鈴木議員が「早く結婚しろ」というヤジを認めたことで、都議会のヤジ問題が収束した。随分ひどいヤジで、こうしたヤジは公共の場で許されるべきではないだろう。
一方で違和感もある。2020年にオリンピックを開く東京の議会が田舎議会のようで恥ずかしいというのが主な論調のようだが、本当にこうした終り方で良かったのだろうか。
外国プレスとのインタビューの席である記者が「こうした問題点をなくす為に自ら働きかけるつもりはないのか」とか「他議会とネットワークを組むつもりはないのか」と質問した。これに対して塩村議員は「党が対応するので自らは動かないし、東京都の問題に集中したいので他の議会と協調するつもりはない」と対応した。みんなの党が「再発防止に努める」という後ろ向きな改革案に賛成したことを踏まえると、かなり後ろ向きの対応を言わざるを得ない。
違和感の原因は塩村議員がセクハラの被害者にしか見えないということだ。実際には議員の一人であって、議会運営を変えうる人の一人なのだ。つまり彼女は「都議会議員」ではなく「女性議員」だという前提がある。「女子アナ」と同じ使い方だ。
都議会は想像以上に男社会らしい。東京都を含めた地方の議会はどこも前時代的だ。あまり全国ネットで取り上げられる事もないので、自浄作用が働かないのだろう。つまりは、長く議員を経験した人たちは「まあ議会とはこんなもんだろう」と思うようになる。つまり「女性議員」である塩村議員も徐々にこうした文化を受け入れることになるだろう。そして、何十年か先には「これくらいは当たり前なのだ」とか「私もこういう辛い経験をしたことがあるのだ」と後輩の女性議員を諭すことになるかもしれない。
つまり、今なんとかして意識を変えないと、いつのまにか女性が女性の敵になってしまうのである。