プロトタイプ作りの大切さ

イノベーションの達人! – 発想する会社をつくる10の人材の中に、IDEOのモノ作りのやり方が出てくる。デザインコンサルティングの会社なのだが、ただパソコン上で発想するのではなく、実際にプロトタイプを組み立ててみるのだそうだ。
彼らがプロトタイプを作るのはどうしてだろうか。ヒトは「全体像」を把握することはできない。実際に作ってみると抜け落ちている所がわかる。また複数のチームメンバーのアイディアが具体的に伝わるので、知識共有にも役に立つ。
今回、連想型ブラウザーを試作した感想を3回に分けて行っている。これを作って思ったのは、この「実際にやってみる」ことの大切さだった。加えて途中経過を再確認することで、意味合いを考え直すことができる。つまり、実際にやってみる事で「ああこういうことができるな」と思い、それを追体験することで「こういうこともできるだろうな」と考えることができるのだ。
プロトタイピングにはさらにいい事がある。プロトタイプを作るために、足りない知識(今回はAjax= JavaScript)をレビューし直したりもする。しばらくすると忘れてしまうかもしれないのだが、コードを見直せば再利用できる部品を取り出したりすることもできるだろう。
発想を膨らますためには、そこそこ簡単なほうがいい。しかし、できる事だけやっていてもつまらない。境目のぎりぎりの所が楽しい。「楽しい」ということは大切だ。実際に「作ろうかなあ」と考えているときは面倒くさかったりもするのだが、実際に作れると「もうすこしやってみようかなあ」と思ったりできる。また、Facebookの初期のツールキットのように「組み上げたら満足」してしまうが、実際に何に使うのかさっぱり思い浮かばないものもプロトタイピングには向いていない。つまり、試作品を作るにもそれなりの技術が必要ということになる。
プロトタイピングはモノ作りには欠かせない。戦後の日本の製造業を支えたのは、大企業から注文を受けた中小企業だといわれている。彼らは年中「プロトタイピング」をやっているようなものだった。しかし大企業が国内を脱出すると、こうしたプロトタイピングの機会は失われる。代わりにコスト削減圧力だけがかかるわけで「モノ作り」が衰退するのも止む終えない。また、今回の経験から、IT産業であってもプロトタイピングは重要だとわかった。基本的に「モノ作り」には違いないわけだ。
日本のIT産業は基本的にプロトタイピングと独自の発想を嫌うところがあるように思える。ソーシャルメディアなど発想の源が海外にあるからだろう。一から発想するよりも「これを日本風にアレンジする」ことが得意分野だとされる。これに加えて「確実さ」を求める傾向がある。確実に儲かるプロジェクトでないと「腰が上がらない」(つまりやる気にならない)。プログラマやデザイナの現場では、勉強会というと新しい技術やスキルを学ぶことだ。一から発想するのはあまり得意ではない。ビジネスレイヤーではさらに深刻で「課金システムがないと話を進めない」ひという人たちが多い。Twitterが自然発生的に広まったのに比べ、Facebookがビジネスマン発信なのは最初から課金の成功事例があったからだ。
また受注生産的な態度も時には弊害になる場合がある。特に中間マネジメントの人たちは常に課題に追われていて「新しいからなんだか面白そうだ」と考えないかもしれない。顧客ニーズの汲みとりに忙しく、自分から提案することができない場合もあるだろう。
プロトタイピングは、発想を経験としてパッケージしてゆく作業だ。本来なら「市場ニーズ」と「できること」を両方知っている人がやったほうが面白いものができるはずである。しかしこの人たちが「提案を貰う側」と「提案する側」に分かれていると、なかなか面白い発想が出にくい。
転職がないこともこれに拍車をかける。「提案を貰う側」は新入社員で入り、提案を貰い続けて今日まで来たかもしれない。頭の中で「なんか自分にしっくり来る提案がこない」と考えつつもそれを形にする技術がないということがあり得るのかもしれない。
さて、いろいろと考察してきたが、あまり状況を嘆いていても意味がない。新しい産業は河の流れに例えることができる。まず泉があり、それが集って来て川ができる。いくつかの支流が集って、海まで続くが、砂漠の川のように途中で干上がってしまうこともある。このプロトタイピングは泉にあたるだろう。つまり手を動かす技術と、それをお互いに評価し合うネットワークがあってはじめて成長点が作られる。
発展途上の国では「お金持ちになりたい」とか「先進国に追いつきたい」という気持ちが重要だった。これは川の途中で勢いを付けるには重要だ。しかし、発展途上段階を抜けると、このインセンティブを何か別のものに振り替えて行く必要がある。これを「個人の自己実現」や「危機感」に置き換えてきたわけだが、楽しくない作業を長く続けることは難しいだろう。
これに引き換え、何か新しいものを作って、お互いに工夫し合うのは、単純に楽しい。これを収益化するプロセスが面白いと感じる人もいるだろう。こうしたコミュニティが再構成されたところから新しい産業が起こるのではないかと思う。その意味でも、何がが作れる人たちが集まるのは重要な意味があるのではないかと思える。

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