全体主義と「言論圧殺」そして安倍さんの罪

アーレントの全体主義の起源についての番組を見ている。今回はいよいよヒトラーが大衆の被害者意識に形を与えるというところまで来た。アーレントの定義では、大衆は何にも所属せず、どうしたら幸せになれるのかということがよくわからない人たちを指すそうだ。それは物質を形成することができない原子のようなものである。経済がうまく回っている時にはこれを苦痛に考えることはないのだが、一度苦境に陥ると陰謀や物語などを容易に受け入れる母体になるというようなことが語られていた。

しかし、今回は少し別の実感を持った。現在、安倍首相が日本に与えている形のない不安について実感したからである。これは全体主義者やポピュリストが与える物語とは別の形で社会を蝕むのだが、その帰結は同じようなもので、人々は信じたい物語を捏造し、別の意味での全体主義へと突き進む可能性があるのではないかと考えて、少しおびえた。

菅野完という人がTwitterのアカウントを凍結されたという「事件」があった。人々はTwitter社はなぜ人種差別主義者を放置しているのに菅野さんだけをアカウント凍結するのだと文句を言い始めた。

いろいろな指摘を読むと全く別の指摘もある。菅野さんは最近、性的暴行事件の裁判に負けていた。毎日新聞によるとその後控訴しているが、好ましくない行為があったこと自体は認めている。しかしながらその後もこれに関係する言論を続けており女性側が苦痛を感じて「Twitterをやめるべきだ」と要望したのではないかというのだ。

もし、これが事実だったとすると、Twitter社が「この事件のせいでアカウント停止したんですよ」などとは言わない方がよいことになる。菅野さんが余計恨みを募らせて言論活動を活発化させる可能性が排除できないからである。

もちろんこのせいでアカウントが停止されたかどうかということはわからないのだが、安倍首相らがわざわざTwitter社に手を回したり、電通が忖度したという込み入ったストーリーと少なくとも同程度には信憑性がある。問題はそれをツイッター社以外の人は誰も知らないということだ。第三者委員会のようなところに判断を委託した方が公平性は確保できるのだろう。

しかし、この件を批判する側が選んだストーリーは、日本の言論は圧迫が進んでおり、そのうち政権が「言論弾圧を行うようになるだろう」というものであった。そして、それを阻止するためにTwitter社に乗り込むべきだなどという人まで現れた。

この件の裏側には何があるのかと考えた。第一に被害者意識を持っている側のTwitter依存が挙げられる。Twitterは確かに便利な道具ではあるが唯一のプラットフォームではない。言論に対する攻撃ということを考えると、複数の言論装置を持っているべきで、1つの言論装置に執着するのはかえって危険である。だが、依存している立場からすると他にも使えるプラットフォームがあるという知識がなく、さらにそこに人々を動員する技術もないのだろう。だから人が多くいるところで騒ぐようになるのだ。


本題からは脱線するがミニコラムとしてネットワークの脆弱性について考えてみよう。

これが現在の状態。Twitter依存になっているので「悪の帝国」がTwitterを支配するとすべてのネットワークが切断されてしまうことになる。

プライベートなネットワークを混ぜたもの。一つひとつのネットワークは脆弱でも全体のつながりは維持されるので「攻撃」に強くなる。

実際のコミュニティは細かく分散している。ここで同質な人たちどうしがつながっているだけのネットワークは広がりに欠けるが、異文化間の交流(緑の線)があるとネットワークが強くなる。こうしたつながりを持ったネットワークは緊密さが増すのだが、これを「スモールワールド現象」と呼んでいる。だが、政治的なネットワークの場合「右翼の島」や「左翼の島」ができるので、それぞれのネットワークだけを見ているとあたかも自分の意見が世界の中心のように見えてしまう。

実際のネットワークは島を形成している。スモールワールド性がなく広がりに欠ける。

こうしたことを行っているのは左翼活動家だけではない。著名なジャーナリスト、脳科学者、政治学者などもいて「疑わしい」と騒ぎ立てている。もし本気で言論弾圧を心配するなら、今の装置も維持したうえで、自前のプラットフォーム「も」作り人々をそこに誘導した方がよい。

しかし、彼らが過剰に心配するのにも根拠はある。安倍首相は控えめに言っても大嘘つきでありその態度は曖昧だ。さらにマスコミの人事に介入したり抗議したりすることにより言論に圧力を加えているというのも確かである。さらに犯罪を犯したのではないかと疑われる人たちを野放しにし、国会審議を避けている。そのうち本当に人権が抑圧されるのではないかという人々の不安には根拠がある。

その上「解散を検討している」と言い残して渡米してしまった。マスコミでは解散が決まったなどと言っているのだが、実際には本人は理由も時期も説明していない。帰ってきて「いつ解散するって言いました」などと言いかねない。このように人々を宙ぶらりんな状態にして混乱するのを楽しんでいる。国民を1つにして安堵させるのが良い政治なのだとしたら、安倍首相の姿勢は悪い政治そのものである。不安を煽り対立を激化させているのだから。

このように考えると、戦うべき相手はTwitter社ではないということがわかる。実際には安倍首相を排除しない限りこうした不安定な状況はいつまでも続くだろう。ここで冷静さを失うのは得策とは言えないのではないだろうか。

Twitter社は日本の言論がサスペンデッドな状態に陥っており、政治プラットフォームとして利用されている現実を受け入れるべきだ。しかし、個人的にはあまり期待できないのではないかと思っている。

このように考えるには理由がある。個人的にアカウントを凍結された経験がある。もともとTwitterにはそれほど期待していなかったので自動で発言を飛ばすツールを利用していたのだが、これが規約に引っかかったらしい。「らしい」としかわからないのは、Twitterがなぜアカウントを凍結したのかということを言わないからである。ということで、機械ツイートを避けて時々関係のないつぶやきを混ぜることにしている。

最初は「面白い騒動だな」などと思って見ていたのだが、人々の根強い不安感を見て少し考えが変わった。本来なら政治が変わり、ツイッターが心を入れ替えるべきではあるのだが、他人を変えるのは難しい。できるのは正しいITの知識を持ち重層的なプラットフォームを構築することではないだろうか。人々はそのために自ら行動し、お互いに助け合う必要がある。

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