料理本と民主主義

Twitterを見ていたらフリーライター氏が料理本についてコメントしているのをみつけた。多分、仕事の宣伝か新しい仕事の獲得絡みだとは思うのだが、今の料理本はよろしくないと主張している。この中に「分量」や「火の通し方」について、経験がものをいうのであり「誰でもわかる(ような)書き方」になっているのはけしからんと書いてあった。

料理職人のようで面白い感想だなあと思った。料理本のレシピというのは実はかなり民主主義の浸透と深い関わりがあるのだが、これはイデオロギーベースというよりも庶民の実感に基づいているように思える。一方で、技術の囲い込みというのも極めて村落的な感覚で「自分が獲得したものを教えてしまうと搾取される」という恐れが残っている。村落は発展ではなく維持存続が目的化した社会なのでこうした感覚が生まれることになる。ここから民主主義は成長を前提としたイデオロギーなのだということがわかるのだ。

もともと日本の料理本は料理人から聞いた通りを掲載していたようだ。しかし料理人は細かな情報は伝えようとしなかった。やはり自分たちが苦労して獲得したものを簡単に人に教えたくないという気持ちがあったのだろう。

ところが戦後になると、料理の作り方を詳細に記録したレシピが出てくる。料理の手順を写真付きで載せた「暮しの手帖」を題材にした朝の連続ドラマが有名だが、香川綾と岸朝子の「大さじ・小さじ」もよく知られている。産経新聞に掲載された岸朝子のインタビューによると、料理を計量する体系は香川が発明し戦前から使っていたが、岸朝子が本格的に広めたということになっている。巷では岸朝子が「大さじ・小さじの発明者である」という認識が広がっているようで、そのように書かれた記事が多く見つかる。

なぜ「みんながわかるような」料理のレシピが作られたのかということはあまり語られていない。飢餓を経験したすべての人が食べることに関心を持っていたというのは間違いがないのだろうが、雑誌編集者たちが「暮らしにまつわることであってもすべての人が正しい知識を持たなければならない」と考えたことも大きかったのではないかと思われる。第二次世界大戦は情報統制と暮らしの破壊だったので、その揺り戻しとしての側面があるのだ。

こうした動きが民間から広まってのちに政府を動かしているというのは着目すべきポイントだろう。アメリカの圧倒的な豊かさを目の当たりにして、すべての人々がきっちりとした生活の知識を持たなければ豊かにはなれないという認識が生まれたのではないだろうか。つまり、国力は国の軍事力や企業の力ではなく、民衆一人ひとりの知識にあるという認識が生まれ、そのために情報の標準化が行われたというわけだ。

確かに「料理には勘や経験」が必要なことは間違いがなく、レシピがあるからといってその通りに作れるというものではないかもしれない。しかし、分量を標準化すれば誰でも簡単に料理を学べ、それが家庭の活力につながり、さらにそれが社会の豊かさにつながる。つまり生活こそが大切であるというイデオロギーである。明治政府は家庭を国家統治の道具だとみなしたのだが、戦後の日本人は豊かさの追求こそが家庭の目的であると考えたのだ。

まあライターの人が新境地を開拓するために今のレシピ本をdisるというのは他愛もないことなのだが、現在の政府のやり方を見ていると、情報を隠したり嘘をついたりして自分たちの身を守ろうという話があまりにも多すぎる。つまり情報の大切さが見落とされている。企業もできるだけ人件費を抑えるために、労働者にあまり知識を与えず単純な労働ばかりをやらせようとする。それだけでは生産性が上がらないので、長時間労働がまかり通るという具合である。豊かさや強さがどこから生まれるのかという認識が根本的に欠落しているのだろう。

さらに、豊洲移転の問題を見ていると、東京の人たちが、本来自分たちが持っていた豊かな魚文化をそれほど大切にしていないことがわかる。国を憂うような発言をする人ほど「魚なんかどうでもいい」とか「築地はアジア的な汚らしさで恥ずかしい」などと言っている。

伝統を源泉とする豊かさが国の強さにつながるという認識が今の保守の人たちの頭の中から全く欠落している。とても嘆かわしいことだ。代わりに彼らが熱中するのは、ビデオゲームのような戦争ごっこだ。いわゆる真の保守と言う人ほどこのような「大きな絵」を語りたがる。

戦後、我々の先輩が敗戦の中から学んだ「正しい情報や知識が社会の活力を作るのだ」という真摯で謙虚な姿勢をもう一度思い出すべきなのではないかと感じる。

いずれにせよアプリで簡単に料理レシピを検索できて、作ったものを相手に見せられるというのは、なんでもないことに見えて日本に民主主義が根付いているという証なのである。

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