政府がこのほど教育の強靭化計画をまとめた。主に「ゆとりとの決別」が話題になったやつだ。若い世代からは「ゆとりは間違いだったのか」という怨嗟の声が挙っている。
だが、実際には間違いを認めておらず「知識の量を落とさずに、考えさせる教育を実施する」となっている。両方とも否定できなかったわけだ。「何が問題なのか」分からないが成果は挙っていないので新しい方式を採用するということになっている。
これは役所がよくやる「両方を取る」というやつだ。財政再建も経済成長(政府のいう経済成長とは要するにバラマキを意味する)を両方やるみたいな感じで、どちらも中途半端に終わることになりそうな内容である。
どちらもやるわけだから当然負担は教員にかかる。ゆとり教育のときも「マニュアルが欲しい」みたいなことを言っていた先生たちは、今度は「生徒が積極的に学習するための方法論」についてのマニュアルを要求するのだろう。
〔学校の指導体制の充実〕
教員が総合的な指導を担う日本の学校の特徴を生かしつつ、日本のこれからの時代を支える創造力をはぐくむ教育へと転換するとともに、複雑化・困難化する課題に対応できる「次世代の学校」を構築し、教員が今まで以上に、一人一人の子供に向き合う時間を確保し、丁寧に関わりながら、質の高い授業や個に応じた学習指導を実現できるようにするべく、教職員定数の戦略的な充実を通じ、学校の指導体制を充実させます。
この方針に従えば、先生は雑務をこなす時間がなくなる。そこで期待されているのが「周囲のサポート」である。こんな項目がある。いっけん良さそうな方針だ。
〔「地域とともにある学校」への転換〕
地域と学校の連携・協働の下、幅広い地域住民等(多様な専門人材、高齢者、若者、PTA・青少年団体、企業・NPO等)が参画し、地域全体で学び合い、未来を担う子供たちの成長を支え合う地域をつくる活動(地域学校協働活動)とコミュニティ・スクールを全国的に推進し、高齢者、若者等も社会的に包摂され、活躍できる場をつくるとともに、安心して子育てできる環境を整備することにより、次世代の地域創生の基盤をつくります。
例えばPTAが入っている。教育予算は増やせないが、現場への要求は強まる。だから、ボランティア人材で補おうというわけだろう。最近では「PTAは強制加入ではない」という認識が広まりつつある。仕事をしている人が増えたわけだからPTAには参加できない。しかし「子供を人質に取られた」ような状態で加入せざるを得ないという不健康な状態が続いている。結果として、PTAからの離反が起きているわけだ。
表向きはどんな職業の人も教育サポートに参加すべきなのだろうが、実際には専業主婦にストレスがかかるのは目に見えている。「私は働いているし、あなたたちはどうせ暇なんでしょう」と上から目線で断ってくる人たちに対して「結局、ただ働きさせられるのは私たち」と不満を募らせる主婦も増えるかもしれない。
文部科学省の方針は敗戦直前の日本軍に似ている。何か方針は間違っていたようだがそれは認められない。過去の責任問題になりかねないからだ。ということで新しい方針を作った。しかし兵糧は不足しているので、国民を動員する。与える武器は竹槍のみである。
とはいえ表向きには反対しにくい。「子供の教育に参加しないのか、お前は非国民だ」などと言われかねない。日本政府は全体として労働者の非正規化を促進した。その結果両親とも子育てに時間が取れなくなった。しかし、今度は教育にもお金を裂けないから学校にも協力しろと言っているのである。
政府にとって専業主婦とは介護も子育ても家事も無料でやってくれる便利な存在なのだろう。ある意味使い捨てられる外国人実習生に似ている。こういう政府が「公共」を教えたいと言っているのだ。公共は大切な概念だが育まれるべきもので強制されるものではない。政府が考えているのは公共への自主的な協力ではなく、経済的な動員なのではないかと思う。