだよ。」
https://mobile.twitter.com/longtentacles1/status/1250990806682370049
というのはあるでしょう。pcr検査抑制派医師がBCGを無視するのは典型でしょう。
私はその一方で、保険診療に過剰適応した結果、標準治療や保険行政を内面化している気がします。そして、内面化の対象が役人ですから今の状況になっているわけです。ですから、明らかな反証を突きつけられても修正出来ない、修正すると保険行政に背くので出来ないのでしょう。岩田医師と、厚生省の医官とearl医師の会話を突き合わせると、岩田氏にある種の虚言癖があったとしても、それでも人間的には後の二人より信頼できる気がするのは私だけでしょうか?
pcr検査抑制派は典型ですが、健康保険の標準治療を盲信する医者は非科学的と私は考えます。例え標準治療が現時点で最前かつ検証済みの方法だとしても、常に新しい治療法に取って変わられることはあるはずですし、エビデンスの収集により修正されることは当然あります。実際、新薬は続々開発されています。お金になる新薬には興味を示してもお金にならないであろうBCGには否定的と言うことでしょうか?そこまでは言いませんが、保険行政を内面化し過ぎて思考が硬直化して、天然のAIになっている感じです。
その一方で、某美容外科医の素人同然に見える暴論の方が後から見れば良さそうに見えます。それは彼が自由診療で(国ではなく)患者と向き合わざるをえないがゆえに、専門家としての自由な思考ができるからでしょう。(専門外は別ですが。)これはある意味恐ろしいことです。
専門家と言えども、間違うことはありますが、現実に対しては謙虚であり、かつ議論に対して開かれた姿勢を持つことは最低限のモラルと思います。それにも関わらず、pcr検査抑制派医師は患者ではなく国の方を向いていて、議論を抑圧しようとしています。私はこれが今度のコロナ禍の最大の問題です。さらに恐ろしいのは、こう言った医師たちは、教育を受け高度の専門性を持っているにも関わらず、いわゆる安倍信奉者のような知的レベルの低い人たちと同様の思考しか出来ないと言うことです。
長々と失礼しました。