新しい有権者としての奥田愛基

先日のエントリーでは、新しい顕示的消費という切り口から新しい消費者を眺めた。その延長線上にあったのは生産手段を持った消費者「プロシューマー」とその表現形のインフルエンサーだ。このような動きは様々なところで見られる。当然、政治も例外ではない。

去年の夏頃、学生たちがSEALDsという団体を立ち上げた。有権者の立場から政治運動に影響を与えようという行動だった。TwitterなどのSNSを使った運動と気軽に参加できるイベントが特徴だった。イベント消費は現代の顕示的消費の特徴の一つであり、奥田愛基氏はインフルエンサーと言える。

政治の世界は一般企業から大きく出遅れている。一般企業が消費者を囲い込もうとしていたのは1990年代の終わりから2000年代頃にかけてだと思われるが、政党は未だに「囲い込み」を行おうとしている。つまり、政党の支持者を作ろうとしているわけだ。

ところが有権者には囲い込まれようと言う気持ちはない。代わりに自分の持っている一票をどのように「消費するのが賢いのか」という選択を行おうとしているわけだ。当然、奥田氏側も「野党がしっかりしていればそもそも運動をする必要はなかった」としている。特に一つの政党に囲い込まれたわけではなさそうである。

ところが、旧来型の「囲い込み」にこだわっているとこの絵が見えにくくなる。一つの政策を指示することが、当然別の政党を敵視することだと考えてしまう訳である。マスコミは未だに「支持政党」を尋ねる設問を出し続け、有権者は「支持政党がありません」と答え続けている。そもそも、この絵が間違っているということに気がつくのはいつのことになるのだろうか。

もう一つ興味深いのが内発的動機への嫌悪感だ。奥田氏の運動に反発する人は「こんなに熱心に運動するということは、当然誰かからお金をもらっているのだろう」と考える。つまり、外的要因(お金や地位のこと)によってのみ人は動くという確固たる信念があるようだ。にも関わらず自分の持っている理想像を語らい、楽しげに集まる人たちというものが疎ましく思えるのだろう。

インスタグラムでリア充ぶりを発揮する人に憎悪の言葉をぶつければ「単に寂しい人」に見えるのだが、政治の世界では攻撃が許されている。中にはそれが「賢い」と誤認する人も多い。だが、よくよく考えれば、それは「信念がなくやりたいことも見つからないだけの」単なる寂しい人である。

政党マーケティングの世界は、今やメールマーケティングのような状態にある。一日に何通ものメールが送られるが、直にゴミ箱行きだ。人々が動くのは「お得情報」だけである。外的要因によってしか動かないことになる。ないしは「恐怖」だ。今動かないと大変なことになりますよというわけだが、たいていの場合それは詐欺メールだろう。だが、メールマーケティングが外的要因に依存するのは当たり前で、メールが受動的な手段だからだろう。ソーシャルネットワーキングは双方向性であり「内的動機付け」が重要になる。その人の自己認識とかどう見られたいかということが行動を作る訳だ。

企業がソーシャルネットワーキングに対応するまでには長い時間がかかった。マーケターが「ブランド・ロイヤリティ(ブランドへの忠誠)の醸成」にこだわり続けたからだ。今でもブランドは有効なのだがそれはラベルとして機能しているのであって、忠誠の対象ではない。

例えばAppleには忠誠心を持った顧客が多かったが、パソコンとしてはあまり広がらなかった。現在のAppleユーザーはiPhoneがカッコイイとか見栄えが良いと思うだろうが、決してAppleに忠誠心を持っている訳ではない。つまり、忠誠心を醸成すると広がりが失われてしまうのである。

このことから、野党側も奥田氏のような存在を有効に活用できたとも思えない。プロシューマ的人たちは「企業から独立している」ことが信用の源になっているのだから「付かず離れず」の距離を保っていた方が利得は大きかったはずだ。また、多くのインフルエンサーを集めるべきで、それを組織化してもあまり意味がないのではないかと思う。

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