保育所の問題とコモンズの悲劇

保育所問題の議論がなんだかあらぬ方向に向かっているようだ。「保育士の待遇を改善すれば問題が解決する」というのである。議論の前に、まずコモンズの悲劇(共有地の悲劇とも)のコンセプトを理解する必要がある。

ここに4軒の畜産家がいる。牧草地の間には誰のものでもない土地(条件1)があって、柵がない(条件2)。どのようにすると一番よいのだろうか。

持続可能性を考慮に入れると、誰のものでもない牧草地(共有地・コモンズ)を4軒の畜産家で協同管理するのがよい。コモンズに入れる牛の数を適性に割り当てて、牧草が生えてくる余地を残すのだ。ときどきでかけていって肥料を撒いたり、手入れをするのもよいかもしれない。コストはかかるが、これが一番よいやり方である。

しかし、短期的な利益を考慮すると事情が変わってくる。コスト負担はできるだけ避けた方がよいが牛の数は増やせばいい。最終的には他の3軒の畜産家を駆逐することができるだろう。ただし、それでも手入れをしなければ牧草地は枯れてしまう。つまり、4軒とも倒産してしまう。牧畜家がいなくなれば牛乳が飲めなくなる。

ここで「牛乳が欲しいから」という理由で誰か他の人が牧草地の管理を買って出たらどうなるだろうか。畜産家は安く牧畜できるが、その費用には関心を払わなくなるので、限界まで事業を拡大させる。すると社会はインフラを維持できなくなる地点に到達する。維持ができなくなったところで市場は崩壊するだろう。

これを実際の経済に置き換えてみると、いろいろなことが分かる。牧畜家に当たるのが企業で、共有の牧草地に当たるのが社会的インフラだ。牧草地の維持は社会の持続可能性を示している。難しいことは何もない。たとえとして引っかかる点があるとしたら人間を牧草扱いするとは何事だという点だろうが、そこは我慢して欲しい。

安倍政権は企業減税して、その分の負担を消費税に求めている。社会的インフラの維持を企業ではなく働き手から得ようという算段だ。

しかし、これには問題が多い。年金生活者が増えて所得に占める賃金の地位は下がりつつある。さらに、企業にとってはコスト削減のインセンティブが働く。端的に言えば子供を持っている従業員の雇用は割高になるために切り捨ててしまうのが一番経済合理性が高いということになってしまうのである。一度職を離れた人を同じスキルで非正規雇用すれば賃金はさらに下げられる。

今のままで保育士の賃金を上げると、社会的インフラへのフリーライド(ただ乗り)のインセンティブが強まる。ただ乗りした方が短期的に勝利できる可能性が強まるからだ。他の条件が同じなら、手厚い従業員保護をする会社よりも人件費の面で有利になる。却ってフリーライダーが勝ちやすくなってしまうのだ。

また、この政策は政府の債務を大きくする。保育所だけが社会的インフラではない。福祉を手厚くしたり、公的補助をして企業を誘致したりすると、フリーライドのインセンティブを強めることになるのだ。つまり、現在の政策を続けてゆくと、その延長線上には財政破綻があるということになる。財政破綻した瞬間に市場は崩壊する。

この問題の解決策はいくつかある。

第一の解決策は、牧草を輸入することだ。牛乳がなくなると困るから、消費者のコストで牧草を輸入して共有地においておくのである。この方法の欠点は牧草を輸入すればするほどそれに乗って牛が増えてゆくということだ。市場が牧草を賄いきれなくなったときに市場は崩壊するだろう。結局、コモンズを買っている(外国の土地を共有地として使っている)ことになる。牧畜家が牧草輸送のコストを負担するという方法もあるのだが、いずれにせよこれは奴隷制の例えなのである。牛は丸々と太っているが、足元は砂漠化しているということだ。帝国主義的な資本主義では正当化されるのかもしれないが、現在ではこの方法を取るのは無理だろう。

第二の解決策は共有地を牧畜家に割り当ててコストを負担させることだ。保育所の場合には、子供のいる従業員に対して保育所の設置を義務化するという政策になる。所有権を明確にする方法は「内部化」と呼ばれる。この方法の難点は共有地が私有化されることで、本当に共有地が利用したい人が締め出されてしまうというものである。例えば、零細企業などは従業員のための施設が作れず倒産してしまうかもしれない。もともと保育園はこうした企業のために作られた(つまり福祉の一環なのである)ということを考えると本末転倒かもしれない。すべてを自由競争にゆだねるというのは資本主義的には王道だが、これですべてがうまく行くというわけでもなさそうだ。私有地化による悲劇をアンチコモンズなどと呼ぶそうである。

第三の解決策は、牧畜家から税金を取って誰か他の人が共有地を管理するという方法である。この方法だと零細企業が締め出されることはなくなるかもしれない。この解決策の問題点はいくつかある。代理人が割高な料金を取って過大請求するかもしれない。代理人をどれだけ信頼できるかという問題になる。本来は規模の経済が働くので効率的なはずだが、必ずしも成功するとは限らない。つまりこの解決策は「社会主義的」アプローチだ。つまり、不効率になる可能性が高いのである。代理人が牧草地を独占するのだから、牧草地の管理人には「できるだけ高い金を牧畜家からふんだくってやろう」というインセンティブが働く。あるいは管理人が誰が草を食べられるかを決めるので不公平感が生まれるのだ。

現在の方法は第三の解決策に近い。一番の違いは牧畜家から税金を取っていないのに牧草地を協同管理しようとしているという点だ。そこで、問題を無視するか(自民党流アプローチ)つじつまを合わせようとしている(野党的アプローチ)ために、保育所の問題は「解けない問題」になっているのである。

最悪なのは牧草地の管理者(保育所の場合は国)が独占企業と同じになっているという点だろう。牧草地も増やさないし、
水もやらない(つまり保育士の待遇もよくしない)。そして費用は牧畜家ではなく消費者に負担させようとしている。牛は丸々と太っているが、砂漠が広がるという光景が生まれつつあるのだ。

地方分権して牧草地の管理人の数を増やせば少なくとも共有地独占の問題は解決するだろうが、企業のフリーライドの問題は解決しない。

難しい言い方をすれば、こうしたありようを変えてゆくことを「統治機構の改革」と呼ぶべきなのだ。つまり、日本を変えるということである。戦前の支配体制に復帰を目指したり、単に地方に財源を移すことを統治機構改革と呼ぶのは間違っているのではないかと思える。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です