現行憲法はアメリカから押しつけられた個人主義をもとにしているから、日本人は戦後利己的でわがままになったと主張する人がいる。つまり、個人主義は利己的でわがままだというわけだ。これは本当だろうか。
中国人と仕事をしたことがある人はよく「中国人はわがままで個人主義的だ」という。ところが国際的な企業文化を調べたオランダの学者ホフステードによると中国は集団主義の国なのだという。集団主義社会では自己は「我々」と表現され、集団に忠誠を尽くす傾向があるとされる。確かに中国人は自分の集団には忠誠を誓うが、会社は単なる金儲けの場に過ぎないと考える。そこで、企業にいる中国人がわがままに感じられるのだろう、と考えられる。
公共の概念が発達しにくいのも集団主義の国の特徴だ。街中で行儀が悪いと言われる中国人観光客だが、これは公共圏を自分たちで管理しなければならないという感覚が薄いからだろう。韓国も集団主義的な社会だが、電車の中に読み終わった新聞紙をくしゃくしゃに丸めて捨てて行く「わがまま」な社会だ。
中国人や韓国人は血族が集団の基礎になっている。そこで権力者が血縁者に利益誘導を図ったり、血族単位で蓄財をしたりすることがある。日本人から見ると「わがまま」な行為だが、家族は安全保障の単位なので、彼らの論理に従えば当たり前のことだ。
これらの事例を読んでも、それは単に中国と韓国が文化的に劣っていて「民度が低い」のでわがままなだけなのではないかと思う人がいるかもしれない。
個人主義のアメリカ人も日本人が「わがままだな」と思うことがよくあるそうだ。現代の日本人は横に忙しい人がいても手伝わない。これがアメリカ人から見るとわがままに見えるそうである。いわゆる「縦割り」が進んでいて、自分と違うチームに属している人に協力しようという気持ちにならないのだ。この傾向は今に始まった事ではない。戦時中の日本人を観察したアメリカ軍の記録の中にも「隣の部隊が忙しそうに仕事をしていても暇な部隊が手伝うことはない」という記述があるそうである。(現代ビジネス)
個人主義でわがままに見えるアメリカ人だが、代わりに「チームワーク」や「リーダーシップ」を発達させた。さらに個人主義の度合いが高まるほど、公共圏を自発的に維持する仕組みが整う。どうしてこのような傾向が生まれるのかはよく分からないが、一人ひとりの考えで動く事ができる社会の方が自律的な調整機構が働きやすいからではないかと思われる。
もし本来の日本人が強度の集団主義者だったら、日本人は時代にあった集団を自らの手で作り出す事はできなかったはずだ。すると、長州や土佐から脱けだした人たちが主の意思に背いて独自の同盟を築くことはできなかっただろう。また、企業のような仮想的家族システムも作られなかったかもしれない。
日本がアジアで唯一自力での近代化に成功したのは、この国が中庸な個人主義社会だったからだということになる。