政治には危機感を持っているが、政治について話せないという人は多い。当初、それについて対応策を書こうと思った。
多分、自分が話すのではなく、相手に話させるのが良い。「ニュースが分からない」などと言えば、相手は得意になって話してくれるだろう。すると相手のポジションが分かるので、それに従ったテーマで話せばよい。「興味ない」という人もいるだろうが、トピックは刷り込まれるだろうから、関連するニュースを追うようになるだろう。単純接触を繰り返して徐々に洗脳してゆくというテクニックはポテトチップスの販売から新興宗教まで幅広く利用されている、とてもありふれた方法だ。
だが、これを書くのはやめにした。過去に書いた記事を思い出したからだ。
もともと日本ではデモが起きなかった。東日本大震災の後でさえ目立ったデモは起きておらず「日本ではなぜデモが起きないのか」というエントリーを書いていた。
だが、実際にはデモが起きていた。最初に起きたデモは小規模なものだった。民主党政権の打ち出した福島への帰還基準年間20msvに反対する人たちが抗議運動をしていたのだ。やがてこれが反原発運動になった。
デモをしなかった人たちはなぜ突然デモに目覚めたのだろうか。例えると赤信号に似ているのではないだろうか。日本人は赤信号で道路を渡らない。しかし、誰かが信号を無視して渡りはじめると、続いて皆が渡り始める。規範そのものではなく、その規範に対して周囲がどのような反応を示すかが重要なのだ。
職場や学校で話題が出るようになれば、次第に政治の話題は増えるだろう。
現在の問題は「語り手」が少ないということではなく「聞き手」が少ないことだということになる。
いつもツイッターでお世話になっております。非常に勉強になるブログですね。共感します。
文末の「聞き手」が少ない現状。。確かにそうかもしれませんね。ネット上には(私も含めて)様々な主張で溢れていますが、でたらめな個人メディアも多い。
さらに学校や職場などの”現場”で政治や国際社会の話題はあがりませんよね。
ここが西洋各国と日本の大きな違いなんですかね。。
これからも勉強させていただきます。
このブログ、デザインも素敵ですし、素晴らしいと思います。
また今後もよろしくお願いいたします。
アメリカでロス市長選挙の候補者パーティーに呼ばれたことがあるのを思い出しました。選挙権もないのに……と思いましたがにぎやかし要員だったんでしょうね。パーティーなのでみんなカクテル飲んだり葉巻吸ったりしてました。
あるユダヤ系の人もおおっぴらに政治の話をしていて、この人は後にユダヤ系ロビー団体に転職しました。アメリカ人には個人差があって政治の話を嫌がる人もいますし、おおっぴらに支持を表明する人もいます。あと、深夜のトークショー(当時はDavid Lettermanとか)で政治ネタをやってます。意味はさっぱり分かりませんが。
アメリカ人は「分からない」とか「意見がない」というと恥ずかしいのかなというのはあります。そこは日本と違う所かもしれないです。自信がない時に相手の意見を伺うようなことはないですし、様子を見て言い方を変えるということもありません。日本人と違って「場」がないんだと思います。
日本人は話を支配する人がいて、それ以外の人は許可を求めるという特性があります。だから話の主になって、なおかつ尋ねてあげるという複雑な(あるいは面倒な)手続きが必要です。しかし、アメリカにはそれはないです。イギリス人はまた違っていて、自分が認めた人でないと自分の意見は言いません。仄めかすだけ。
ドイツ人の友達はベルギーの惨状(当時はトルコ系の人たちが溢れていた)とナチスが禁止されていることについて割と論理的に説明してくれました。ナチについては学校で習うのだと思います。ドイツは壮大にやらかしてしまったので「米軍が植え付けた自虐史観だ」みたいなことを言う人は多くないはずです。また、多くの国が国境を接しているので政治の失敗が比較できてしまういう事情があります。
韓国人の友達は反日デモを見てばつの悪そうな顔をしてました。韓国では老人が公園に集ってデモしてました。まだ竹島問題とか慰安婦の話はなかった頃なので、今はどうかわかりませんが。少なくとも当時は「政治や外交問題は自分たちには関係ない」ものでした。
このデザインはWordpressのテーマをデフォルトのまま使ってます。デザインは一切になしなので、すっきりしていいのかもしれないですね。モバイル対応なので、その点は気に入ってます。
ご投稿ありがとうございました。