デイリー新潮の記事がNECの顔認証システムの裏にある利権争いについて書いている。これを読むと今の政権が日本の成長にとって疫病神になっていることがわかる。どこかパーツを入れ替えればなんとかなるというレベルではなく「総取り替えしないとダメなんだろうなあ」としか思えないという徒労感も感じる。成功体験に見放されたいわゆる「黄昏病」なのであまり分析しても意味がないのかもしれない。
それを知るためにはそもそもNECの技術がどんなものであるかということがわからなければならないのだが、残念なことにデイリー新潮はそこを書いていない。
Quoraで技術をよく知る人にきいてみた。NECは昔から顔認証システムを作っていた。その技術は確かに素晴らしいようだ。だが、最近ではおそらく他社製に押されている。この人は「閉鎖系」と書いていた。つまり(おそらくはだが)クラウドと連携して他社システムと組み合わせて使うなどの「オープンな仕組み」に対応していないのである。だからシステム全体が割高になってしまうのだ。
NECがオープン系に弱いのは終身雇用に寄るところが大きいだろう。オープン系のエンジニアは常に「売れる技術」「儲かる技術」を見つけては新しい技術を身につける。若い吸収力が高い時に会社に身を捧げて社外のことがわからなくなったあたりで昇進を始めるという終身雇用制ではオープン系にはそもそも対応が難しい。
NECは社員を養うために全部自主開発にこだわる。だがそうするとNECに発注できるのは大企業か国だけということになる。システムはどんどん割高になりNECも最新技術を習得できなくなるというのはまさに悪循環だ。
NECの顔認証システムは新幹線に似ている。新幹線は確かに優秀な技術である。だが全てを自前のシステムで整えねばならずさらに運行スタッフにも精緻さが要求される。お掃除スタッフまできっちりしていないとあの運行体制は保てない。だから「高速鉄道は必要だがそこまでの精度はいらないし日本人みたいにはできない」という国に輸出が難しい。
だが例えばJRも格安の鉄道運行システムの開発はしてこなかった。国内の地方路線は存続の危機にある。かといって新幹線網を全国にはりめぐらせるには莫大な金がかかる。海外に輸出しようにももっと格安にシステムを提供する国が出て来ている。こうして優秀な技術を抱えたまま陳腐化させてゆくというのは、むしろありふれたパターンと言って良いのかもしれない。
企業が変われないのなら国が誘導すればいいではないかと思えるのだが、それはおそらく難しいだろう。なぜ難しいのかということが技術者にはわからない。技術者は単に目の前にある課題しか評価しないからである。
ここまでを頭に入れた上で新潮の記事を読んでゆく。このシステムを導入しようとしたのは和泉洋人という補佐官らしい。東京大学で工学の博士課程を卒業したエリート建設官僚である。民主党の野田政権が内閣官房参与に任官しそのまま安倍政権に引き継がれ成長戦略系で政府の要職を歴任している。そして菅政権でも内閣補佐官である。
脱官僚の元に官邸主導を進めた結果特定の官僚への依存が起こったのが安倍政権・菅政権の一つの病理である。おそらく和泉さんは官邸内に人脈ができているのだろう。一方で平井卓也大臣がデジタル担当になったのは菅政権が発足した9月からである。このシステムは和泉さんと一部のIT室のスタッフとの間で進められており平井さんは知らなかったようだ。つまり元々は官僚が勝手にやったことなのである。
ではここに国民の監視の目を入れるためにはどうしたらいいのか。おそらく技術がわかっている政治家が出て来て状況を整理する必要があるだろう。だがそうはならない。日本の政治は総合政策系であり特殊な技能を持った政治家が選抜されない仕組みになっている。
すでに顔認証システムの開発は終わっていた。基礎技術はすでにあるわけだからおそらく「カスタマイズ」の費用だけで5億円かかるというシステムだったのだろう。さらに新潮を読むと「何もしないで他社に仕事を振っているだけ」のNTTコミュニケーションはもっと暴利だというようなことが書いてある。
だがここには別の思惑があった。和泉洋人さんはこのシステムを出入国管理に使おうとしていたらしい。建設省は国土交通省になり出入国管理なども担当している。つまり自分に人脈があるシステムとして採用しようとしていたのである。なんらかのつながりを感じさせる話だが、おそらく菅総理はこうした調達の後ろにどんなカラクリがあるのかということはわからないのではないかと思う。
菅総理にはおそらくこの辺りの専門知識が欠けている。和泉補佐官は政治家ではないので国会から責任を追及される立場にはない。菅さんにはわからないのだから国会で説明などできるはずはない。コロナ対策を説明できず尾身茂会長に頼っているのと同じ構図である。野田・安倍・菅三政権で補佐官をしていることからこの人なしでは成り立たないという分野があり「切ろうにも切れない」のだろう。
一方で成果をあげたい平井さんは補佐官よりも大臣の方が偉いのだと言いたいのではないかと思う。職員を間接的に恫喝した。他人を叩くふりをしているがおそらく聞いていた職員たちは「NECを恫喝しなければ自分が叩かれる」と思ったことだろう。この恫喝には効果がなかった。和泉さんに近い職員たちは「この人はうるさい大臣だなあ」と思ったのではないだろうか。
田崎史郎さんは「この会議はオープンだったので誰かが聞いていて義憤に駆られていたのだろう」というような見解を開陳していた。だが、このリークは平井さんをデジタル庁長官にしないためにはおそらく有効だった。明らかに人格に問題がある人だということがわかってしまったからである。
確かにNECの技術は優秀であり「顔認証といえばNEC」という評価があるようだ。だが極めて使い勝手が悪そうである。NECは丸抱えでカスタマイズしたがるのでどうしても柔軟性に欠ける上に費用もかかる。つまり長期的にみて日本の納税者のためにならない。
政府は(おそらく不透明な動機の元に)NECを保護している。このために新しい顔認証の技術は日本には入ってこないだろう。日本にももっと柔軟でもっと格安なシステムを開発できる技術力はあるだろうがそれでは官僚には旨味がない。
本来なら「日本の成長力を増すためには何をすべきか?」ということを考えなければならないのだが、結果的には単なる権力闘争の道具になっている。日本を成長させても自分の懐が潤わなければ官僚には旨味がないのである。そしてそんな官僚を制御できる力量は平井さんにはない。
これを解決するためには政権交代しかないのだがおそらく今の立憲民主党では同じことが繰り返されるだろう。予算が高いので説明しろとはいうが「クローズ系のシステムを使っていては柔軟性に問題が出るのでは?」という意味のある指摘は聞かれなかった。ある程度の専門家集団が議員になって細かく政策を点検する必要がある。原因は政治家の勉強不足なのだが今の日本には解決手段がない。
逆に立憲民主党がシステムなどの専門家を議員(参議院でも構わないしむしろ比例区の方が入れやすいのではないだろうか)にすれば日本はかなり良くなるだろう。
仮に日本に成功体験があれば「これはひどい」と言えるのだろう。だが日本には成功体験がなく従って比較もできない。政治とはこんなものかと人々は諦めてしまうのだ。たそがれる国の辛い現実がある。