ネトウヨと話をしているとどうして疲れるんだろうかと考えた。
これは何かと聞かれたら四角形が一直線に並んでいると答えるだろう。ではこれはどうだろうか。
これは四角形が円のように並べられていると答える人が多いのではないか。
簡単な例なのでこれが何なのかを迷う人はいないと思うのだが、斜めから見るとこういう図形になる。円弧の形に四角形を並べてたもので、横から見ると一直線に見える。
視点によってものの形は違って見える。
ネトウヨは、このようにものを把握する能力がない。ある特定の視点からしかものを見ないので「これは円である」とか「これは線である」などという。そして「それが違っているよ」というと「じゃああんたはこの図形が何に見えるのか(対案を示せ)」というか「丸じゃなければ三角なのか(二者択一)」と怒り出すのだ。
ネトウヨを満足させることは難しい。彼らを満足させ続けるためには、常に彼らから見ている視点からものをみて話を合わせなければならないのだがこういう人は大勢いる。彼らは自分で決めたいのだが、自分たちの視点でしかものをみることができないので、周囲にも同じ視点を強要するのだ。たいへん迷惑な人たちである。
ネトウヨの思考形態を「視点と形」から整理したのだが、安倍さんについて考えていて、これが当てはまるなと思った。
安倍さんは「憲法を改正したい」という望みを持っている。今、協力をもうして出ているのは維新と公明なので彼らを抱き込めば憲法改正ができると考えたらしい。そこで教育無償化と自衛隊の追加を言い出した。
だが、これはいろいろと具合が悪い。一つは過去の自民党の憲法草案や現在の党内議論と整合性がない。さらに「自衛隊は憲法の中に位置付けられていない」から改憲したいという理屈付けは「自衛隊は現行憲法下で違憲だったことはない」という過去の政府答弁と合致しない。
が、これを「おかしい」と思うためには、議論を統合する必要がある。が、安倍さんの支持者は議論が統合できないネトウヨなので統合を気にする必要は全くない。円をみを見たいと思っている人には円と言えばいいし、線を見たい人には線を見せれば良いのである。
アメリカから「今すぐ自衛隊を米軍の作戦に動員しろ」と言われれば、自衛隊を集団的自衛のために動員するのは合憲だと言い張る。しかし憲法を改正したい人たちには「自衛隊は憲法で位置付けられていないから都合が悪い」という。そしてそれを国会に追及されると「自分は憲法を遵守する立場にいるので答えられない」といえば良い。すべての絵を統合するとむちゃくちゃなのだが、その場その場で辻褄が合ってしまう。
こうした姿勢が受け入れられるのは、受け手側が「聞きたい話だけを聞きたい」と考えていて「後のことはどうでもよい」と思っている必要がある。「北朝鮮が攻めてくるのだからごちゃごちゃ言っているとやられる」と考える人は理屈を軽視する。つまり、結果に飛びつく人が多ければ多いほと安倍さんに人気が集まる仕組みになっている。
大量の情報が急激に流れてゆくので、特に統合しなくてもその場その場で合致しているように見えればよいということになる。逆に言うとすべてを統合すると誰も満足させることができなくなってしまうのかもしれない。
例えばアメリカでは大企業の代表者とポピュリストの代表者の間で票が分断されており、その状態はまだ続いている。それは彼らがイデオロギーという主体を抱えているからである。フランスでも全く同じ動きが起きていて「どちらにも味方できない」という人がいるそうである。現在の政治状況はそういうレベルで分裂しているのだが、安倍さんはこれらを曖昧にしているので、より多くの人を満足させることができるのだろうということになる。背景には資本主義のシステムが破綻しかけていて、すべての人たちを満足させることができなくなっているという事情があるのかもしれない。
安倍さんのまやかしがどういう効果を生むのかはよくわからない。第一に統治機構が無力化だろうことは予想できる。政治的な議論は断片化されて無力化されることになる。日本は何も決められず漂流することになるだろう。もしこれで憲法が変わってしまえば憲法は意味を失うだろう。いわゆる「壊憲」だ。が、これは権力者には都合が良いのかもしれない。なんでもその場その場の勢いでやれてしまうからである。
政治が無力化すると視点と視点が統合されないままにぶつかり合うだろう。これがどんな弊害をもたらすかを観察するのは難しくない。Twitterでは極端な意見がぶつかっていて、日々何の生産性もない「論争」が行われている。が、こうした論争は不愉快なだけで何の便益もないのだから、多くの人が政治から遠ざかって行く。
何も決められず、誰の協力も得られないわけだが、政治を私物化したい人たちにとっては却って都合が良いのかもしれない。