最近YouTubeばかり見ている。コンドールマンが毎週更新されており、それを見ていたら今度はミラーマンの第一回をオススメされた。それを見終わると、ジャンボーグAとかデビルマンとかいろいろな番組のお知らせが流れてくる。公式もあれば、海外の人が勝手に出しているものもある。これを見ているとかなりの時間が経過していることもある。
それを見ているうちに素人(最近はYouTuberと呼ぶのだが)の作ったハウツー物を見るようになった。例えば洋服の着方を指南するコンテンツがある。英語は平易なものが多いので、日本のチャンネルと英語のチャンネルを見たりする。だいたい1本が5分程度で見終わる。雑誌などではわからない「レイヤードの意味」などもわかる。雑誌は「脚の長さを隠すため」のようなあけすけなことは言わないが、YouTubeは普通体型の人がモデル兼編集者なのでリアルな声がわかるのである。
短いコンテンツばかりをみているうちにテレビが見られなくなった。TVerというアプリでドラマだけは途中から2本見た。『相棒』はTVerに出ていないのでリアルタイムで見るしかないのだが、最近「もういいかなあ」と思い始めている。脚本がつまらなくなった気がするし、過去作品も大麻騒動で見ることができなくなりそうだ。このまま埋もれてしまうのだろう。いったん熱が冷めると「あれ、なんでそんなに夢中なんだったっけ」という気分になる。
ビデオもそうなのだろうが、TVerも途中で止められるので時間があるときにみればいい。それでも一時間は長いなあと思うのだ。そもそも、人間の集中力は5分程度しかもたないのではないだろうか。ドラマだとヤマ場を幾つか作る必要があるのだが、YouTubeにはそれが必要ない。
テレビは時計代わりになっている。内容はほとんど見ていないということになる。
一方で、チャンク化していないために困っているものもある。古本屋でファッション雑誌を5冊買って来た。一覧するのだが全く頭に入ってこない。役に立つのは新しい服を買った時だ。そこでやっと似たような色味や形を探すのだ。しかし、雑誌というのは「モスグリーンの洋服」で検索をかけても記事を並べることはできない。そこでスキャンしてネットにアップしている。
「おい、著作権はどうした」という声が聞こえてきそうだ。最初はそのままにしていたが、最終的にはパスワードでプロテクションをかけた。画像のアドレスさえわかればダウンロードはできてしまうのだが、ロボットは入ってこられないし、一応「不特定多数は見ることができませんよ」という状態にはなっている。
考えどころなのはPinterestだ。モスグリーンで検索すると似たようなものが出てくるのでボードにまとめておけばあとで見返すことができる。ここには多分違法にアップした(引用という体裁にはなっていると思う)ものも含まれるわけだが、アップされない雑誌記事は単に古本屋に死蔵されるだけのものになってしまう。つまり、自主的な二次利用の仕方を考えないと盗まれてしまう恐れがあるのである。
雑誌の編集者たちには「記事コーディネート単体ではなくその一連の流れが大切」だと思うのだろうが、受け手にはどうでもよいことだ。仮に親切に編集者の意図に沿って理解しようとしても、あまりにも数が多すぎるので覚えきれない。繰り返し見ているうちにやっと印象に残るもののようである。これも記憶力や集中力と関係している。
もう一つの問題は「雑誌のコンテンツ」と「自分が作ったもの」の境がないという点だ。ファッション雑誌は購買という行為と関係している、つまり、雑誌のコンテンツを参考に自分のコーディネートが決まり、それを見直してゆくというプロセスになる。だから理想的には、これらが一つのページにまとめられることになる。例えば、WEARでは消費者と店舗スタッフのコーディネートが同じフォーマットで同じページに掲載されている。
こうしたことは映像の世界でも起こっている。ユーザーはプロが作ったTVerとプロの訓練を受けていない人が作ったYouTubeを同じ画面で見ている。そこにないコンテンツはそのまま忘れられてしまうのだ。