ソマリ人と学ぶ人を殺してはいけない理由

ソマリアの北部に「ソマリランド」という地域がある。諸外国からは国としては認められてないが、政府があり比較的平穏な状態が続いている。この地域に潜入して書かれた本が『謎の独立国家ソマリランド』だ。




この本を読むと民主主義や現在の国際秩序がどれだけ恣意的なものかということが良くわかる。アフリカ大陸には旧宗主国が引いた国境線というものがあり、各国はそれを変更してはならないのだそうだ。もともとソマリ人は遊牧民であり、国家を持っていなかった。そのかわりに発展したのが、氏族と呼ばれる血縁による信頼のネットワークだ。ソマリランドでは氏族による支配が機能している。

ソマリアは北部にある比較的平和なソマリランドと南部にあり混乱状態にあるソマリアに別れている。北部は旧イギリス領で、南部はイタリア領だった。もともとソマリ人は紛争を解決するための仕組みを持っている。誰かが殺されたり、家畜が殺されたりすると「同等なもの」を賠償するという習慣だ。これを「精算」と呼び、ソマリアでは一般的な問題解決策になっている。

つまり、ソマリアには人が殺されたら人で精算するという伝統があった

ソマリ人は血族集団(これを氏族と呼ぶ)で成り立っている。こうした強い結びつきがある場合、群れは「ある程度以上」大きくなれない。ソマリ人の血族集団にも限界値のようなものがあり、紛争に陥ると同じ氏族集団が分裂したりする。

この「氏族」は一定の緩やかさを持っている。これが原始的な部族社会とは違ったところだ。しかし、やはり限界があり、南部では同じ氏族同士でにらみ合いをはじめてしまったので、内戦がおさまらなくなった。一方、北部はこれを「精算」したために内戦は収束し「平和な」状態が続いている、と一般的には考えられている。

筆者の高野さんは、なぜ北部では内戦がおさまり、南部では内戦状態が続いているのかという点にこだわって取材を進める。一般の理解では「北部では精算ができたから内戦状態が終結した」と考えられているのだが、実際には北部は殺し合いの精算をしないことに決めたのだという事実に行き着いた。

北部の人たちが行き着いた結論は精算するのは不可能だというものだ。つまり、100人の殺人を精算しようとすればもう100人の命が必要だということになってしまう。また、北部人は「紛争」を多く経験していたためにやめかたが分かったのだが、南部人はあまり紛争に慣れていないが故に戦争が止められなくなってしまったという事情もあるらしい。

加えて、ソマリ人社会には、氏族と長老という紛争解決の仕組みが温存されたのだが、南部の旧イタリア領では氏族システムの調停機構を壊してしまった。このために調停手段がなくなってしまった。

ソマリ人は中央政府がなくても氏族ネットワークが社会インフラを持っているので日常生活を営む事ができる。弊害は新規投資を募って国内に産業を興すことができないことだ。このためソマリアの多くの地域は、海外に移住した同胞たちの支援と海賊行為で得た身代金などに頼って暮らしている。

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殺人を紛争解決の手段に用いる集団は、ある一定以上に大きくなれない。その規模は社会システムによる。さらに紛争に慣れていない人たちがいったん人殺しを紛争解決の手段に用いると、その後収拾が付かなくなる。ソマリ社会から見る人を殺してはならない理由だ。

人を殺したら同等の命で購(あがな)わなければならないという抑止力は、概ね機能している。ところがイスラム過激主義者たちは「現世でジハードに参加すれば、来世ではよりよい暮らしができる」と信じていて、この抑止力が働かない。海外からジハードに参加するために流入してきた人たちもいるので、ソマリアでは混乱した状態が固定化してしまっている。

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