外国人から日本語について聞かれてもにわかに答えられないことがある。コメはいつめし(あるいはごはん)に変わるのだろうか。普通に考えると電子炊飯器に入れた状態はコメだが、出したときにはめしになっているということになる。では、透明な炊飯器があり中身が見えたとして、いつからめしになるのだろうか。
この質問は問いの立て方が間違っている。めしをみて「これはコメか」と問われれば「はいそうです」と答えるからだ。つまり、コメはめしに変化したのではないのだ。だが、生米をみて「これはめしだ」という日本人はいない。つまり、コメに「食べられる」という属性を与えたものがめしなのだ。
同じことは水にも言える。水を温めたのがお湯だ。お湯は水であるが、水はお湯ではない。水に「温かい」という属性を与えたのがお湯である。お湯に場合は事情が異なっている。40度程度はぬるま湯と呼ばれるが、これが30度の場合には水という人が多いに違いない。つまり何度からがお湯とはいえないのだ。ちなみに温泉法によると25度以上のものは温泉と呼ぶらしい。法律的には25度以上はお湯なのだ。
ではこれが日本語特有の現象かと言われればそうではない。小麦(wheat)を粉にしたものが小麦粉(flour)で、これを加工したものがパン(bread)だが、焼かれていない状態ではパンとは呼ばず生地(dough)と呼ばれる。食べられない状態のパンを生地と呼んでいるのだ。だからコメがいつめしになるのだと聞かれたら、小麦はいつ生地になり生地はいつパンになるのかと聞けばよいのだ。コメはあまり形が変えずに食べられるのでこのような混乱が起こるのだろう。