人を動かす

1月の目標は「人を動かす」というものだ。ということで、安易だが「人を動かす」を読んでみた。とはいえ図書館にある「人を動かす」は、ほとんど貸し出されている。みんな人を動かしたくて仕方がないのだろう。
ブログばかり書いると、むなしさみたいなものを感じることがある。大抵の情報は一時の慰みに過ぎない。芸能情報と同じで消費される存在だ。議論の結果「やはり私は正しかった」という結論になることが多い。つまり、多くの議論は「動かないための理由作り」に使われる。多くの論争は正当化の為に費やされる。最後に「お金」は、誰かに行動して貰った結果生じるものなので「人を動かすこと」抜きには、ビジネスはできない。故に「人を動かす」ことはとても大切なのだ。
ところが当初の期待とは違って「人を動かしたい人」は、この本を読むべきではない。ディール・カーネギーは「人を動かすことはできない」と断言している。人は「自分のやりたいことしかしない」のから、自発的に行動して貰う事はできても、動かすことはできないだろうと言っている。逆に強制されると反発心が生まれる。故に、人を動かすためには自分の心持ちやモノの考え方を変えなければならない。だから「自分が動く」べきなのである。
この本は、1937年に書かれている。自由競争が前提になっているようで、交渉する人もされる人も「決裁権」を持っている。ここが現代の日本との大きな違いだ。現代の日本は経済が縮小してゆくことが暗黙の前提になっている。だから、人を動かすのは「誰かに損を押し付けたいから」であることが多い。
人々には自由裁量権がない。あるドラッグストアで300円の乳液と8,000円の乳液を売っている。中間商品はない。同じ製品を隣では250円で売っている。店員さんには300円のものを250円で売る権限はないし、1,000円くらいの商品を作る事もできない。本部からは高額商品を売るように言われる。だから一生懸命に8,000円の製品の話をする。そこで、パンフレットを出して解説しようとする。あいにく印刷物がない。客は300円の製品を見つけて「もっと安いなにかがあるのではないか」と思って探している。最初から1,000円以上の品物には興味がない。もし1,000円以上のものが欲しいならデパートかどこかに行くだろう。もう少しまともな椅子に座って製品説明が受けられる。客としては嫌なヤツに思われるのも好ましくないので、一応店員さんの話を聞いてあげる。
この店員さんが取り得る戦略は「今抱えているお客さんと楽しく会話して契約時間を過ごす」事だけだ。いずれこの人たちもいなくなるかもしれないが今はしのげるだろう。本部の人たちも「売れれば儲けものだなあ」としか思っていないのかもしれない。だから後方支援はない。来る客といえば「もっと安いものを」と考えているわけだから、てきとうにあしらうべきなのだ。ほったらかしにしていれば、自分でなにか探すだろう。
店員は大した決定権はもっていない。(ついでに、製品についてたいした知識も持っていない)お客もせいぜい500円くらいの予算しか持っていない。この状態で「相手に関心を示して、名前を覚えてもムダ」だろう。
こうした状況では、誠意だけでは人を動かすことはできない。だから現代の日本では「人を動かす」は役に立たないので、この本は読んではいけないのである。
現代日本は「何も変わらないし変わりたくない」社会である。自分が変わらないためには、他人に変わってもらう必要がある。だから「自分が変わらないために他人を変えよう」と試みるのだ。「人を動かす」を読んで「相手が誠意を持って自分に接してくれれば、僕もそうするのに」と夢想することになる。自分に誠意がないのは、世の中が悪いからである。試しに「人を騙す」コールドリーディングの本を読んでみるとこのことが良くわかる。『あるニセ占い師の告白 ~偉い奴ほど使っている!人を動かす究極の話術&心理術「ブラック・コールドリーディング」 (FOREST MINI BOOK)』を読んでみよう。ちなみにガイジンが書いたことになっているが、日本人が偽名を使って書いている。本自体が一つの騙しになっている。
人を信頼させる理屈は「人を動かす」と同じである。誠意を見せて、相手のいうことを聞いてやる。自分が読み取るわけではなく、相手に全部話させる。これも「人を動かす」に似ている。ディール・カーネギーは、対話と提案によって「両方がトクをする」点を探してゆく(だから、両方の自由度が重要なのだ)が、コールドリーディングの本では「相手が変わらなくていい理由」を探して行く。この為に使うのが「前世」だそうだ。「前世でこういうことがあったので、今の状況は当たり前である」という理屈を創作する。
冒頭で「人が動く事によって、お金が発生する」と書いたのだが、コールドリーディングの本のカモは「パーソナライズされた、動かないですむ理由」を聞くためにお金を払う。失恋したのも、ダイエットに失敗したのも全て「前世」に理由があり、仕方がない。こうした「ニセスピリチュアリスト」はアメリカにもいるそうだ。日本人が集団主義的で依存心が強いからこうした占いに頼るのだとはいいきれない。
この2つの本は「だいたい同じ」原理に基づいて書かれている。大きな違いはその前提だ。「人を動かす」は、お互いがトクをする合意点を探す(探せる)世界を前提にしている。こうした前提の元で生きている人はこの本を読むべきだろう。しかし「お互いが合意点を探す自由度がない」世界を生きている人は、「人を動かす」を読む前に、こうした自由度を持つ事ができる環境を探すべきなのだといえる。

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