面白い経験をした。だが、考えるうちに「自分はバカの共犯者になっているかもしれないなあ」と思い、ちょっと怖くなった。きっかけになったのは敵基地攻撃で自民検討チーム 山口公明代表「慎重に議論」という記事だった。「日本政府は理論上、能力の保有は憲法上許されているが、現実的な保有は政策判断としてしないという一貫した態度を取ってきた」と指摘したという発言をこのブロクで書いたのでそれを別のSNSにも紹介しておこうと思ったのである。意味がわからないというかあまりにも苦しい言い訳なので外から見ると面白いのだ。
ところがどうもピントがずれた解釈が二つ付いた。
眺めていて「ああ冗談が成り立つ基礎的な知識がないんだな」と思った。公明党はもともと護憲政党だったという予備知識がないと山口さんの右往左往ぶりが面白くないのである。これは自公連立前から新聞を読んでいる人なら「社会党が護憲政党である」ということくらい当たり前のことである。
その基礎は池田大作さんが書いた一連の書籍にある。創価学会の高齢信者たちにとって憲法第9条は仏典と同じくらいの聖典になっている。その証拠にいまでも公明党は福祉の党であるだけなく平和の党でもあると言っている。山口代表は創価学会のエージェントに過ぎないので創価学会の意向に逆らえない。
公明党が政権政党であり続けるためには自民党と教義を一致させる必要がある。だが、池田大作さんが表に出てこなくなった(亡くなってはいないがおそらく健康上の問題があるのだろう)ので解釈変更できなくなった。このため山口幹事長は一貫して「自民党のいうことは否定しないがどうかことは荒立てないでくれ」といい続けている。
ところが安倍政権は安倍政権で追い詰められている。党内引き締めの観点から自分たちの支持者たちの主張である敵基地攻撃を推進したいのだろう。イージスアショアの失敗を「積極的に挽回するため」にはそれしかないと思っているのかもしれない。これが改憲議論にリンクしさらに解散議論にまで発展しそうである。新型コロナの失敗を解散によって帳消しにしたいという議員も多く、解散そのものは実施されてしまうかもしれない。だが、新型コロナで会合が制限される中で憲法第9条がメインテーマの総選挙なんかやられたらおそらく創価学会は大騒ぎになるだろう。
おそらくこれがわかっている人はこの書き込みを生暖かく見守ってくれたのだと思う。だが、勘違いする人が出てきた。だが「勘違いですよ」と書くのも大人気ない。かといって背景を説明するのもしらける。滑りかけたギャグの何が面白いのかを説明することほど格好の悪いことはない。かといって放置するのもちょっとかわいそうだ。
結局「もともとは護憲政党でして……」みたいな「解説」を補足した。
「なんだかなあ」と思っていたところ別の議論を見つけた。自民党の広報が進化論を引き合いにして改憲議論を進めようとしたことを共産党が噛み付いたらしい。Twitterではすでに話題になっていたがどうも議論が噛み合っていない。議論にレイヤーがありわかっている人とわかっていない人がいるのだ。
まず、共産党が言っていることを理解するのに教養がいる。第一に進化論は「種の起源」に出てくる仮説である。遺伝子の偶然によって生まれた遺伝子変異が生き残りに「結果的に有利になる(かもしれない)」という内容だ。仮説というのはつまり「じゃないかなあ」ということだ。ところがそれを「真理であり教科書に書いてある事実だ」と受け取っている人がいるようだ。
次に「結果的に有利」というのを「自分の意思で変化する」と読み替えている人がいるらしい。「念じることで遺伝子が改変できる」という科学的事実はないのでそれは誤解である。もしそれを科学という人がいるならそれはカルト宗教である。
さらに、これを「人の手でやってやろう」という人たちが現れた。つまり、何が正しくて何が有利であるかというのを一部の人たちが決めるという考え方である。これが優性思想である。優性思想はナチスの時代にも見られたし日本でも旧優生保護法という法律の元で国家により勝手に不妊手術を受けさせられた人がいる。
だから、自民党が批判される理由は三つある。
- 第一に科学的に間違っている。進化論は個人が努力して形質を選択するという理論ではないし、確定した事実でもない。
- 政治的に進化論が悪用されたという歴史を知らない無知な人がいる。
- 突然進化論まで持ち出して改憲論争を推進しようとしているのだが、もともとの進化論の理論やその悪用の歴史にまるで興味がない。共感力がない人が憲法という大切な問題を扱えるはずがない。
ところがこれらが混同して議論されてしまっている。さらにこれをSNSに書いたところ「9条至上症候群と同じだ」という意味不明のレスがついた。おそらく何が語られているかさっぱりわからないのだがとにかく共産党が騒いでいるからそれにカウンターをつけておこうという人たちがいるんだなあと思った。「自民党のいうことならなんでも叩けばいいという風潮が出てきた」という人もいた。おそらく彼らには問題を把握する能力がない。だがおじさんほどこういうプロテスターバッシングが好きなのだ。自分を大きく見られると勘違いしているのだろう。
この二つの議論を読んで最初に失礼ながら「みんなバカなのか?」と思った。次に「みんなも文字が読めないのだろうか?」と感じた。おそらくみんなバカでもなければ文章理解能力がないわけでもないのだろう。だが、相手の言っていることを理解して足りないところを勉強しようという気持ちはない。
やっかいなのがこういう人ほど「自分は政治を知っている」と思い込んでしまうという点だ。堂々としていると立派なことを言っているように見えてしまう。彼らが議論に参加することでまとまる話もまとまらなくなる。そればかりか「生産性を求める人」つまり政治に成果を期待する人が政治議論から退出する。今回、こういう経験をして「バカ」の相手をすることで「バカの共犯者」になっているのかもしれないという自責の念を感じた。少し運営方針を変えなければならないのかもしれないと思った。
おそらく「知識が足りない」と思っている人は「自分が発言する権利がない」と思い込んでしまっている。今度は書き込みをしない人に書き込んでもらうということをしなければならないのだがSNSではこれは難しい。書き込まない人はいない人だからである。
それでも管理しているフォーラム(スペースと呼ばれる)の閲覧者は日に日に増え続けている。ついに2700フォロワーを超えてしまった。おそらく書き込みをしない人が増えていてある種の影響力を持ち始めているのだ。このブログ「The Key Questions」は誰からも注目されてこなかったので同じようなことを書いてもさほど大したことにならないだろうと思っていたのだがどうもそうではないようだ。なんとかしなければならないなあと思う。
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実は自分は知識がないと思っている人ほど真実に近いと感じてもらうためにはどうしたらいいのか、誰か答えを知らないだろうか?