ライフログの大切さ

今日はライフログの大切さについて考えたい。ライフログとは毎日の生活を記録したものだ。ライフログはどうして大切なのだろうか。

モチベーションの維持

第一に習熟度が分かる。去年の秋からダイエットをしている。徐々に体重を減らして5kgくらいやせた。とはいえ1カ月にikg減るか減らないかというペースなのであまり面白くない。だが、去年秋に買ったトップスを着ると「うわ、こんなに体型が違うんだ」と思うこともある。例えば毎日写真を撮影していればその進捗が中期で分かるだろう。写真を撮影してもダイエットそのものにはつながらないのだが、モチベーションの維持はできる。見た目で成果が上がらない場合にはライフログはきわめて有効だと思う。

無駄な買い物をなくす

次に計画上手が立てられるようになる。これはライフログに学習効果があるからだ。例えば、過去に作った寄せ植えの写真を撮影している。何気なく作ったものを後から見直すと意外と絵になっていることがある。作っているときにはあまり良さ(悪さもだが)が分からないのだ。これを時系列に並べると計画も立てやすい。いつごろ何を植えればよいかが分かる。

これとは別にクローゼットの中身をすべて撮影している。このブログでも何回か書いているが、ファッションが分からないので勉強したいと思っているのからだ。システムを組んで何をいつ着たかがわかるようにしている。必然的にクローゼットの一覧ができるのだが、これを見るだけでも「こういうアイテムはよく着ているんだな」とか「これが足りないな」ということが分かる。現在登録アイテム数は170程度なのだが、これくらいであれば一覧処理は可能である。こうして記録すると無駄なアイテムを買う必要がなくなるし、失敗したものを再び買わなくてもすむ。ファッションの場合「こなせないけど好き」というアイテムがあり、そういうのばかり買ってしまうことがあるのだ。

歴史的価値

大げさだと思うだろうが、ライフログには歴史的価値がある。例えばジーンズはめまぐるしく変化しているが、このアーカイブが意外と残っていない。雑誌が記録しているはずなのだが、ファッション雑誌は1年くらいで売れなくなってしまうらしく、廃棄されてしまう運命にある。逆に1990年代のMen’s NON-NOなどが3000円くらいで売られている。不景気のせいなのか古本屋も淘汰されていて通販でしが買えないことも多い。意外と「ちょい前」の情報がないのだ。

普段着ているもののような「下らない素材」はほかにもある。例えば高度経済成長期の超合金なども現代であればアーカイブの価値があるだろう。こうした情報がまとまっているというのは大きなことなのである。

情報はあふれているが見たいものがない

現在、Twitterなどで情報があふれている。さぞかし必要な情報が手に入れやすいだろうと思うのだが、意外とまとまった形で保存されていない。これはTwitterなどのSNSが引用形で流れてゆくメディアだからである。

さらにコンテンツ制作のためにお金をかけないことが流行しており、まとめサイトが氾濫している。これも引用なので情報の集約には役にたっていない。偽情報を拡散しているだけだったりする。これは彼らのいう「情報」が一次情報ではないからだ。で、あらためて一次情報って何だろうかと考えると、それぞれは、作った弁当とか、着た服とか、歩いた距離と方向とか、こどものおもちゃなどの下らないデータの集積なのだ。

それでも、意識して選んでいると、すこしづつ何かが分かってくるのは楽しい。多分、学習には快感が紐づいているからなのだろう。画像アーカイブはWordpressなどを使ってもそれなりに楽しめるが(エントリーにカテゴリーとタグが付けられるので1枚1エントリーにすると良いのかもしれない)、手作りでデータベースとプログラミングが楽しめると、柔軟な画像データベースが作れる。サーバーは1カ月ワンコインくらいから手に入る。

Twitterで社会正義を追求したり有名人の不正を正したりするのも楽しいのだが、現実が1mmも動くわけではないし、情報が拡散されるだけだ。情報を拡散したら集約する側に回ってみるのも悪くないのではないだろうか。

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