さて、一週間に及ぶ社会実験が終わった。まずテレビで盛り上がっている豊洲移転問題について識者への反論記事を書いた。次にファッションと情報とデータ構築に関する短い記事を買き、今度はネットで盛り上がっている池田信夫と長谷川豊バッシングについて書いた。さらに築地に戻った。結果はごらんのとおり。
築地問題がページビューを稼ぎ、ファッションでやや盛り下がった。しかし、池田信夫と長谷川豊の件で盛り返し、築地の問題ではまたページビューが下がった。集客数とページビューは比例すると考えて良さそうだ。
面白い点はいくつかある。山本一郎氏と築地の件はGoogleでの検索が多かった。山本氏は豊洲移転派なのでわざわざ検索して記事を読んでいる人が多いらしい。それに飽き足らず関連記事を読んでいる人が多いのかもしれない。
一方、Twitterは明らかにネガティブな感情にドライブされている。「テレビはもう終わりかも」という煽りをつけてタイトルは煽らずに書いたらTwitterからの流入が増えた。一方でブログ記事に石原氏は老害だと書いて、Twitterでは煽らなかったら、それほど人は集まらなかった。Twitterのタイムラインは常に他者を罵倒する扇情的なつぶやきが流れている。使用者も高齢化しつつあるようだ。つまり、かつての2ちゃんねる化が進んでいることになる。
普段の生活がポジティブなものであれば、わざわざ個人の時間を使ってネガティブな情報を探す必要はないのではないかと思う。普段の生活にネガティブなものが溜まっているからこそ、その犯人探しが進んでいるのではないだろうか。一方で、論評の内容の批判の強さと関連してページビューが集まっているわけではなく、タイトルと煽りにドライブされている。考えたり、作戦を立てる時間はなくなっているのではないだろうか。
こうした傾向を見ると、扇情的な煽り文句をつけて文章を書きたくなるが、さじ加減が難しい。大衆は高いところから他者を批判したがっている。このために明らかに地位が低いものと弱いものを叩くわけだ。しかしながら、自分が他者より「一歩優れた地位にある」ようなデモンストレーションをすると、今度は叩かれる側に転落する。人々は正義の側にたって悪を叩きたがるのだが、正義のヒーローを気取った瞬間に叩かれる側に回る。
ただ、煽るために扇情的な文章を書きたくなる気持ちはよくわかる。顕著に数字に現れるからだ。これを後追いするテレビも同じような傾向になることは間違いがないだろう。最近のテレビは毎日のように豊洲の犯人探しが行われている。
Twitterは2ちゃんねる化が進んでいるというのは間違いがなさそうだ。世界的にはアクティブユーザーが停滞しており、身売りも検討されているようだ。