小田原市は英語教育を徹底すべきなのではないか

小田原市で生活保護関連の仕事をしている人たちが不適切な英語の入ったジャンパーを着ていたというニュースが話題になった。これを見て斜め上から「小田原市は英語教育をやり直すべきだなあ」と思った。

さらに日本人が論理的な会話ができないのは、日本語脳そのものに問題があるのかもしれないと絶望的な気分になった。ジャンパーに書かれていた英文はこちら。

We are the justice and must be justice, so we have to work for odawara. Finding injustice of them, we chase them and Punish injustice to accomplish the proper execution. If they try to deceive us for gaining a profit by injustice. “WE DARE TO SAY, THEY ARE DREGS!”

この文章、何が言いたいのかがわからない。文法上は一応英文っぽいのだが、論理構成がめちゃくちゃだからだ。多分、日本語で原文を書いているはずで、ということは日本語は論理構成がめちゃくちゃでも文章が成立してしまう言語という結論になってしまう。

最初の文は「私たちは正義で正義でなければならない。だから小田原のために働かなくてはいけない」と読める。しかし、have to 義務であることを示しているので「小田原のために働かされている」というニュアンスがある。一方mustは正義であるべきなのだということになる。総合すると何がなんだかわからないのだが、仕事として義務的に(つまり嫌々)小田原市に勤務しているということだけはなんとなく分かる。でも、あんたたち(市職員)が嫌々働いていることと正義であるというこことの間には因果関係はないし、soでは結べない。

平易な文章で書くとBecause we have to work for Odawara, we are justice and we must be justiceということになるが、それでも意味不明だ。精一杯意味を汲み取ると「生活のために小田原市で働いているのだが、嫌々生活保護の係りに回されたので自分たちが正義だと思わないとやってられない」ということになろうか。

Findingの文法的な位置付けはよくわからないが、適正な執行(執行と聞くと「死刑」や「強制執行」という含みがあるのでかなり強烈な言葉だ)をするために罰するというように読める。しかし、正しく執行するのと罰することは同じことなので(まあ受けたいけどためらっている人にも光を当てて欲しいというのはナシにして……)、これは文章として成り立たちえない。

執行が自己目的化していることだけはなんとなくわかる。多分「騙す」という単語が出てこなかったんだろうなあと思うのだが、これは日本語が難しい言葉を中国語の名詞で表現している(動詞化するにしても名詞+すると表現する)からかもしれない。ただ、名詞を動詞化すると主語と目的語の問題が出てくるの「誰が誰に何をすると」いう構造を作る必要が出てくる。

日本語のモノリンガルの人たちと話していると、こうした自己目的化が珍しくないことに気がつく。あまり「〜だから〜」という構造を取らないのだ。また主語が不明確なことも多い。あまり論理構成に力を入れなくても成立するという事情があり、これが「非論理的である」という批判を生むのかもしれない。つまり日本語は論理構成とは別のものを記述している可能性があり、論理的でないからといって「遅れた未開な言語だ」とは言えない。

If we find injustice, we will punish itということになるだろう。これはproper executionの説明だ。

ここまで読むと、この人たちは「こう言いたかったのな」と思える。意外と短いセンテンスで片がつく。

If you dare to deceive us, we will punish you because we are justice.

さて、これだけの文章なのだが、実際には「生活保護受給者はカスで、俺たちは正義だ」ということが言いたかったのではないかと思う。つまり、文脈を問題にしていることになる。これを英語で表現すると。Listen, the dregs of the population!ということになるそうだ。

いずれにせよお役所が正義を振りかざすというのはかなりおぞましい光景で、これをexecuteという表現で恫喝している。これらがあまり騒ぎにならなかったのは英語がわかる人が多くなかったからかもしれない。

なお、蛇足ではあるが「the dregs of the population」とか「the scum of society」というように人をクズ呼ばわりするときには集合的な名詞であってもtheをつけるようだ。ただし人前でこれを使うと十中八九殴られると思うのでなるべく使わないほうがいいだろう。

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