先日、NHKのあさイチという番組で「主婦の時間のやりくり」という特集をやっていた。そこでは、忙しい主婦が朝ご飯の品数をそろえることが「偉い」と評価される一方で、坂下千里子のような「手抜き主婦」がパンにピーナツバターを塗っただけの朝食を「えーこれが朝ご飯なの」などと非難されていた。
伝統的な家族観のもとでは坂下千里子は糾弾される運命にある。これが多くの主婦を苦しめている。主婦は「みそ汁が飲みたいなら自分が作れ」とは言えないからだ。だが、これは合理的な選択ではない。
朝ご飯の目的は栄養を取り「体と頭を立ち上げる」ことである。ピーナツバターとパンだけでは栄養が足りないのだが、特に品数を揃えるのも面倒だ。だが、世の中にはシリアルという便利なものが売られていて、多くの食材と栄養素を同時に取ることができる。
「いやいや、朝は暖かいものが食べたい」という人がいるかもしれないのだが、インスタントスープやコーヒーを付ければ言いのだし、「朝には発酵食品が必要だ」という人がいるのなら、ヨーグルトを付ければいい。朝は忙しいのだから、火を使った料理を極力減らしたいと考えるのが人情というものである。わざわざご飯を炊いてみそ汁を作る(具を揃えて出汁から作ると結構面倒くさい)必要はないわけである。
どうやら日本人は「効果」を「かけた手間の時間」で計測するという悪癖があるらしい。「人月指向」なわけで、これは、延々と続く残業のように様々な無駄の温床になっている。だが、朝ご飯の効果は「栄養」で計測されるべきだ。短い時間で栄養が準備できるなら、それは「費用対効果が高い」と賞賛されるべきではないだろうか。
品数が多い朝ご飯が賞賛されるのはなぜだろうか。いくつか理由がある。
- 昔はシリアルのような便利なものがなかったので、栄養をまんべんなく取ろうと思うと様々な食品を組み合わせる必要があった。
- かけた時間が愛情の量だと錯誤されている。
もちろん、専業主婦なら朝ご飯づくりに時間をかけてもよいのかもしれないのだが、公共放送を使って賞賛するほどのことではないのではないかと思う。
朝ご飯を作ってもらう側(まあ、本当は夫が作っても良いのだろうが)の一番の障壁は「ママが作ってくれたご飯と違う」というものなのだろうが、自炊経験がある人なら、独身時代には時間をかけていなかったはずなので、意外と受け入れは難しくないと思う。すると、残る障壁は姑世代の「私たちの時代はこうではなかった」という、世間の目かもしれない。
もっとも受け入れる側も「時間をかけないで栄養を摂取できるのはいいことなのだ」とは思わないかもしれない。それよりも海外セレブ(たいては女性モデルのことだ)などが、朝ご飯としてスムージーを飲んでいるのを見てあこがれるというのが受け入れ経路になるのではないかと思う。同じ栄養でも青汁ではダメなのだ。
さて、アメリカでシリアルが流行したのは「肉を食べるよりも健康に良い」とされていたからだそうだ。ベーコンと卵の食事は「コレステロールが高く不健康だ」とされていたのだろう。ただし、砂糖を使いすぎているとか栄養が添加物由来であるという批判もあるという。ヨーロッパなどのいくつかの国で「伝統的な朝食を破壊した」という批判もある。
アメリカではシリアルの消費は伸び悩んでいる。ケロッグは朝食以外でシリアルを使おうというキャンペーンをやったり、朝の時間をうまく使おうというキャンペーンまでやっているそうだ。この記事が挙げる、シリアルが食べられなくなった理由は3つだ。
- 忙しすぎて、シリアルすら作っている時間がない。代わりにシリアルバーなどを食べている。
- 子供が少なくなり消費量が減った。
- 砂糖は健康に悪いという認識ができ、伝統的なベーコン&エッグに戻りつつある。
理由1と3は矛盾するように思えるのだが、アメリカでも二極化が進みつつあるのかもしれない。特に理由1はショッキングだ。日本人の常識から見ると、シリアルを準備する方が「時短だ」が、それさえも「時間がなくてできない」というのだ。アメリカ人は何に時間を使っているのかが知りたくなる。